2012年01月24日

「Gilda Joyce: Psychic Investigator」

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Jennifer Allison 著
Puffin 出版

 ある学生さんが、辞書にあるタイプライターという言葉を見て、シナリオライターやコピーライターのように職業を指す言葉だと思ったと聞いたことがあります。生まれたときからパソコンがあった世代にとってタイプライターとはそんなものかと驚きました。

 この本の主人公である13歳の少女は、そんなタイプライターをその重さにもめげずスーツケースに詰め、ミシガンからサンフランシスコまで出かけて行きます。

 サンフランシスコには同じ年頃の女の子がいる遠い親戚が住んでいて、そこで夏休みを過ごすことになったのです。自称霊媒師の主人公は、その裕福な親戚の屋敷で、幽霊騒ぎを解決しようと奮闘します。

 なにしろ13歳なので、探偵気分に浸りはするものの特にそれらしい結果を出せるわけがありません。突拍子もないことを言って大人を苦笑させたりします。それでも、同じ年代の女の子の悩みを同じ年頃の目線で解決するので、ほのぼのと読めます。件のタイプライターは、結末でなかなか粋な活躍をします。主人公にとっては、亡くなった父親と自分をつなぐ大切なタイプライターが、亡くなった者と生ける者とのつながりを果たします。

 中盤までの展開がゆっくりなので退屈ですが、それ以降は一気に読めました。
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2012年01月23日

「1973年のピンボール」

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村上 春樹 著
講談社 出版

風の歌を聴け」の続編ともいえる作品です。1969年を背景に語り手の僕とその友人(鼠と呼ばれています)の束の間の出会いを描いた「風の歌を聴け」のあと4年経って、僕と鼠がそれぞれ何を考え、どういう出会い、再会、別れを経験したかが描かれています。

 印象に残ったことが、ふたつありました。ひとつは「1Q84」の結末を読んだときにも思ったのですが、すっきりと納得できないという点です。僕と鼠は最後にそれぞれ別れを経験するのですが、どうして別れなければいけないのか何の説明もなく何も推測できず、すっきりしません。その一方で、なるべくしてそうなったという確信が伝わってくるのです。不思議な感覚です。

 もうひとつは、鼠とバーテンが、人はみな腐っていくと語り合っている部分です。
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「ねえジェイ、人間はみんな腐っていく。そうだろ?」
「そうだね。」
「腐り方にはいろんなやり方がある。」鼠は無意識に手の甲を唇にあてる。「でも一人一人の人間にとって、その選択肢の数はとても限られているように思える。せいぜいが……二つか三つだ。」
「そうかもしれない。」
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 その二つか三つをもっと具体的に書いて欲しかったです。人が損なわれていく方向の選択肢とは何なのかを。「いろんなやり方」とあるため、受動的ではなく能動的に選んでるイメージを受けます。死という無に向かって徐々に損なわれていくという感覚なのでしょうか。もしそうだとして、わたしに与えられた「二つか三つ」は何だったのか。そういう風に考えてしまいました。
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2012年01月20日

「柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方」

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柴田 元幸/高橋 源一郎 著
河出書房新社 出版

 タイトルを読むと、読み方や書き方や訳し方を教えてくれる指南書のように見えなくもありませんが、そうではありません。自分はこう見るという意見を対談のなかで引き出しあうといった感じの本です。

 柴田氏は、大学教授だけでなく翻訳者としても有名な方なので、訳すときに心がけていることや訳文を評価するときの視点などを披露されています。一方、高橋氏は小説家であるだけでなく、評論の仕事もなさっていて、興味深い文学談義を披露されています。たとえば、日本が大きな転換期を迎えた1980年代あたりを区切りに、それ以降日本で生まれた小説を「ニッポンの小説」と呼び、その特徴を指摘されています。一番おもしろいと思った表現は、次です。
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「ニッポンの小説」とたとえば戦後文学とどこが違うかっていうと一概には言えないんですけど、やっぱり言葉が壊れているとしか言いようがない。酔っ払っているというか(笑)。内容はわりと単純な話で、恋愛小説だったり普通の物語、……まあ物語がないものももちろんあるんですけれども、基本的に文章の問題なんです。つまり内容ではないんですよね。
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 この「壊れている」という表現が、わたしにとって腑に落ちるとまではいえない範囲なのですが、それでもニュアンスは充分に伝わってきます。

 あと、高橋氏の文体に対する理想も興味深く感じました。
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死ぬまで自分の文体を持たないようにしたいというのが、僕のひそかな願いではあるのです。これは僕の、読者という立場からの好みでもあるんですが。近代文学120年の歴史で、結局何が一番尊ばれたかというと文体です。さらに言うと、「これはこの人の文体だ」という私有された文体なんですね。テーマでもなく、内容でもない。ただ、僕は、文体は私有されてはいけないのではないかと思っているんです。
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 わたしは、小説家は確固たる自分の文体を築き上げたいと考えているのだと思っていました。なぜなら、文体こそがその作家らしさを語っていると思っていたからです。もちろん、作家は自らを語りたい人たちだという前提です。

 しかし、高橋氏の考えだと、小説から作家らしさが消えたほうがいいということなのでしょうね。すっとはのみこめない考えなので、どこかでまたこのテーマにひょっこり出くわしたいです。
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2012年01月19日

「天使のテディベア事件」

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ジョン・J・ラム (John J. Lamb) 著
阿尾 正子 訳
東京創元社 出版

嘆きのテディベア事件」の続編です。

 ちょっとやり過ぎじゃないの? ひとことで正直な感想を述べると、そうなってしまいます。

 ひとつは、これってコージーミステリーじゃなかったの? と思った点です。このシリーズの主役であるテディベア大好き夫婦の夫のほうは、元刑事なので前作でもかなり本格的な捜査をしましたが、今作はその比ではありません。警部補と巡査部長をあごで使い警察が有する捜査権を最大限に活用して犯人探しや証拠固めをしています。それではもう素人探偵なんて呼べませんし、コージーミステリーに期待するお決まりのお楽しみも薄れます。

 もうひとつは、登場人物の豹変ぶりについていけない点です。素人探偵が警察より先に犯人に辿り着くには、設定や展開でそれなりに工夫が必要です。この作品では、捜査指揮を執る警部補が脳みそ空っぽのうえ目立ちたがりのワンマンという設定になっています。手柄を急ぐあまり誤認逮捕しそうになるだけでなく、参考人や容疑者を平気で脅迫する三流警察官として登場します。組織のなかでそれなりのポジションで働いている人をそこまで低レベルに設定するのは苦しいはずですが、それだけでは終わりません。ある時点を境にそのいけ好かない警部補が豹変して、テディベア大好き夫婦の夫を捜査に参加させたり、並みの警察官以上に頭の回転が良くなったり、チームワークができるようになったりするのです。一瞬にして人間はそこまで変われるものかと疑問に思い始めると、気になって仕方がありませんでした。

 わたしの好みとしては、前作のほうが楽しめました。
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2012年01月18日

「夜と霧の隅で」

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北 杜夫 著
新潮社 出版

 次の短篇が収められています。

−岩尾根にて
−羽蟻のいる丘
−霊媒のいる町
−谿間にて
−夜と霧の隅で

「谿間にて」と「夜と霧の隅で」はどちらも、脅迫観念にとり憑かれて遮二無二突き進む主人公の姿に鬼気せまるものを感じました。徒労に終わると心の隅では認識していながらも挑み続けずにいられない追いつめられ感があって、その気迫に背中を押されるようにして読みました。

「夜と霧の隅で」は、1941年、ドイツでヒトラーによって発令された「夜と霧」を扱った作品で、体制を相手に感じる無力感が全体的に漂っていて暗いのですが、それでもその状況に抗おうとする医師の切羽詰まった感じに人間らしさが見えると同時に悪魔に魂を売ったかのような非情さも見えて、不思議な感覚に陥りました。そしてその医師が救おうとする患者のひとりに、ユダヤ系女性と結婚した日本人が登場します。精神を病んでいた彼がふと正気に戻ったときとった行動は、医師が患者の命を救おうとするために挑んでいる相手が体制だけではないことを突きつけます。空回りしていると知りながら、何かしなくてはいけないという観念に突き動かされた経験をまざまざと思い出した作品でした。体制に虐げられる状況で自己憐憫に浸ることなく、何かしなくてはいけないという方向に思考が向いている点は、暗い作品ながらも共感できる部分がありました。
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2012年01月17日

「完訳ロビンソン・クルーソー」

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ダニエル デフォー (Daniel Defoe) 著
増田 義郎 訳
中央公論新社 出版

 子供向けに翻案された作品を、小学生頃に読んだ記憶をもとに、この作品のことを知った気になっていましたが、あらためて読んでみると、こんな作品だったのかと思うことが色々ありました。

 ひとつは、無人島にしては極めて豊かに過ごしていたということです。豊かというのは、物質面と精神面の両面においてです。ひとり無人島にうちあげられたロビンソンは、難破船から余すところなく物をひきあげます。猟に不可欠な銃や火薬はもちろん、刃物、木材、布、食料、書籍(聖書)など、どういった品物をどれだけ手に入れたかが事細かに記載されていて、『デフォー流の細かい描写 Defoe's circumstantial description』という言い回しができたのも納得できるほどです。そのうえ、ロビンソンは勤勉このうえなく、複数の住居を構え、試行錯誤を繰り返して豊かな収穫を得たり生活を便利にする壺やら籠やらをせっせと作ったりもします。一方、精神面においては、キリスト教への信仰に目覚め、聖書を読んだり神の意図を理解しようと思慮を重ねたりして、孤独な日々に腐ったりしません。

 もうひとつは、ロビンソンが絶海の孤島に漂着するまでの生き方が、現代の感覚からいうとかなりバブルな印象を受けるものだということです。その前段階を読んでから、孤島での描写を読むと、暮らしの面でもロビンソンの気持ちの面でも変化の大きさに驚きます。

 訳者でもある増田氏の解説が巻末にあって、そこにはロビンソンがせっせと生産に励んだことやキリスト教を信じたことが、この作品の研究過程においてどのように解釈されてきたかが紹介されています。それを読むとさらに、こんな作品だったのかと意外に思う点が増えます。

 イギリス初の本格小説といわれて歴史に名を残している作品だけに、子供向け翻案で終わらずにこれも読んでみて良かったです。
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2012年01月16日

「ドルジェル伯の舞踏会」

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ラディゲ (Raymond Radiguet) 著
生島 遼一 訳
新潮社 出版

 あの三島由紀夫が多大な影響を受けたことで有名なラディゲですが、いままで一作も読んだことがありませんでした。この作品は、ラディゲが20歳で亡くなる直前まで書いていたもので、死後出版されたそうです。

 読んで何よりも驚くのが、その心理描写と作家の20歳という年齢のギャップです。登場人物は、ラディゲの少し上の世代ですが、そうだとしても、これだけの描写ができるのは、やはり並々ならぬ才能があったのでしょう。しかも、中心に描かれているのが、夫がありながら友人である男性に恋をしてしまった女性の苦悩なのです。

 もし、ラディゲが天寿を全うしていたとしたら、どんな作品を読めたのだろうかと思わずにはいられません。
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2012年01月13日

「囚われの姫君と偽りの騎士」

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ジュリア・レイサム (Julia Latham) 著
平山 容 訳
竹書房 出版

 わたしがロマンス小説に抱いているイメージどおりの作品でした。

 わたしがロマンスを苦手と感じるときは、人間の限界を微塵も感じさせない完璧過ぎる王子像だったり、思い切り高く設定されていたふたりのあいだの障壁があまりに都合よくとんとんと解決されたりする場合ですが、この作品はそこまで極端な印象を受けず、最後まで主人公を追って、読むことができました。

 1486年のイングランド、莫大な資産を相続した22歳のエリザベスが、親のとりきめた婚約者を待つ場面から物語は始まります。伯爵だった父親は生前、ラッセル子爵の後継者をエリザベスの夫にすると決め、国王の承認も受けていました。しかし、そのラッセル子爵の後継者である長男も次男も亡くなり、三男と結婚することになったのです。問題なのは、その三男ジョンが後継者になることはまったく予定外だったため、自立した生活を目指して旅に出てしまっていて、音信不通になっていることです。後継者不在の隙を狙って、国王の従弟であるバナスター子爵が、爵位と城を手に入れようと、エリザベスの後見人として名乗りをあげ城を占拠してしまいます。窮地に立たされたエリザベスを救う白馬の王子さまは意外なかたちであらわれます。

 15世紀に貴族の娘として育てられたにしては、エリザベスは現代女性顔負けの自立心を見せたりする点など、多少ちぐはぐなところはありますが、予定調和を絶対とするロマンスらしい作品で、安心してハッピーエンドまで読める展開でした。
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2012年01月12日

「封印された系譜」

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ロバート・ゴダード (Robert Goddard) 著
北田 絵里子 訳
講談社 出版

 ロバート・ゴダードお得意の昔の謎を探るミステリを軸に、ひとりの女性を巡ってかつて張りあった男性ふたりのほろ苦い思い出がクロスする構成になっています。

 語り手であるリチャード・ユーズデンはある日、ロンドンで勤め先の外務省にいつもどおり出勤しようとしていたところ、元妻のジェマ・コンウェイに呼びとめられて、ジェマの元夫のマーティー・ヒューイットソンが脳腫瘍のため余命数か月であることを知らされ、家族の形見をブリュッセルに居るマーティの手元に届けて欲しいと頼まれます。リチャードとマーティは、幼馴染であるだけでなく、ジェマとそれぞれ結婚していたという特別な間柄にあり、余命数か月という告知の衝撃もあって、リチャードはその頼みを引き受けることになります。

 しかし、その家族の形見という品物は、過去の秘密を暴く鍵となる品らしく、それを狙う人物が次々とあらわれます。そして、その家族とも親交の深かったリチャードは、過去を思い出しながら、事件に巻きこまれていきます。

 ロバート・ゴダードの作品といえば、気を塞がせる曇天のイギリスの風景というイメージがありますが、この作品では、イギリス、ベルギー、ドイツ、デンマークと転々と場所を移します。しかし、2月という季節柄、凍てつく厳冬が背景になっていて、やはり晴天の気分になれないのは、イメージどおりです。そして、軸である過去探究も、すっきり雲が切れ太陽が燦々と輝くといった結末ではありません。

 わたしとしては、「千尋の闇」や「惜別の賦」に比べて、結末に辿り着いたときの達成感のようなものが物足りない作品でした。

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2012年01月11日

「ナショナル・ストーリー・プロジェクト〈1〉」

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ポール オースター (Paul Auster) 編
柴田 元幸 訳
新潮社 出版

 ラジオ番組の呼びかけに応じて、(作家ではない)一般の人々が寄せた実話をまとめたものです。日々の暮らしに埋もれてしまい、二度と思いだせないできごとがある一方で、こんなにも強烈な印象を人に残しているできごとが、それぞれの人生にはあるのだと思いました。

 もしわたしが書き送るとしたら、どのできごとを選んだろうかと考えてみると、より一層、この本に収められたできごとが特別なことに見えてきました。

 特別というのは、たぶん発生確率が著しく低いから特別なのではなく、その人の人生に大きな影響を与えたゆえに特別なのだと思いました。いまの自分を形成するうえで要となっていることが何なのか、考えるきっかけになりました。自分の過去をたまに振り返ることも大切な気がします。
posted by 作楽 at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする