2019年10月10日

「校閲記者の日本語真剣勝負」

20191010「校閲記者の日本語真剣勝負」.png

東京新聞・中日新聞 編
東京新聞出版局 出版

 東京新聞の校閲担当者が、校閲という仕事のなかで修正を入れるべきか迷った経験などを交えながら、誤用といわれる日本語や簡単には想像できない語源などを紹介しています。

 この手の本を読むと、間違えないようにわたしも気をつけなくては……と思うことも多いのですが、今回は誤用よりも、新聞という立場の難しさを垣間見ることができました。ことばの意味が少しずつ変わり、本来の意味ではなくいわゆる誤用のほうの意味で解釈する読者が増えると、きちんと伝わっているか、気になるようです。

 そういう事情があって、ことばによっては新聞としての暫定的な方向性を決めて対処なさっている様子でした。

 たとえば『悲喜こもごも』。大学の合格発表のように喜ぶ人もいれば落胆する人もいる状況を描写するときに使われることがあります。でも「広辞苑」には、『一人の人間の中で悲しみと喜びが交互に訪れること、同じ一人の心の中で悲しみと喜びが入りまじる様子』とあります。そのため新聞では、一人の感情・心境についてではない、複数の人の情景描写には『悲喜こもごも』を使わず、なるべく『明暗を分ける』などとしているそうです。

 また『極め付けの芸術品』のように使われる『極め付け』。本来は『極め付き』だそうです。大辞泉には『書画・刀剣などで鑑定書の付いていること。優れたものとして定評のあること。また、そのもの。折り紙付き』と説明され、昔はこの鑑定書のことを『極め書き』といい、これが付いていることを『極め付き』といったそうです。それがいま『極め付け』が多用されるようになり、『極め付きに同じ』と辞書に書かれるようになってきているそうです。しかし、新聞ではなるべき『極め付き』を使うようにしているそうです。

 最後に、翻訳ではない新聞でそんなことばが使われているのかと思ったのは『孫息子』です。著者は、『孫息子』はおかしいといわれると明かしたうえで、『孫息子』に違和感を覚える理由は、かつての家制度があるのではないかと述べています。男性優位社会では、孫といえば男の孫を指し、あえて息子を付ける必要がなかったことが理由ではないかと推察しています。これは、子といえば男の子どもを表していたことからも納得ができるという意見です。そういう背景があって、あまり馴染みのないことばですが、孫の男女を区別したいときに便利であり、男女平等の観点からも、新聞では『孫息子』を使っているそうです。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月09日

「源氏姉妹 (げんじしすたあず)」

20191009「源氏姉妹 (げんじしすたあず)」.png

酒井 順子 著
新潮社 出版

 源氏物語を紐解き、光源氏と関係をもったシスターズを著者の解釈を加味して比べるという企画です。物語の流れや背景を説明したあと、女性たちになりかわって著者が独白するのですが、その独白は、それぞれの個性がうまく描き分けられ、かつ現代女性にとってもわかりやすいよう語られています。

 観察眼に優れた著者の的を射た分析と好みの表明は読んでいると楽しくなります。

 戦後、男性に比べて女性の生き方は多様化してきました。専業主婦に限られず、共働きという選択肢も生まれ、働くにしても補助的な仕事はもちろん、高度に専門的な仕事に就くことも不可能ではなくなりました。

 それぞれの女性がそれぞれの生き方を模索する時代、さまざまな価値観で光源氏と交わった女性たちを見てみることは、時間という距離がある安心な場所から眺められるだけに意外と楽しいものです。

 わたしがもっとも共感を感じられなかった女性は六条御息所です。夕顔、葵上、紫上と 3 人のシスターズを怨み殺してしまったほどの気持ちを哀れに思うもののそこまでの気持ちは理解できませんでした。著者は『どれほど源氏から疎まれても憎まれても、死んだ後まで、一個の人間として生きる道を選んだ』と評しています。一個の人間として生きることは確かに大切ですが、他人の命を巻きことはまた別の問題だと思いました。

 いっぽう、恋しいと思っている相手が閨をともにするため足繁く通ってくることがなくなっても『ひがむことなくおっとりと対応し、言いつかった仕事を粛々とこなしていた』花散里には、共感できました。著者も、そんな花散里は結局のところ幸福に恵まれたと書いています。

 ほかにも源氏の父の妻にあたる藤壺宮、その藤壺宮の面影のある紫上、床上手だったのではないかといわれる夕顔、源氏が幅広い世代の女性に手を出していた証のような源典侍(げんのないしのすけ)など様々なシスターズが登場し、様々な立場の女性の気持ち窺い知ることができ、源氏物語が長年にわたって読み継がれてきた理由のようなものをあらためて知ることができた気がします。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月08日

「行動経済学まんが ヘンテコノミクス」

20191008「行動経済学まんが ヘンテコノミクス」.png

佐藤 雅彦/菅 俊一 原作
高橋 秀明 画

『行動経済学』とは、有斐閣の経済辞典によると、実験などで繰り返し観察される行動様式を取り入れて経済主体の行動の公理をつくり,それを基に理論を構築する手法の経済学のことだそうです。

 行動経済学者リチャード・セイラーは、行動経済学によって得られた知見は、普段の生活の中で、非合理的な行動を起こしそうな時に、わたしたちをナッジ (nudge:注意をひくために、人を肘でそっと小突いて知らせる) ためのものになっていくべきと述べています。

 つまり、非合理的な自分たちの行動を知り非合理な判断を避けるため、行動経済学を学ぶことは有益であるというわけです。

 ただなかには、マイペースなわたしには当てはまらないと思える行動パターンが稀に紹介されていました。たとえば性格診断を使って説明されていた『バーナム効果』です。提示のされかたによってわたしたちは、実際はどんな人にでも当てはまる性格に関する記述を自分のためのものとして解釈してしまうことがあるそうです。これにより、占いなどで何に対しても『当たってる!』と思ってしまうようなことが起こります。例として用意された性格診断を読んで、わたしには当てはまらないと思ったわたしは性格に偏りがあり、バーナム効果が及ばないのかもしれません。著者が期待していない学びを得られました。

 逆に、期待されたとおりの学びがあったのが『代表制ヒューリスティック』です。わたしたちは様々な物事を見聞きしたときに、すでに抱いているイメージに囚われて偏った判断をしてしまうことがあります。その心のはたらきが『代表制ヒューリスティック』と呼ばれます。

 なぞなぞ形式で問われます。『ある教授のお父さんのひとり息子が、その教授の息子のお父さんと話をしていますが、その教授はこの会話には加わっていません。こんなことは可能でしょうか。』

 答えは『可能』です。性別が限定される単語が 2 種類出てきますが、教授の性別には触れられていません。女性なら可能なわけです。でもなんとなく男性だと想定してしまいます。それが『代表制ヒューリスティック』というわけです。自分が抱いた漠然としたイメージに悲しくなりましたが、いい勉強になりました。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月07日

「つながりに息苦しさを感じたら読む本」

20190928「つながりに息苦しさを感じたら読む本」.png

村上 剛 著
セルバ出版 出版

 サブタイトルとして「心が 9 割ホッとするコミュニケーションスタイル」と書かれていますが、これはこの本の内容をあらわしていないと思います。

 NLP University 認定マスタートレーナーという著者の立場から推察すると、NLP のあれこれを伝えるため、この本を書かれたのでしょう。しかし残念なことに、その幅広い知識が細切れに披露されるだけで、コミュニケーションの改善に絞った適切な助言にはなっていません。

 ただその細切れの知識のなかに、納得できる点がいくつかありました。

 そのひとつが『表象システム』です。視覚優位、聴覚優位、体感覚優位にわかれ、それぞれ行動、思考、価値観などの観点から異なるそうです。この本の内容を読む限り、わたしは、聴覚優位に該当するようです。

 聴覚優位の場合、思考が論理的で思考パターンは情報の配列となり、長所は、話の筋が通っている、言語に対し厳密で定義づける傾向があるそうです。短所は、柔軟性に乏しく、コンピュータのようだとのことです。

 視覚優位の場合、思考が直感的で情報の全体な統合を得意とし、長所は、頭の回転が速く、絵画的表現に優れ、モデリングが得意ということです。短所は、話題が飛びがちで、非難が多く、憶測や歪曲も多いそうです。

 体感覚優位の場合、思考が感覚的・情緒的で、情報を現実化する傾向があり、長所は、情け深く優しく、鋭敏な身体感覚を持ち、共感性が高いところです。短所は、感情に取り込まれやすい点です。

 自分を再確認し、他者との違いを把握するのに、この『表象システム』は、役立つように思いました。ただこの差異を越えて良いコミュニケーションを取るにはどうすればいいのかという観点からの記載がなく残念でした。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月15日

「王とサーカス」

20190915「王とサーカス」.png

米澤 穂信 著
東京創元社 出版

 7月26日の日本経済新聞で、作家の島本理生氏が『女性ジャーナリストの主人公がネパールで王宮の殺人事件の謎に挑む「王とサーカス」も素晴らしいです』と書かれていました。

 謎に挑むのでミステリといっていいのですが、わたしはミステリ好きにもかかわらず、今回は謎解き以外の要素に惹かれました。主人公である万智が旅先のネパールで親しくなった 10 歳くらいと思しき少年サガルのしたたかさや意外性、他人に対してフェアに自身に対して正直にあろうとする万智の姿、そして何よりストーリー全体を通して知りたいという気持ちが尊重されていることに好感が持てました。

 だからといってミステリとして魅力がないわけではありません。実際に事件が起こるまでのあいだに丁寧に伏線が張られ、それぞれきちんと回収されているうえ、行動に合理性があって、ミステリ小説のために取ってつけたような謎は見当たりません。

 加えて、社会的な問題が投げかけている点も印象に残りました。題名の「王とサーカス」は、ネパールの王族たちが 2001 年 6 月 1 日に首都カトマンズ、ナラヤンヒティ王宮で殺害された事実がこの作品で扱われていることからきています。万智が王族たちに関する取材を頼んだとき、事件がマスメディアに報道されれば、王がサーカスのだしものと同じ扱いを受け、王族の悲劇が大衆に消費されるという理由で取材を断られます。報道にそういった側面があるのは事実ですが、そのうえで報道をどう捉えるかが問いかけられています。

 読者ひとりひとりにそのことを考えてみる機会が与えられたのではないかと思います。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月26日

「これだっ!という『目標』を見つける本」

20190826「『目標』を見つける本」.png

ケン・シェルトン (Ken Shelton)/リチャード・H.モリタ (Richard H. Morita) 著
イーハトーヴフロンティア 出版

 前半は一般的な啓発書と同じように、自分にあった目標を見つけることが重要であるという意見が述べられています。後半は前半とは違って、小説風に自分にあった目標を見つけるきっかけに恵まれた人物が描かれています。

 あの手この手で自分にあった目標を見つけよと訴えるくらいなら、具体的なプロセスについてもっと掘り下げて欲しかったと思います。何かを理解することとそれを実践することは別で、いくら頭で理解していても実践する場では実践特有の問題が起こるものです。それについては別の本で学んでくださいというスタンスでは一冊の本として完結していないように思え、物足りなさを感じました。

 わたしの場合、家族がいないので、添付の質問シートがあまり意味をなさなかったり、手に入れたい、自由にしたい、やめたいなどと思うものがなかったりしました。自分に該当する数少ない質問に満足に答えらず、行き詰ってしまいました。

 ただ、自分の目標を見直せなかったとしても、過去を振り返り、過去を解釈しなおし、肯定的で前向きな自己認識をもち、『本当の自分』が興味を持てることを目標に設定する大切さには納得できました。いい学校に行っていい会社に就職のうえ出世するだとか、起業し収益をあげて企業規模を拡大するとか、右に倣えで自分の理想を描いても辛いだけだということがこの歳になるとわかるからです。

 この本に真の価値を見出すのは、人並み以上になろうと本当に頑張っている方々かもしれません。

 ロシュフコーは言っています。『我々は、どちらかと言えば、幸福になるためよりも、幸福だと他人に思わせるために四苦八苦しているようである。』
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月25日

「献灯使」

20190825「献灯使」.png

多和田 葉子 著
講談社 出版

 2011 年の東日本大震災後の日本をイメージさせる以下の短篇が収められています。「献灯使」は、全米図書賞の第 69 回翻訳書部門 (National Book Award/Translated Literature) を受賞しています。

−献灯使
−韋駄天どこまでも
−不死の島
−彼岸
−動物たちのバベル

「献灯使」では、老人が死なないいっぽう子供たちが脆弱になったという極端な少子社会になり、食べるものにも困り、日本の問題が世界に広がらないよう鎖国し……と、ディストピアを思わせる描写が続きます。そんななか、歩くこともままならない無名という名の子供のささやかな楽しみや献灯使というわずかな希望に触れたとき、どんな環境におかれても、ひとは生きていくのだと思いました。それが幸せなのか不幸なのか、いまのわたしにはわかりませんが。

「韋駄天どこまでも」は、この作家らしい『漢字』を分解して使った遊びのような文章です。軽い気持ちで読んでいたら、誰もがもつ感情、自分のなかにもある気持ちを突きつけられ、少しうろたえてしまいました。

 震災のあと、東京にいられなくなったら、とりあえずソウルか台北にでも行くのかななどと思いながら全然実感がなかった当時のことを思い出しました。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月13日

「仕事が早く終わる人、いつまでも終わらない人の習慣」

20190813「仕事が早く終わる人、いつまでも終わらない人の習慣」.png

吉田 幸弘 著
あさ出版 出版

 もっとも目を惹く特徴は、読みやすいことです。ひと組ずつ習慣をとりあげ、タイトルと同じように仕事が早く終わる人と終わらない人で比較しています。

 42 列挙されている習慣の比較のひと組に、自信をもてずにいたものの自ら実践していた習慣が含まれていました。
++++++++++
早く終わる人はマニュアル化思考、
終わらない人は結果が出ればいい思考
++++++++++

 まず仕事が早く終わらない人の特徴として『仕事から学んだことがあっても、何も記録に残していないので、次に同じような仕事が入っても改善につながりません。』対照的に、早く終わる人は、『仕事から学んだことを整理して、その都度ノウハウをマニュアル化します。その結果、次回の仕事のクオリティがアップし、作業効率が上がっていきます。これが時間の短縮化につながっていきます』とあります。

 押さえるべきポイントを挙げ、次の機会に思い出せる程度に詳しく記録しておくと次の機会に重宝するいっぽう、それなりに時間がかかるうえ、次の機会が必ず巡ってくるかわかりません。そのため、この考え方に自信がもてずにいましたが、これからも続けていこうと思いました。

 そのほか、絶対こういうことはしないでおこうと思っていることも仕事が終わらない人の習慣に含まれていました。
++++++++++
早く終わる人は「何を言ったのか」を重視し、
終わらない人は「誰が言ったのか」を重視する
++++++++++

 いわゆる上ばかり見ている人を見て、反面教師にしたいと思っていたので、共感できました。
++++++++++
早く終わる人は下の人からも学び、
終わらない人は上の人からだけ学ぶ
++++++++++

 常に学び続けないと新しい技術についていけない時代なのに、自分の年齢はあがっていくばかりなので、このことも絶えず忘れずにいたいと思います。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月12日

信頼できない語り手 (unreliable narrator)

 翻訳を研究する会にお邪魔したときに知ったことば、『信頼できない語り手』は、カズオ・イシグロの小説の語り手を指しているそうです。このときの会の課題が、カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」の一節で、その語り手である悦子もやはり信頼できない (unreliable) なのか話題になりました。

「カズオ・イシグロの視線」という本によると、ディヴィッド・ロッジ (Lodge, 1992) が新聞の読者を対象として小説技巧を解説した際に用いた表現によれば、「日の名残り」の語り手スティーブンスは、『信頼できない語り手』だそうです。(1989 年出版の「日の名残り」はブッカー賞を受賞しているので、あちこちで注目を集め、こういうことばが生まれたのかもしれません。)

 スティーブンスほどではないにしろ、悦子が語っている内容には不自然なことも含まれ、信頼できない語り手と言っていいのでしょう。課題になったのは、その悦子がある子供に話しかける場面です。
++++++++++++++++++++
The child said nothing. I sighed again.
"In any case," I went on, "if you don't like it over there, we can always come back."
This time she looked up at me questioningly.
"Yes, I promise," I said. "If you don't like it over there, we'll come straight back. But we have to try it and see if we like it there. I'm sure we will."
++++++++++++++++++++

 この部分の日本語訳では、主語の人称と子供の名前の部分が原文と異なります。
++++++++++++++++++++
子供が黙っているので、わたしはまた溜息をついた。
「とにかく、行ってみて嫌だったら、帰ってくればいいでしょ」
こんどは、万里子は何か訊きたげにわたしを見上げた。
「そう、ほんとうなのよ。行ってみて嫌だったら、すぐ帰ってくればいいのよ。でも嫌かどうか、まず行ってみなくちゃ。きっと好きになると思うわ」
++++++++++++++++++++

 原文のこの部分だけを見ると、"we" と言っているのに「帰ってくればいいでしょ(のよ)」となっていて、悦子が含まれている感じがまったくしません。

 ここの訳をもし変えるとしたらどう変更するかというのが課題だったのですが、"we" を「わたしたち」のように明確に書かなくても、「帰って来ましょうよ」など二人称の雰囲気を出すことができるので、そうしたほうがよいという意見に収束しました。

 また代名詞 (この場合 "she") は、日本語では不自然に感じられることも多く、特に子供の場合、万里子といった実際の名前に置き換えることは当然のようになされているのですが、この場面では明確に万里子としないほうがいいという意見も出ました。

 物語全体を読めば、語り手の悦子が、友人の娘である万里子と自らの長女を重ねていることがわかります。それを示唆する "we" であり、"The child" なわけです。それを日本語訳で消し去るのはどうなのかという議論になりました。

 同じ本を読んで意見を交わす機会というのは、いつもながら貴重だと感じました。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(英語/翻訳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月23日

「最適な『人生のペース』が見つかる 捨てる時間術」

20190723「捨てる時間術」.png

若杉 アキラ 著
日本実業出版社 出版

 わたし自身も本音では著者と同じように無駄な時間だと考えていたのに踏ん切りがつかず行動に移せなかったことがいくつかあります。

 ひとつは、乗り気ではない飲み会への参加です。プライベートではもう、楽しい飲み会へのお誘いしかないのですが、同僚との飲み会は、乗り気ではなくとも時々参加しています。著者は、飲み会に行かないせいで不利益を被るような会社は、そもそもいる意味があるのか疑問に思うといいます。そのことばに納得できたので、これからは自分の時間優先で割り切ってお断りできそうです。

 もうひとつは、さらに難易度の高い問題です。わたしが興味をもてないイベントの集客に、わたしが大切に思っている方が関わっていてお誘いされるケースです。当日、わたしにとって大切な方とお話できればそれだけで行く価値はあるのですが、集客に関わっているくらいなのでお忙しそうで声をかけられない場合がほとんどです。著者は、そんなケースで演劇に誘われたときのお断り例をこう書いています。
++++++++++++++++++++
お誘いありがとうございます (誘いに感謝)。
先日のお話とても楽しかったです (これまでともにした時間に好意を示す)。
今回は〇〇の劇なのですね。いつも応援しています (これからも好意があると示す)。
あいにく当日伺うことはできませんが、素敵な舞台になることを願っています (理由を伝えずに断る)。
++++++++++++++++++++

 ポイントは、理由を伝えていないことです。目からウロコです。これから参考にさせていただきたいと思います。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする