2014年07月27日

「誰かについしゃべりたくなる話のネタ・雑学の本」

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日本雑学研究会 著
幻冬舎 出版

 延々と雑学ネタが続き、読み終えたころには、満腹感いっぱいになっていますが、最初のほうの話題をほとんど思い出せず……。やはりこれだけ数が多いと、疑問をもっていた事柄の答えしか頭に残らないのだと、軽い徒労感を覚えてしまいました。

 わたしの印象に残っているネタのひとつは、以下です。

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「おめがねに適う」の"めがね"とは?

 目上の人に気に入られること、認められることを「めがねに適う」という。あるいは「お」をつけて「おめがねに適う」といい、その「めがね」は漢字では眼鏡と書く。
 視力を補うレンズを用いた器具のことをメガネといい、漢字では眼鏡と書く。「おめがねに適う」のメガネも眼鏡という字を用いるが、その「おめがねに適う」は器具のメガネのことをいったものではないようである。
 慶長8年(1603)に刊行された『日葡辞書』に「めがねある人」という項目があり、それを「見るものすべてを非常によく記憶する人」と説明している。その「めがね」は器具のメガネではなく、物の善悪などを見抜くこと、すなわち眼力・鑑識眼のことであり、それは「目のさしがね」(さしがねは物差しのことで、目の物差し、目の尺度という意味)からきていると考えられている。「おめがねに適う」のメガネも、そのメガネ(眼力・鑑識眼)のことのようである。
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 この程度の長さなので読みやすいのは読みやすいのですが、もう少し掘り下げていたら印象に残りやすい気がします。たとえば、器具のメガネがメガネという呼称に定着した過程を添える、あるいは「目のさしがね」から「眼鏡」という表記への変遷を加えるなどの広がりがあると、よりおもしろい話題になるかと思うのですが、情報を肉付けしていくのは大変なんでしょうね。
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2014年07月26日

「検察側の罪人」

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雫井 脩介 著
文藝春秋 出版

 ある問題の答えがとてもシンプルで誰にでもわかることであったとしても、それを正しいと認めることは、必ずしも簡単ではないと実感しました。

 同じ罪を犯しても、刑罰を受ける者と逃れる者がいるというのは、明らかな事実です。良心の呵責を感じない者ほど、刑罰を必要としているはずなのに、良心の呵責を感じない者ほど、刑罰から逃れやすい現実があったとしても、正義を信じる者が自ら罰を下すのは間違っています。しかしこの作品を読んでいるあいだ、越えてはいけない一線を越えた人に共感する部分を自分のなかに見つけ、自らの危うさをあらためて確認した気がします。
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2014年07月25日

「俳優パズル」

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パトリック・クェンティン (Patrick Quentin) 著
白須 清美 訳

 シリーズとして読む順序を間違えてしまいましたが、「迷走パズル」の後、「人形パズル」の前がこの「俳優パズル」だそうです。

「俳優パズル」というタイトルのとおり、俳優が大勢登場します。それぞれの俳優には、忌まわしい過去があったり、隠したい事情があったり、お互いのあいだで恋愛感情や対立関係があったり、とにかく忙しいのですが、男優も女優もみな個性豊かに描きわけられていて、主人公であり演劇プロデューサーであるピーター・ダルースが舞台を評価する眼とともに、劇場の雰囲気が身近に感じられました。

 しかし、そのピーターがアルコール依存症から完全に復帰したとアピールしたい舞台の稽古中に俳優がひとり、またひとりと死んでいきます。舞台の幕があがるかどうかの瀬戸際に立たされても、ピーターは、「迷走パズル」同様、迷走を続け……。

 弱気になったり、投げやりになったり、格好良くはありませんが親近感を覚えるピーターの舞台がどうなるか気になって、あっという間に読み終えてしまいました。
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2014年07月15日

「生半可な學者」

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柴田 元幸 著
白水社 出版

 何かしら英語の表現に絡めて書かれてあるエッセイです。何かしら、というのは、繋がりにちょっと無理があるかも……と思う場面があるという意味です。

 展開の滑らかさに少しばかり難があるとはいえ、知らない英語表現や薀蓄、著者の少し意外な着眼点などを楽しく読めました。

 なかでも、これでスッキリできたと思ったのは、「変温動物の戸惑い」というタイトルでとりあげられていた We です。(変温動物と人称代名詞の We の繋がりが見えないと思いますが、そこはともかく) we の用法には、editorial we (新聞記者などが社を代表する立場で記事を書くとき、I ではなく we を使用) や royal we (日本語の朕に当たる言葉として we を使用) が説明されています。それ以外のケースで、ひとりなのに、we を使うのはやはり不自然だと著者は説明しています。その不自然な例として挙げられているのが、レイモンド・カーヴァーの「でぶ」です。

 実は、この「でぶ」に登場するのは、丸々と太っていて山のように食べる男性とその男性に給仕するウェイトレスなのですが、その男性が"私ども"は、何々をいただきたいと注文するのです。連れがいる描写は、まったくないのに。思わず何かを見落としたかと前に戻って読みなおしても、やはり男性ひとりで、変だと思っていました。著者のこの短篇に対する評価を読んだことによって理解が深まりました。

 カーヴァーの短篇集を読んでまもなくこのエッセイ集を読んだのは幸運でした。
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2014年07月14日

「CARVER'S DOZEN−レイモンド・カーヴァー傑作選」

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レイモンド・カーヴァー (Raymond Carver) 著
村上 春樹 訳
中央公論社

 出版する本がみなベストセラーになっている作家、村上春樹氏が絶賛するカーヴァーなる作家は、どのような作家なのか知りたくて読んでみました。

 読み終わったあと、うーんと唸ってしまった作品が多かった気がします。

 たとえばジグソーパズルのように、作品を細かくわけてそのピースひとつひとつを見ている範囲においては感情移入もできるし、情景も鮮やかに思い浮かぶのに、仕上がりの全体像を見ようとした途端、なんだか訳がわからない気がしてくる作品があったりします。また、わたしの人生においては死ぬまで起こりえないような不思議なことが作中で起こっても、その経緯や理由などは謎のままで、読み終わったあとに、あれやこれや考えこんでしまう作品があったりもします。

 正直なところ、カーヴァーが絶賛される理由は攫めませんでしたが、それぞれの作品の世界がどれも独創的で、他所ではなかなか味わうことのできないものであることは確かだと思います。

 収められているのは以下です。

−でぶ
−サマー・スティールヘッド(夏にじます)
−あなたお医者さま?
−収集
−足もとに流れる深い川
−ダンスしないか?
−大聖堂(カセドラル)
−ぼくが電話をかけている場所
−ささやかだけれど、役にたつこと
−使い走り
−父の肖像<エッセイ>
−レモネード<詩>
−おしまいの断片<詩>

 このなかの「ささやかだけれど、役にたつこと」は、バースデイ・ストーリーズに短いバージョンが収められています。わたしは、こちらの長いバージョンが好きです。

 レイモンド・カーヴァーは、作品から削ぎ落とすことで何かを得ようと、あるいは何かを見ようとしていたかのように、作品を短くすることに熱意を傾けていたようです。ウィリアム・A・スタルによるこの本の序文には "短いほどいい(Less is more)という審美基準に従って(中略)「骨までというのに留まらず、骨髄まで」カットしたのである" と書かれてあります。

 そんな骨抜きにしてどうするのかという、わたしの個人的心配は別としても、やはりカーヴァーとしても思うところがあって、そののち短くした作品をまた引き伸ばしています。

 わたしは、カーヴァーが作品を削りに削ってから引き伸ばしたところに、親近感を感じました。
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