2017年08月28日

「ポイズンドーター・ホーリーマザー」

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湊 かなえ 著
光文社 出版

 以前読んだ「向日葵の咲かない夏」は、工夫をこらした作品だと思いますが、こういったイヤミス風の作品は苦手で、その後、道尾秀介の作品には手が伸びませんでした。この本の作家が『イヤミス』の女王だと知ったのは、読んだあとです。短篇集なので、イヤミスといっても、二度と読みたくないと思うほどの嫌悪は感じませんでしたが、やはり苦手なジャンルです。

 タイトルにドーター・マザーとあるように、母娘の関係を背景にした作品が多く、起きた犯罪にかかわるあれこれを語る形式も似ていて、それぞれ意外性のある結末が用意されています。その意外性は、ある状況におかれた人たちが、それぞれ違った解釈をすることによって生まれます。ひとつの解釈のあと、別の解釈が提示されるのですが、こういった状況解釈の相違は日常的によく起こりますが、敢えて指摘せず、まったく違う解釈をする人たちを避けて暮らしているだけに、わざわざ小説のなかで見たいとは思えませんでした。
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2017年08月27日

「いま見てはいけない」

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ダフネ・デュ・モーリア (Daphne du Maurier) 著
務台 夏子 訳
東京創元社 出版

 友人がわざわざ送ってくれた本です。それだけでも十分にありがたいことですが、面白い本だったので、こうして読むことができて良かったと思います。

 短篇集で、以下の五作が収められています。どの作品も人物像が立ちあがってくるような描写です。とりわけ、群像劇のような「十字架の道」は、こういう人いるなあと思わずにいられない、どこにでもいそうな、だけどちょっと癖がある人たちがエルサレムをツアーで訪れ、こういうことあるなあと思わずにいられない、ちょっとしたつまづきを経て立ち直る様子が、キリストの復活のエピソードと並行して描かれています。そのコントラストが皮肉の利いたユーモラスな雰囲気を醸しています。

−いま見てはいけない
ー真夜中になる前に
ーボーダーライン
ー十字架の道
ー第六の力

 わたしが一番気に入ったのは、冒頭で死んだ父親が残した不思議な最期のことばの意味が結末で明かされる「ボーダーライン」です。最期のことばと結末のあいだにある、女優の卵の浮き立つようなロマンスの予感と演じることを楽しんでいる様子が彼女の若さをとらえていて、楽しく読めました。「いま見てはいけない」も、夫婦のちょっとしたゲームやヴェネチアの東郊トルチェロ島という非日常的な舞台を楽しむことができましたが、結末には、わたしが苦手とする不可解な現象が起こって、ちょっと怖かったです。
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2017年08月26日

「海の見える理髪店」

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荻原 浩 著
集英社 出版

 直木賞受賞作なので、読んでみました。以下の短篇が収められています。読み通して思ったのは、過去における喪失が次々と登場し、振り返ってばかりいる気分を味わいました。しかも、よそで似たような作品を読んだ記憶が蘇り、新鮮味も感じられませんでした。もちろん、わたしが読んだ順序とは違って、こちらの作品のほうが新しいのかもしれませんし、また、エピソードが似ている作品など、いくらでもあるともあるとも思います。

ー海の見える理髪店
ーいつか来た道
ー遠くから来た手紙
ー空は今日もスカイ
ー時のない時計
ー成人式

 もし数年後に再び手にしても、何も思い出せないような気がする本でした。
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2017年08月25日

「動物農場」

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ジョージ・オーウェル (George Orwell) 著
開高 健 訳
筑摩書房 出版

一九八四年」を思い出さずにはいられない内容です。こちらを読むと、「一九八四年」は、あれもこれもと詰めこまれ過ぎていた気がしてきます。本作の翻訳者である開高氏がジョージ・オーウェルの作品について本書で語っているところによると、「一九八四年」に比べ、「動物農場」のほうが作品として、はるかによくできているそうです。具体的には、「動物農場」を以下のように評価しています。
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『動物農場』というのは、プルーストやらジェイムズ・ジョイスを通過した二十世紀のヨーロッパ文学フィールドの中では、先祖帰りといいたくなるくらいのプリミティヴな小説なのですが、よくこれだけ単純な物語を書く勇気が出たものだと感心させられます。これは成功作ですね。暗い作品なのにあちらこちらにユーモアの閃きもある。大人の読む寓話であって、政治小説としては筆頭の、一、二に挙げられる小説です。
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 そのいっぽうで、「一九八四年」については、以下のように述べています。
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『一九八四年』は『動物農場』に比べて文学作品としてはるかに破綻の多い、どちらかといえば失敗作に近いものと思われるのですが、にもかかわらず私にはその名状しがたいほどの気魄の激しさゆえに、本棚からいつでも下してきたくなる書物の一冊です。失敗作だが貴重な作品だと評価したくなる本がときたまあるものですが、これはその一冊です。
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 これらの評価を読んで思ったことは、「動物農場」からは諦念を、「一九八四年」からは熱を感じたことと、諦念は現実に、熱は理想につながっていて、現実より理想のほうがパワーを持っているのかもしれないということです。わたし自身は、ユーモラスな描写が散りばめられたシンプルな「動物農場」のほうが好きですし、熱よりも諦念のほうが向いている気がします。
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2017年08月24日

「しろいろの街の、その骨の体温の」

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村田 沙耶香 著
朝日新聞出版 出版

 スクールカーストの描写を読んでいるうちに、まだ小学生や中学生だったころのことを鮮明に思い出しました。大昔のことなので、スクールカーストという呼び名はなかったと思いますが、スクールカースト自体はありました。ただ、主人公の結佳が感じるほどの明確な境界線は無かったように思います。エリートクラスとは無縁なわたしのようなおとなの場合、どこへでも流れていけるので、学校に閉じ込められている中学生ほど残酷な場面に立ち会うことは無くなり、残酷な記憶が薄れているだけなのかもしれませんが。

 こうしてわたしの記憶を鮮やかに掘り起こしたので、この作品のリアリティを否定はできませんが、結佳が好きな伊吹の無神経さには、リアリティが感じられませんでした。周囲の何に対しても鈍いのであれば、人物像として破綻しないと思いますが、スクールカーストには気づかないけれど周囲への気配りはできるというキャラクターはイメージできませんでした。

 また、おとなが描くこども視点の小説とはいえ、小学生時代の結佳の分析は鋭すぎて、その延長線上に、自分を持て余してばかりいる中学生の結佳がいるようにも思えませんでした。

 この作家に限れば、読者が自身の経験や知識と照らし合わせるような作品ではなく、「殺人出産」のような非現実的な設定や「コンビニ人間」のような個性が特別際立っている人物が登場する作品のほうが、わたしには向いているのかもしれません。
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