2014年03月19日

「かなり気がかりな日本語」

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野口 恵子 著
集英社 出版

 特定の言葉をとりあげ、その使い方の正誤を考えたり、誤用の場合はその理由を考えたりする類の本ではありません。日本語の変化からコミュニケーションの変化を考察しています。その内容は、抽象的でそれだけでは幾分わかりにくい点があるのですが、実例が列挙されているので、説得力ある内容になっています。

 印象に残っている論点は、ふたつあります。ひとつめは、若者のコミュニケーションのとり方が変化してきている点です。東京の大学で教鞭を執る著者が日常的に聞く日本語は、地理的には東京近辺、世代的には若者が多いという偏りがあります。わたしは、同じ東京近辺に住んでいても接する世代は中高年に偏っているため、若者が言葉を発することなく、相手にすべてを察してもらおうとするコミュニケーションをとるよう変化しているとは知りませんでした。ただわたしでも、直截な表現を避け、曖昧な言葉で伝えようとする姿勢は感じていたので、納得できる点もありました。

 もうひとつは、行き過ぎたと丁寧語です。通常、会話は二者間で成り立ちます。そして話者の身内がその会話に登場するとき、敬語は使われません。しかし著者は、その会話が二者間で完結せず聴衆がいる場合、たとえばテレビ放映のためのインタビューを受ける場合などは、丁寧に話しているという印象を聴衆に与えたいと話者が思うあまり、「(高級ブランドのバッグを)主人に買っていただきました」のように身内に対しても謙譲語を使う傾向があると指摘しています。同様に、身内に対して尊敬語を使って事例も紹介しています。敬語が使われる状況の変化は混乱を招きます。尊敬語と謙譲語があるため、主語が省略されても誤解が起きないと言われた日本語ですが、状況は変わっていくのかもしれません。

 どちらかというと円滑なコミュニケーションを阻害する方向に日本語が変わってきているような気がして、読んでいて不安になりました。
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2014年03月18日

「苦い祝宴」

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S・J・ローザン (S.J. Rozan) 著
直良 和美 訳
東京創元社 出版

 ビルとリディアが交互に語り手になる当シリーズ第5作です。「新生の街」に続いてリディアが引き受けた依頼は、やはり中国系アメリカ人から持ちこまれたものです。

 依頼内容は、失踪した4人の中国人を探してほしいというもの。うち2人は、不法入国者のため、白人が4人の足跡を辿ろうとしても、中国人からは何も情報を得られないことが目に見えています。そのため、リディアがリードするかたちで捜査が始まります。

 中国社会が抱える問題や中国からの移民の実情が垣間見えるこの作品で一番印象に残ったのは、物語の最後で「中国人だから」というだけで、何かを強要されることにリディアが辟易しているところです。たとえば、中国人だから中国人を助けて当然だとか、個人の意思ではなく、人種でひと括りにされるのは確かに辛いと納得できます。その一方で、「中国人だから」と自分の価値観の根拠をアイデンティティにおく発言もしていて、それにも納得できます。

 そのふたつは矛盾しているように見えても、現実の感覚であり、自然な感情だと思います。そういうところを描いているリディアの視点に色々気づかされることがあるので、このシリーズには、謎の解決に劣らない楽しみがあります。次は、中国の何が描かれるのでしょうか。

2014年03月17日

「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ」

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ジョー・マーチャント (Jo Marchant) 著 
木村博江 訳
文藝春秋 出版

 ギリシア沖の沈没船から、1901年に引きあげられた彫像等の遺物に混じっていたのは、歯車が組み込まれた箱で、機械としか言いようのないものでした。アンティキテラ島沖で引きあげられ、それ以降アンティキテラと呼ばれたその機械は、いつの時代に何を目的に作られたものなのか皆目見当もつかない状態から、年月を経て、多くの学者の調査を経て、徐々にその仕組みが解明されていきました。

 タイトルにあるとおり、その機械を古代ギリシアのコンピュータと言っても差し支えはないでしょう。しかし、古代ギリシアにコンピュータがあったのか!という驚きよりも、この機械を調べた探究者たちの思い入れや、科学が科学によって支えられている事実のほうに、わたしは惹きこまれました。

 この機械が引きあげられてから半世紀経って、放射性炭素年代測定法により沈没船の木材が紀元前260年から紀元前180年のあいだと査定されました。有機物に含まれる炭素の減少スピードに着目したこの新しい技術により、機械が作られた年代が限定されたのです。同世代の遺物に歯車が用いられた機械がなかったため、アンティキテラは、ずっとのちの機械だと推測されていたのが、覆ったのです。

 それからさら20年が経ち、長いあいだ海水に浸かって腐蝕した内部の歯車を撮影できる技術として、放射線撮影が実現しました。それまで見えなかった内部が見えるようになり、歯車の仕組みを解明できる可能性が生まれたのです。

 こうして新しい技術によってアンティキテラの解明が進み、ときにはアンティキテラの解明を目的として新しい技術が生まれたこともありました。

 解明したいという探究心から生まれた数々のエピソードは、読んでいて、なぜ科学が発達しつづけてきたのか、少し理解できた気がします。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする