2018年11月15日

「丁寧を武器にする」

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小山 進 著
祥伝社 出版

 著者がエスコヤマというケーキ店 (カフェも併設) を開いているのは、三田市です。関西の人間は、そこに目を惹かれます。「なぜ、三田 (さんだ) ?」「三田で、どうやって日にロールケーキを 1600 本売るの?」と疑問に思うような場所なのです。

 でも、この本を読めば、納得できます。

『丁寧』と書かれてあることがどれも『当たり前』のことだからです。でもその当たり前を継続することがいかに難しいかは誰もが知っています。だからこれほどの価値がうまれたのだと納得できました。

 もちろん当たり前のことだけではありません。たとえば、『「どんな想いを伝えたいのか」を考える』ことから商品の開発を始めるといいます。『ストーリーを商品に入れ込む』ことが不可欠だというのです。

 また、『今のように「足りている時代」は人と同じことをしていたらむしろ成功はしない』とも語っています。モノが溢れ、欲しいものがない時代に合ったポリシーだと思います。

 風光明媚な三田までわざわざケーキを買いに行って、ついでにアウトドアを楽しんで帰るという日常のイベントを作りだせるパワーのある著者だと思いますが、その著者を育てたスイス菓子ハイジの前田社長という方も秀でた方だったのだと思います。
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2018年11月14日

「さよなら、そしてこんにちは」

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荻原 浩 著
光文社 出版

 以下が収められた短篇集です。

- さよなら、そしてこんにちは
- ビューティフルライフ
- スーパーマンの憂鬱
- 美獣戦隊ナイトレンジャー
- 寿し辰のいちばん長い日
- スローライフ
- 長福寺のメリークリスマス

 共通するのは、現実社会で異論が生まれることがらをユーモラスに描いている点です。

 テレビのバラエティ番組で痩せるとか、健康にいいとか放映された途端、それまで見向きもしなかった食品などに群がり、短ければ数日で忘れてしまって『もっとトクをする』情報へと移ってゆく消費者が多くなっているように思います。「スーパーマンの憂鬱」では、そんな消費者を相手に苦戦するスーパーの仕入れ担当者がちょっとした穴に落ちてしまいます。

 グルメ本で星がついた途端、それまで一度も行ったこともなければ知り合いから評判を聞いたこともない店の予約をとろうと懸命になる消費者も多いように思います。「寿し辰のいちばん長い日」では、ほんのひと握りの常連を相手に見栄を張るばかりで、売上がどん底の飲食店の店主がちょっとした穴に落ちてしまいます。

 情報過多時代の消費者の行動など、ちょっとしたブームに乗ってしまう流れに対して意見は分かれると思いますが、どちらが正しいというのではなく、これらの作品のようにちょっとした笑いでやり過ごすというのもいいと思います。少なくともわたし向きでした。
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2018年11月13日

「Y 氏の妄想録」

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梁 石日 (ヤン・ソギル) 著
幻冬舎 出版

 リアリティの欠片もないという欠点を覆い隠すために、タイトルに『妄想録』と入れたのかと思われるほどの内容でした。

 作品の骨格のようなものも感じられませんし、『とっちらかった』文章という印象しか受けませんでした。読むのは時間の無駄のように思います。

 この著者の本は、これから避けたいと思います。
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2018年11月12日

「忍びの国」

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和田 竜 著
新潮社 出版

 伏線をはり、鍵となる小物を配し、意外性を埋めこみ、売れる小説をそつなく書いた作品という印象を受けました。

 一方が優勢かと思いきやもう一方が盛り返すという先の見えない展開がテンポよく続き、意外に思うものの無理がありません。登場人物の片側だけにあてていたライトをもう片側にもあてるように、心情的に無理なく転換点がつくられているように思います。

 敵の思考を読み巧みな策を練る伊賀の十二家評定衆が身内を斟酌せず策に溺れたり、わが身のことだけを考えていた下人が妻の機嫌をとるためだけに思いもしない行動に出たり、偉大な親に圧し潰された若者が本音を吐露することによって意図せず人心を掌握したり、どの転換点もクライマックスに向けてうまくつながっていました。

 また、わたしにとって意外だったのは、戦に強いだけで共感できる要素の少ない伊賀者が中心に据えられた点でした。自分たちの稼ぎしか考えない地侍に振り回された下人とはいえ、妻と自分のことしか考えられない主役というのも珍しいと思いました。

 ただ、小説の最後で、織田信長の息子に仕えた武士に『自らの欲望のみに生き、他人の感情など歯牙にも掛けぬ人でなしの血は、いずれ、この天下の隅々にまで浸透する』と言わせている点から、この作家は、現代のわたしたちの姿を伊賀者に見ているように感じられました。あるいは、伊賀者ほどは吹っ切れないものの、そうありたいと思っているわたしたちかもしれませんが、わたしにとって意外な主役であっても、多くの読者から共感は得られていたのかもしれません。
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2018年11月11日

「ねみみにみみず」

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東江 一樹 著
越前 敏弥 編
作品社 出版

 あちこちで書かれた翻訳家の文章が、没後編集されて日の目を見るなんてことは珍しいと思います。エッセイストとして活躍する翻訳家も数多くいますが、この著者の場合はそうではありません。訳者あとがきや翻訳 (ミステリ) 関連の雑誌に掲載された翻訳のエッセイがほとんどです。さらに、直接親交のあった方しか読む機会のなかった年賀状も収められているのは、『珍しい』を通り越しているかもしれません。

 やや古すぎる内容も含まれますが、軽妙洒脱で、読んでいて笑ってしまいます。海外作品をおもに紹介するミステリ雑誌、「EQ」に掲載された連載の一部には、こんな文章があります。
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え〜ん、これはつまり、翻訳が悪いってことなのかよう、水曜、木曜。
労力と情熱の対価が、あまりにも安いよう、木曜、金曜。
これじゃあ生計を立てていくことができんよう、土曜、日曜。
というわけで、わたしに残されたのは月曜だけとなってしまった (意味不明)。
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 これはデイヴ・バリーというユーモア・コラムニストが書いた本を翻訳したものの、売上が芳しくないと書いたときの一節です。こういう文章を読むと、技量はもちろんのこと、ユーモア本の売れない日本でデイヴ・バリーの翻訳に挑まれたことも含め、(ミステリだけでなく) ユーモア本を訳すのにも最適任の翻訳家だったのだと思わずにはいられません。

 わたしにとっての一番は、年賀状でした。凝りに凝った内容で、しかも、自虐ネタ満載です。一見笑えるのですが、他ジャンル用のペンネームを持ってノンフィクションの翻訳で生活費を得ながら、細々とミステリを訳していらした様子が窺え、印象に残るおもしろいミステリのあれこれや「ストーナー」のようにこの先ずっと持っていたい本を読ませていただいたことに対する感謝の気持ちが湧きました。
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2018年11月10日

「花が咲く頃いた君と」

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豊島 ミホ 著
双葉社 出版

 若手の作家が書いただけに登場人物も学生が多く、いじめなどの描写もあるのですが、まっすぐな主人公たちが語る内容は、読んでいて爽やかです。以下の 4 篇が収められた短篇集です。

- サマバケ 96
- コスモスと逃亡者
- 椿の葉に雪の積もる音がする
- 僕と桜と五つの春

 Amazon の内容紹介では、『祖父との交流を描いた「椿の葉に雪が積もる音がする」は必読』とあります。祖父と中学 2 年生の孫娘の関係を孫娘の視点から描いているのですが、わたしの場合、年齢からいって、考えることは祖父に近く、つい祖父の視点で見てしまいました。彼が孫娘に問うた「この本、要らんか?」、結果的には最後の会話になったこのひとことの意味が身に沁みました。

 Amazon の内容紹介では触れられていませんでしたが、わたしが一番気に入ったのは「僕と桜と五つの春」です。学生が主人公ならやはり成長物語がいいというのもありますが、桜の描写とそれに重ねた一途な恋が気に入りました。
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2018年10月29日

「虚像の道化師」

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東野 圭吾 著
文藝春秋 出版

浪花少年探偵団」のようなミステリ短篇集ですが、こちらはコミカルな雰囲気はありません。

 これを原作とするテレビドラマをたまたま見て、物理学の准教授が書いた難しい数式が原作でどう描かれているのか気になって読んだのですが、もとの小説には、そういった込み入った描写がなく、准教授もドラマほどエキセントリックなキャラクターとしても描かれていません。

 平均 70 ページほどの短篇でトリックを披露するとなれば、人物描写は端折らなければならないという事情はあるものの、やはりドラマでは、脚本家が頑張って話を膨らませ、キャラクターを際立たせているのでしょう。

 収められているのは、以下の 4 篇です。

- 幻惑す (まどわす)
- 心聴る (きこえる)
- 偽装う (よそおう)
- 演技る (えんじる)

「演技る (えんじる)」は、うまうまとミスリードされたものの、動機の面で少し無理が感じられましたが、演技を生業とする俳優という職業での独特の価値観と考えることもできるかもしれません。全体としては、物理学の准教授が思いやりを見せて、ハッピーエンドとなった「偽装う (よそおう)」が一番わたしの好みに合いました。
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2018年10月28日

「のりたまと煙突」

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星野 博美 著
文藝春秋 出版

 ほのぼのとした表紙に誘われ、読みました。

 最初の章立てとこの本に登場する猫の家系図 (説明書き) を見て、小説かと思ったのですが、エッセイです。読んだあとに知ったのですが、著者は、「転がる香港に苔は生えない」で第 32 回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したノンフィクション作家だそうです。

 日常的なできごとをきっかけに考えたことが書かれているのですが、わたしの場合はそれは何になるかと疑問に思ったことがありました。

 著者とそのきょうだいが大人になって両親の家を出る際に残していった子供時代の持ち物を家族で整理したときのことを書いた部分です。

 著者によれば、捨てずに残すものを選ぶものさしは、1. 忘れたくないもの、2. 自分に都合のいいもの、3. あとあとまで幸福を追体験できるかだそうです。著者の父親は、大昔、おそらく 1970 年頃に酔狂で録音した、ある晩の家族の会話のカセットテープを、遺物を整理しながら大音量で聞き続けていたそうです。このテープ 1 本さえあれば、残りの余生を十分幸せに生きていけるようだと評しています。

 わたしにとってのカセットテープは何になるのか、すぐには思い浮かびませんでした。年末に向けて、不用品を整理しつつ考えたいと思います。
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2018年10月27日

「水辺にて」

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梨木 香歩 著
筑摩書房 出版

 カヤックをしに出かけた水辺でのあれこれが綴られています。

 最初の一節、著者の視点を通して水辺を見ると、その場に対するわたしの評価も跳ね上がってしまいました。

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 水辺の遊びに、こんなにも心惹かれてしまうのは、これは絶対、アーサー・ランサムのせいだ――長いこと、そう思い続けてきた。
 ウィンダミア――初めて英国湖水地方最大のその湖の姿を見たとき、彼の小説の主人公の少年たちが――ロジャーや、ジョン、スーザンとティティたちが、「航行して」過ごした夏のことが眼前に生き生きと蘇り、胸が詰まったことを覚えている。
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 ツバメ号やアマゾン号を思い浮かべると、楽しいとしか説明しようがない雰囲気に包まれます。

 ほかにも、「たのしい川べ」(原題:「The Wind in the Willows」) の一節と、著者が水辺でネズミを見た日のできごとが交互に語られると、ほのぼのとした気分が味わえます。

 わたしは、アウトドア派には程遠いので、カヤックからの風景がこうも楽しく見えるということは、この著者の文章でしか起こりえないと思います。

 それだけではなく、理解できた水辺の背景もあります。英国を舞台とした小説でよく登場するフェンズ。なんとなく寂しく暗いイメージしか浮かべられなかったのですが、著者がこの本で引用している文を読むと、少し理解できた気がしました。

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水を征服しようと努力するときは、いつの日にか水が立ちあがるかもしれず、それによってそれまでの努力の一切が無に帰すかもしれないという覚悟が必要である。というのも、子供たちよ、万物を平坦にならそうとする性質をもち、それ自身は味も色ももたない水という物質は、液体状の<無>にほかならないではないか。そしてまた、平坦であるという属性において水とよく似たフェンズの風景は、世の中にある風景の中で、もっとも<無>に近いものにほかならないではないか。フェンズの人間なら誰でもそれを、心中ひそかに認めている。フェンズの人間なら誰でも、歩いている自分の足もとの土地がそこにないような、土地がふわふわ漂っているような……時折そんな錯覚に襲われる。
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 これはグレアム・スウィフトの「ウォーターランド」からの引用で、著者はこの本からフェンズをより深く知り、そこに紡がれるべき物語があったと理解します。かつて水をたたえていた場所を大地の一部にするよう試みるも、無に帰すかもしれない不安定さに語られるべきストーリーがあると感じたようです。

 小説を読んでイメージした作家像と見事に一致した考えだと思います。
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2018年10月26日

「ひとは情熱がなければ生きていけない」

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浅田 次郎 著
講談社 出版

 著者の小説を何冊か読んだことがありますが、エッセイは初めてだったので、自衛隊員や企業経営者を経て小説家になったという意外な経歴が珍しかったのはもちろん、学べたこともありました。

 ひとつは、日本語の文体についてです。いまわたしは、さまざまな作家の文章を読み、それぞれ文体が違うように感じていますが、それらを包括する現代の文体は、約 1400 年にわたる日本文学の歴史において、きわめて新しいものだということです。著者はこう書いています。

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日本語の自由な散文表現は、たかだか百年の歴史しかないと言っても良い。

 その百年の間には、鴎外のように漢文の骨格を大切にした作家もおり、漱石のようになよなかな和文体を用いた作家もいた。やや遅れて、芥川龍之介はその持ち前のディレッタンティズムに物を言わせて、和漢の教養の上に翻訳文の構文を融合させるという文体を創造し、志賀直哉は「話すように書く」言文一致の理想に最も適応した、わかりやすい小説文体の嚆矢となった。

 では現況はどうであるかというと、先人たちの文体とはほとんど血脈のない、純血の英語翻訳文体が主流となっている。時代が若くなればなるほど、和漢の伝統的文体は学問とみなされ、教室の外に出れば誰もが翻訳小説を読み、ハリウッド映画を見続けてきた当然の結果であろう。また文学を繞 (めぐ) る社会環境の全体も、急激にアメリカを指向してしまったので、そうした教養の吸収方法に無理や無駄がなかった。
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 自分の人生が、この百年にすっぽりと収まっているので、こうして指摘されるまで意識したことがありませんでした。

 ただ考えてみると『英語翻訳文体』が『翻訳』から生まれたのであれば、その翻訳には 2 つの言語が必要で、もとは 2 つの文体があったはずです。そのもとの日本語の文体では、いまのわたしは読めないかもしれないと思うと、『日本文学』をわたしたちの文学といえるのかと思ってしまいました。

 もうひとつは、昭和の話です。かつて銭湯にみなが通っていたころ、銭湯にある大きな鏡のなかで、ひとはそれぞれ相対的な自分の姿を認めてきたと著者はいいます。つまり、男湯では、ある者は筋骨を誇示し、ある者は老いを嘆き、女湯でも女性の規矩 (きく) に則って、同様の自己判断が行なわれていたというのです。

 いま自己評価の甘い人間が多くなったのは、この大鏡がなくなったせいではないかと著者は推測しています。自分だけが映る家庭の鏡では、他者との比較ができず、自らを絶対的視野でしか判断できなくなったというのです。

 たしかに時代とともに、職業、年齢、価値観などが違う人たちを目にする機会は減ってきているので、偏った考えで自己満足に陥らないようにしなければ……どきっとする意見でした。
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