2015年01月26日

「ドミトリーともきんす」

20150126「ドミトリーともきんす」.jpg

高野 文子 著
中央公論新社 出版

 タイトルは、「ともきんす」という名前の寮のことです。そして「ともきんす」は、ジョージ・ガモフの著作「トムキンスの冒険」のトムキンスをもじって付けられた名前です。。

 自然科学の大家4人、朝永 振一郎、牧野 富太郎、中谷 宇吉郎、湯川 秀樹が若かりしころ同じ下宿に住んでいたら……そしてそこにジョージ・ガモフが訪ねてきたら……という想像の世界で、それぞれの研究分野や個性や著作が漫画で紹介されています。

 これを読んで、それぞれの科学者の人生を覗き見てもいいでしょうし、紹介されている本のなかから気になったものを読んでみるのもいいでしょう。とにかく、科学に縁のないわたしでも、難しすぎて放りだしたくなることもなく楽しめました。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月25日

「The Kitchen God's Wife」

20150125「The Kitchen God's Wife」.jpg

Amy Tan 著
Ivy Books 出版

 タイトルにあるキッチンの神様というのは、中国の神様です。中国の神様社会には、会社のような上下関係があるようです。このキッチンの神様は結構下っ端で、日々人間の行動を観察し、1年に1度上司にあたる神様に、どの人間の行いが良いか、どの人間の行いが悪いかを報告する仕組みです。人間の立場からすれば、その報告次第で授けられる幸運が変わってくるわけですから、キッチンの神様にお供えをしないわけにはいきません。

 そんな立場のキッチンの神様は、もともと人間でした。働き者の妻のおかげで豊かな暮らしをしていたのをいいことに、愛人を家にひきいれ、その愛人が妻を追い出してしまっても、愛人と遊び呆けているような夫でした。

 そしてこの夫に尽くしながらも報われることのなかった妻がこの本のタイトルになっています。この物語の象徴のような存在だからでしょう。

 キッチンの神様の妻は、世の理不尽さの象徴でもあり、運命に翻弄される人生の象徴でもあり、強さと弱さが共存するという矛盾の象徴でもあるのでしょう。

 そう考えると、キッチンの神様の妻は、惨めとしかいいようがない感じがしますが、本当にそうなんでしょうか。逆に、キッチンの神様は、遊び呆けたうえに、幸運を得ようとする人々からお供えを受けて、楽しいのでしょうか。

 文化や時代も含めて、幸福や幸運のものさしについて、考えさせられました。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 洋書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月24日

「なんとか生きてますッ」

20150124「なんとか生きてますッ」.jpg

大宮 エリー 著
毎日新聞社 出版

 著者のことを知らないのですが、雑誌の新刊レビューを見ておもしろいのではないかと思い読んでみました。

 読んでわかったことは、著者はエッセイを書くほか、ラジオ番組のパーソナリティをしたり、テレビ番組やコンサートに出演したり、個展を開いたり、とにかく多才で忙しい方のようです。その忙しい日常でひき起こしてしまった自らの失敗を中心に語ったエッセイです。

 プロがおもしろおかしく書いたわけですから、もちろんおもしろいのですが、なかでも母上とのやりとりが微笑ましく、読んでいて楽しい気分になれました。膝が悪い母上を思って娘が床暖房のある部屋を用意したのに、もったいないとそれを使わず室内でスキーウェアを着て過ごす母上。娘の部屋を訪ねる口実欲しさに洗濯をしてあげようと申し出るものの、ちょっぴり手抜きするつもりで"あること"をしてしまう母上。なんとなくエッセイに登場する以外の場面も想像できて、和みます。

 失敗してしまったあと、なんであんなミスをしたんだろうと落ち込んだときに読むといい本だと思います。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(エッセイ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月23日

「日本語文法の謎を解く――「ある」日本語と「する」英語」

20150123「日本語文法の謎を解く」.jpg

金谷 武洋 著
筑摩書房 出版

日本人のための日本語文法入門」が面白かったので、日本語を教えるときに使われている日本語文法に関する本をまた読んでみました。

 日本語の構造に関しては、基本的に「日本人のための日本語文法入門」と似たような説明なのですが、とりわけ面白いと思ったのは、助詞の"は"を用いた"〜は"は、主語ではなく主題だという説明です。

 "〜は"は、主題であるということは、「日本人のための日本語文法入門」にも書かれてあったのですが、主語ではないという意見に納得はできても、主題というものが、いまひとつ理解できませんでした。しかし、以下のふたつの例を見ると、理解できたような気がしました。

例1) この本は、タイトルに惹かれた。すぐ読んだが面白かった。

例2) 吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事丈は記憶して居る。

 どちらも最初に"〜は"と述べられた内容が、次の文以降に影響を及ぼしています。

 主語が登場したあとの文では、前の文と主語が変わっていないかぎり、その主語が省略されるという意見を聞いたことがあります。その意見に従って、上記の例を見てみます。例1においては、いずれの文でも"この本"が主語であるとは考えられません。また例2では、"〜は"は主語とする説に従えば、ふたつめの文の主語は"名前は"になってしまいますが、みっつめとよっつめの文の主語は、おそらく"吾輩"ではないでしょうか。

 日本語では、主語がもともと存在しないと考えるべきか、あるいは主語が省略されていると考えるべきかは不明ですが、どちらにしても助詞の"は"を目印に主語を見つけるのは意味がないと理解できました。

 これらの例文の"〜は"が次の文までも影響を及ぼしているのを見ると、主題というものが以前より把握できた気がします。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする