2012年05月14日

「インド夜想曲」

20120514「インド夜想曲」.jpg

アントニオ タブッキ (Antonio Tabucchi)
須賀 敦子 訳
白水社 出版

 先日の訃報を眼にして、代表作を読んでみました。

 読了時、カードを使ったテーブルマジックでも見たかのような感覚に囚われました。1枚1枚のカードをきちんと見ていたと思っていたのに、本当はきちんと見てなどいなかった、カードのすり替えを見逃した、そう確信するような感覚です。いろいろ疑いだすと、それぞれのカードが本物だったかさえ怪しく思えてくるような、あの感覚です。

 あるいは、現実そのもののリアルさを体感しながらも、これは夢のなかの出来事だと確信するときの感覚にも似ているかもしれません。

 イタリア出身の男性がひとり、ボンベイに降り立ち、ある宿に向かいます。どうやら友人を捜しているようです。手懸りをつかんで、友人の足跡を追います。道中で眼にする光景や出会う人々は、イタリア人男性の視点を通してみると、どこか現実感がありません。その異世界は、まさしくインドのように見えてくることも、インドではないどこかに見えてくることもあります。

 読んでいるあいだ、そこまでして友人を捜すきっかけとなった手紙には何が書かれてあったのか想像し、友人がよほどの窮地に立たされていると思わせる内容だったに違いないと推測しました。また、彼が昔のことを思い出せば、友人とはかなり親しかったに違いないと推測しました。しかし、それらの推測は帰着点らしい帰着点にはたどり着けません。するりとかわされて結末を迎えます。

 だから満足できなかったかというと、そうではないところが不思議です。
posted by 作楽 at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

「村上春樹 雑文集」

20120510「村上春樹 雑文集」.jpg

村上 春樹 著
新潮社 出版

 いままでの読んできた氏のエッセイ集とは、少々毛色が違いました。たとえば「村上ラヂオ」や「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」と違って、最初に掲載された媒体がばらばらなので、各々の量も違えば堅さのようなものも違います。また「遠い太鼓」や「雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行」と違って、作家デビューから2010年までという長い期間に書かれたものが集められていて、全体として時の流れを感じます。

 何より、村上春樹というベストセラー作家が、何を求めてあるいは何を読者に与えたくて小説を書いているのかが、いちばん良く伝わってきました。もちろん、わたしが読んだごく一部のエッセイ集のなかでの比較に過ぎませんが、文学賞などの授賞式で挨拶した内容なども含まれていて、小説家としての視点があらわれていました。

 なかでも、次の部分になるほどと思ってしまいました。
<<<<<
母国語たる日本語を頭のなかでいったん擬似外国語化して−−つまり自己意識内における言語の生来的日常性を回避して−−文章を構築し、それを使って小説を書こうと努めてきたとも言えるのではないかと思います。
>>>>>

 氏の小説を読んで翻訳を読んでいるようだという感想を持たれる読者も多いそうですが、その理由がここで示された気がします。ただ、この「言語の生来的日常性」というのが、わたしにはぴんときませんでした。それでも、実在する商品や音楽や店などが架空のそれら以上に登場するわりには、生活感が薄いのは、その文章に依るところが大きいのだと納得できました。
posted by 作楽 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月09日

「城」

20120509「城」.jpg

フランツ カフカ (Franz Kafka) 著
池内 紀 訳
白水社 出版

 不条理溢れる作品です。しかも、結末を読めないという不条理が読者にも用意されています。未完の作品を読むたび、どのような結末が用意されていたのか気になって仕方がないたちなのですが、今回は珍しく気になりませんでした。それだけ、閉塞感を味わったというか、足元が揺らぐ感覚につきまとわれたというか、わけがわからない状態になってしまい、巻末にに辿り着いたときには、架空世界から現実に戻ってきたかのような安堵感を覚えました。睡眠中に、夢を見ていると認識しつつも、そのリアルさに吸い込まれてしまったあと目覚めたときのような経験でした。

 タイトルの「城」に、Kという測量士が行こうとするのですが、一向に辿り着けないという話です。Kが村民や城の人々と言葉を交わし、なんとか城に行こうと足掻けば足掻くほど、読んでいるほうは、城は何を意味するのか、城に行く意味はあるのか、ここで滔々と語っている人の本音はどこにあるのかといった、さまざまなことが気になりだして、息がつまりそうになりました。

 最後に思ったのは、わたし自身の日々の暮らしも、これとまったく同じかもしれないということでした。
posted by 作楽 at 07:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

「修道院の第二の殺人」

20120508「修道院の第二の殺人」.jpg

アランナ・ナイト (Alanna Knight) 著
法村 里絵 訳
東京創元社 出版

 1988年発表のこの作品を皮切りにすでに17作も発表されている長寿シリーズだそうです。それだけ読者がついているということなのでしょう。その人気の理由を考えてみました。

 やはり一番の魅力は、主人公であるファロ警部補の人柄でしょう。40歳を眼の前にして自分のことが年寄りに思えて仕方がなかったり、女性陣から常に高い評価を受ける部下が少しばかり鼻についたり、優等生過ぎない人柄は、読んでいて共感できます。また、暗い面もある彼の過去が、徐々に、しかも巧みに明かされていくうち、彼の新しい恋を応援したくなったりもします。

 また、1870年のエジンバラが舞台になっている点も成功しているのではないでしょうか。1988年の作品でも古びた印象を受けませんし、エジンバラの風景も当時の風俗も作品に溶け込んでいて、作品に彩りがあります。今作品では、ファロ警部補がひと目惚れしてしまったお相手が女優ということもあって、シェイクスピア劇がたびたび登場します。

 ただ犯人捜しそのものは、ちょっともの足りませんでした。伏線がごつごつと目立ってて、犯人がわかりやすくなっています。

 今作品でファロ警部補が追う事件は、彼の休暇中に解決されてしまった事件です。同じ修道院で働く女性がふたり続けて殺されます。そこにひとりの男が出頭してきて、ひとり目の殺人を自供します。その犯人は、ふたり目の被害者は知らないと主張するのですが、警察に同一犯の仕業だと断定され、死刑に処せられます。仕事に復帰したファロ警部補は、犯人の主張を認め、第二の殺人を個人的に捜査します。

 1870年という時代の長閑さが感じられる犯人捜しです。
posted by 作楽 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月07日

「遠い太鼓」

20120507「遠い太鼓」.jpg

村上 春樹 著
講談社 出版

おおきなかぶ、むずかしいアボカド」を読んで、もう少しこの方のエッセイを読んでみたいと思って選んだのですが、受けた印象が随分違いました。

 こちらのほうは、やや重い印象で、読み終えたときに消化不良を起こしたような気分になりました。1980年代後半の異国での暮らしがベースになっているので、昔のことを思い起こしたり異文化に対する驚きがあったりと、読む側もそれなりに脳みそを使うよう迫られたことが原因のひとつだと思います。

 氏は、1986年から3年間、生活拠点をヨーロッパに移し、そのあいだ「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」を書き上げ、ご本人が旅のスケッチと呼ばれるこの原稿を書き、「雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行」で登場する旅に出かけたり、翻訳をしたりしたそうです。40歳になる前に、30代にしか書けない作品を書かなくては、という切迫感のようなものも窺われるので、書き手がおかれた環境や意識も「1Q84」を書き終えたあとの「おおきなかぶ、むずかしいアボガド」とは違って、固かったのかもしれません。

 氏が住まわれたのは、おもにギリシャとイタリアで、いっときイングランドにいらしたようです。ギリシャやイタリアは国民気質も気候や治安も随分日本と違うので、なかなか大変だったようです。読んでいると、わたしたちが思い浮かべるイメージを裏切らないギリシャだな、イタリアだな、と思うエピソードが次々と登場します。そのなかで異彩を放っていたのは、トスカナ地方のワイン農場で1ダースあまりのワインをまとめ買いされたときのことを紹介しイタリアの底力を語られる場面です。こういう一面も知ることができるのが、長期滞在の良さだと感じました。

 二十数年も前のギリシャやイタリアでのエピソードが中心なので、現代に当てはまらない部分も多いかもしれませんが、それでも、それらを氏がどう受けとめ、どういう考察をしたかを知ることができたので、読む価値はありました。
posted by 作楽 at 07:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(エッセイ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月13日

「手のひら押すだけメソッド」

20120413「手のひら押すだけメソッド」.jpg

山本 千尋 著
幻冬舎 出版

 もしこの本を手にとられる機会があったら、78ページにある「試してみましょう」を本当に試してみることをお勧めします。

 1、2分というわずかな時間に指を少し伸ばしたりしただけで、首の動きが違ってきたことに、わたしは驚きました。継続すれば、以前とは違う躰の反応を実感できるというのならわかるのですが、ほんの些細なマッサージですぐ結果がでるという即効性は期待していませんでした。

 症状別に有効な手のマッサージが紹介されているので、躰の不調を感じたとき、該当するページを数ページ読んで指や手をマッサージしてみるという使い方ができます。全部で200ページにも満たない文庫ですし、オフィスに置いて、眼が疲れたときにそのページを開いてみるという使い方もできると思います。

 わたしは腰痛のページにお世話になっています。何より、自分ひとりで簡単にできることばかり、という点が気に入っています。

 手のマッサージは、人にしてもらうのも効果が高いようなので、ペアでするマッサージやお年寄りにしてあげるマッサージなども紹介されているので、ご家族のいる方は、参考になるかと思います。
posted by 作楽 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月12日

「きりこについて」

20120412「きりこについて」.jpg

西 加奈子 著
角川書店 出版

 この作家の作品を「しずく」「きいろいゾウ」と読みましたが、どちらの作品に対しても、価値観のようなものに共感できましたし、そこはかとなく感じられるおかしみが好みでもありました。それは、この作品についても変わりません。主人公きりこは、そこまでデフォルメできるかというくらいの”ぶす”で、彼女の親友ともいえる飼い猫ラムセス2世は、そこまで人間を超えた智を備えていなくともよいというくらいの”高IQ”で、現実離れしているものの、それがユーモアとあいまって独自の世界を形成しています。「きいろいゾウ」を読んでいるときの感覚に近いものがありました。

 ただ残念なことに、終盤の展開はあまり好きになれませんでした。作者が下す判断に従って読むのは苦手なので、愉しめなかったのではないかと思っています。愛や個性といった普遍的な問題は難しいだけに、この作品のように”これが答えですよ”といった感じで結論が用意されているほうが楽なのかもしれませんが、作品を通してぼんやりと見えてくるものを、自分なりの解釈でかたちあるものにしていく読み方のほうが好みです。作家自身が想定もしていない結論や価値や概念にたどりつくことだって、”別にそれはそれで、いいんじゃない?”という大らかさがあれば、言うことなしだと思っています。

 今回は、そういうわたしの本の好みからかけ離れた作品で残念でしたが、それでも、「きいろいゾウ」を読んで、かなり気に入った作家さんなので、また機会があれば、読んでしまうかもしれません。
posted by 作楽 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月11日

「小説 遊牧民」

20120411「小説 遊牧民」.jpg

イリヤス エセンベルリン (Ilyas Yesenberlin) 著
加藤 九祚 訳
東海大学出版会 出版

 15世紀の中央アジアにおける国々の分裂や対立を描いた歴史小説です。中央アジアにおける文化など、見事に何も知らない状態で読んだので、カルチャーショックを受けました。その一方で、人の営みというのは土地や種族が変わってもたいして変わらないのかもしれないと思う場面にも出くわしました。

 かの有名なチンギスハンの末裔であるハン・アブルハイルが、青帳ハンという国を治めるなか、その横暴ぶりに耐えられなくなった人々が、ジャニベクとケレイというリーダーに率いられて袂をわかちます。そこは遊牧民族なので、テントを張るように建てている住まいユルタをたたみ、新天地を求めて移動するのです。その場面を読んで、はっとしました。わたしたち農耕民族は、日々の糧を田畑から得ていて、彼らのように馬や駱駝を従えて移動することは、儘なりません。調べてみたら、日本で班田収授制が本格的に敷かれたのは、この物語の時代よりずっと以前、701年の大宝律令がきっかけだそうです。わたしたちの先祖が田畑をもとに管理されていたとき、彼らは全財産をもって、移動していたのです。(そんな彼らの財産、馬や駱駝や羊については、巻末で翻訳者である加藤氏が詳しく解説されていて、小説からは読みとりきれなかった内容もあり、興味深く読めました。)

 物語は、そんな遊牧民の暮らしや価値観を展開させながら進んでいくのですが、なかには日本とまったく同じと思うものもありました。ジャニベクとケレイは家族会議を開き、伝承にある教訓をもとに、民の団結を訴えます。それは、シモツケソウの束を息子らに折らせるというものです。1本、2本は難なく折れても、4本まとまると膝を使って折る必要がでてきて、10本になるとあれこれ工夫を凝らしてやっと折れる状態です。毛利元就の矢とまったく同じではありませんか。

 日本の歴史小説が好きな方なら、共通点も相違点も両方見つけながら楽しめる作品ではないでしょうか。
posted by 作楽 at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

「犬が星見た―ロシア旅行」

20120410「犬が星見た―ロシア旅行」.jpg

武田 百合子 著
中央公論新社 出版

 友人に勧められて読んだのですが、印象に残る点がいくつかあって、人に勧めたくなった友人の気持ちが理解できました。

 わたしが好きだと思った一番は、文章から滲みでてくる著者の人柄です。文章は簡潔で、ひとつのこととその次のことを滑らかに繋ごうという試みがありません。もともと本にする予定がなく書かれたもののようなので、そのあたりも影響しているのかもしれませんけれど。それでも、中核をついた比喩だったり、旅先で眼にした自然や人々の受け入れ方だったり、飾らない本音だったり、実だけが詰まっているような文章から著者の細かな観察と大らかな精神を窺い知ることができ、こういう人と一緒に旅することができたら、どれほど楽しいかと想像が膨らみました。

 現代ロシアの状況さえ知っていると言えないわたしでも、昭和44年当時ならおそらく、物やサービスは貧弱だったに違いないと推測できます。そんななか、食事をおいしく召し上がり、覚えたての片言のロシア語で出会った人と言葉を交わされる道中を読むと、旅とはこういうものなのだと思えてきます。

 わたしが特に好きな場面は、著者がある老婆と言葉を交わすところです。老婆が、額を見せながら、そのなかに収まっている肖像画の女性が美しいと訴えかけてくるところです。著者は、老婆が訴えようとすることをくみ取り、さらに自分も本当に肖像画の女性を美しいと思っていると伝えようと、知っているかぎりのロシア語から「真実」という単語を選びだし、「美しい人」という言葉に添えて返します。老婆は心から満足した様子を見せます。著者の表現力があると、味があるこの場面も、わたしが書くと、なんてことはないこのやりとりになってしまってうまく伝わらないのが残念ですが。

 ロシアという国を知るのにはそう役立ちそうにない本ですが、旅の醍醐味を感じさせてくれる本だと思います。
posted by 作楽 at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(エッセイ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月09日

「第二の銃声」

20120409「第二の銃声」.jpg

アントニイ・バークリー (Anthony Berkeley) 著
西崎 憲 訳
東京創元社 出版

 こういう実験小説は、好みです。結末も近くなってから、犯人探しをそんなふうに終えてしまうなんて、それはいい加減過ぎるだろうと思っていたら、その先でさらに驚きが待ち受けていました。しかも、ふたつ。

 読者に対してフェアな作品かどうかは、わかりませんが、わたしにとって面白い作品でした。同じ作家の作品「毒入りチョコレート事件」のときも思ったのですが、ミステリに対してわたしが抱いているイメージを覆してくれる点、人物や人間関係の描写がユーモラスな点が、印象に残ります。

毒入りチョコレート事件」にも登場したシェリンガムが、今回ももっともらしく推理を披露しますが、なかなか残念な結果に終わります。「毒入りチョコレート事件」よりさらにトホホな役回りかもしれません。ただ、語り手であるピンカートンとの会話にくすっと笑えますし、憎めない役柄です。そのピンカートンは、(この作品が発表された1930年という時代を考えると珍しくもないかもしれませんが、)女性に厳しい評価をくだす、中年にさしかかった男性です。その割に女性に疎く、女性が身につけるあれやこれやを眼にしては、どぎまぎする純情ぶりも披露していて、あっさりと恋に落ちてしまいます。さっきまでのあの辛辣な女性批判は何だったのかと唖然としながらも、憎めません。結末とキャラクターが合っていると思います。

 素人探偵が登場するエンタテイメント作品のお決まりのパターンを壊すかのような勢いが感じられるので、機会があればまたこの作家の作品を読んでみたいと思いました。
posted by 作楽 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする