2017年10月29日

「日本語の古典」

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山口 仲美 著
岩波書店 出版

 奈良時代の「古事記」から江戸末期の「春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)」まで、作品中に使われていることばに注目しながら、古典名作を紹介しています。

 著者が選んだ『ことば』という切り口で見たとき、もっとも驚いたエピソードは、「古事記」です。『ねぐ』ということばが取りあげられているのですが、これはのちに『ねぎらう』を派生させたことばです。

 景行(けいこう)天皇がヤマトタケル(幼名:オウスノミコト)に「何(なに)とかも汝(なむち)が兄(え)の朝夕(あしたゆふべ)の大御食(おほみけ)に参(ま)ゐ出(い)で来(こ)ぬ。専(もは)ら汝ねぎし教(をし)え覚(さと)せ」と言いました。「どうしてお前の兄は朝夕の食膳に出て来ないのか? よくお前からねぎらい教えさとしなさい」という意味だそうです。この兄は、オオウスノミコトのことですが、このあと弟に殺されてしまいました。なぜなら、弟が『ねぐ』をそういう意味にとったからです。著者は、ヤクザ仲間や運動部で「かわいがる」と言うと「痛めつける」「しごく」ことを意味するのと同じように、オウスノミコトが『ねぐ』を痛めつけて始末する意味にとったと説明しています。

 怖い話です。痛めつけた結果の傷は癒えても、殺してしまっては取り返しがつきません。それだけに、オウスノミコトの気性がよく伝わってきます。

 ほかにも、古典が数多く登場しますが、翻訳に関係する印象的な古典がふたつありました。ひとつは「伊曽保物語」です。わたしの学生時代の成績は、目も当てられないほどだったので、これが「イソップ物語」の翻訳で、しかも1593年刊行と、江戸時代より前に訳されていたとは知らず、驚きました。

 もうひとつは、「解体新書」の翻訳をしたとされる杉田玄白が書いた「蘭東(らんとう)事始」(一般的に「蘭学事始」として知られている書の原書名)です。「解体新書」のクレジットには、杉田玄白の名しかありませんでしたが、実は、杉田玄白にとって師と呼べる前野良沢が翻訳において最も大きな役割を果たしていました。その結果、前野良沢との関係が壊れてしまい、杉田玄白は、この「蘭東事始」で「解体新書」の経緯を詳らかにしたかったのではないかと著者は、解説しています。

 この著者の解説を読めば、ふだん接することのない古典も、おもしろい読み物に感じられました。
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2017年10月28日

「ガイコツと探偵をする方法」

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レイ・ペリー (Leigh Perry) 著
木下 淳子 訳
東京創元社 出版

 原題は「A SKELETON IN THE FAMILY」です。これは「A SKELETON IN THE CLOSET」とか「A SKELETON IN THE CUPBOARD」とか「A FAMILY SKELETON」(直訳すると「クローゼット(戸棚)のなかの骸骨」とか「家族の骸骨」という意味)をモジッています。「英語クリーシェ辞典」(ベティ・カークパトリック著、研究社出版)によると、恥ずべき秘密を指す言い回しだそうです。殺された人の遺体が戸棚などに隠されていて、もう白骨化しているという発想からくるもので、19世紀中頃からクリーシェになったそうです。「Scholastic Dictionary of Idioms」(Marvin Terban著、Scholastic Inc.出版)では、語源は不明としつつも、もう少し踏みこんで、ある男が敵を殺してクローゼットに隠していたものの結局はその骸骨が見つかってしまった話があったと書かれています。

 このクリーシェを文字どおりにとって、その意味としたのが本作品です。つまり、クローゼットのなか(あるいは屋根裏部屋)に骸骨がいて、その骸骨が外聞をはばかる秘密だという設定です。タイトルのとおり、そのガイコツと一緒に謎を解かんと探偵のように奮闘するのですから、そのガイコツ(名前はシド)は、眼球もないのみ見ることができ、脳もないのに考えることができ、舌もないのに喋ることができます。おまけにユーモアのセンス(少し子供っぽいというかオジサンっぽい)も持ちあわせています。そして、その相棒となるのは、一家の次女ジョージアです。ジョージアは、6歳のときに初めてシドと出会い、約30年経ったいまは、ティーンエージャーの娘を抱えるシングルマザーです。

 語源どおり、この作品でもガイコツが見つかってしまうのかハラハラしますが、シドの描写と人格というか骸骨格(純粋に『人』とは呼びにくいですから)が、ことばの遊びにもなっていて、謎解きと同じくらい楽しめました。
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2017年10月24日

「私小説 from left to right」

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水村 美苗 著
筑摩書房 出版

 わたしにとって、斬新としかいいようのない形式の小説でした。横書きで、英語の文と日本語の文が入り混じっています (日本語の文に英語の単語が挿入されたりもしています)。外国人と結婚した友人などが配偶者や子どもたちと話しているときの様子そのままに、小説のなかで会話が交わされ、独白がなされる小説というわけです。しかも『〜である』調です。

 12歳のとき、両親と姉とともにアメリカに渡り、その後およそ20年経っても大学院に籍を置きながらアメリカに暮らす、この小説のなかの30代の美苗は、帰る家(家庭という意味でもあり物理的な場所という意味でもあります) を奪われ、孤独に苛まれていると、この小説のなかで語っています。いつまでも大学院生であり続けることもできず、日本に帰るべく行動を起こすこともできず、宙ぶらりんでいる美苗が振り返る過去を読むと、日本で生まれ育った日本人が意識したこともない事柄、とくに日本人やその価値観に関係することが、いろいろ理解できました。また、日本語を拠りどころに過ごした美苗の学生時代を読めば、「日本語が亡びるとき」で著者が国語教育を充実させなければならないと力説した気持ちが以前よりわかったような気もします。

 そのいっぽうで、この小説のなかの話は、あくまでも過去のことであり、限られた環境下の話だと思わずにはいられませんでした。日本において、一億総中流時代は遠い過去になり、村や町といったコミュニティの姿も変わり、外国人労働者に頼る事業が増え、『格差社会』ということばが浸透したいま、この小説のなかの美苗が語る内容は、恵まれたお嬢さまの憂鬱に映り、現代の同世代の読者が、美苗の悩みに共感するのは難しいのかもしれないとも思いました。
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2017年10月23日

「謎解きの英文法 文の意味」

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久野 すすむ/高見 健一 著
くろしお出版 出版

 あまり期待せず軽い気持ちで借りたのですが、想像を遥かに超えて良かったです。こういう本で文法を学べば、文法に対する苦手意識を持つわたしのような学習者が減るのではないかと思ったほどです。

 特に勉強になったと思ったのは、I.二重目的語構文と II.受動態です。

I.二重目的語構文

 二重目的語は、以下の a. ような文です。
a. John taught Mary English.
b. John taught English to Mary.

 まず、驚いたのが、a. と b. では、b. のほうが基本だということです。以下 c. から d. は、どれも似ていますが、冠詞の違いに気をつけてみると、c. だけが旧情報 (the) よりあとに新情報 (a) 情報が出現します。よって、c. は自然な流れです。いっぽう、d. も e. も新情報より旧情報があとにきていますが、d. は基本形なので、自然な文になりますが、e. は不自然になります。あくまで、この一文で見た場合に限るので、前後の流れによって結果が変わることはあるそうです。

c. John gave the book to a girl. (自然)
d. John gave a book to the girl. (自然)
e. John gave a girl the book. (不自然)
 
 さらに、a. と b. には、ニュアンスの違いがあって、a. は、「ジョンがメアリーに英語を教えた」結果、メアリーが英語を学んで身につけたという含意があるのに対して、b. には、そのような含意がないそうです。いままで知らずに使っていました。

II.受動態

 受動態の項では、自然な受動態の文になるためには、以下の 1. と 2. (2-1.または2-2.) の条件を満たす必要があると説明されていました。

1. 能動形で他動詞となる文は、目的語の指示対象(つまり他動詞の目的語)が、動詞が表す動作の総体的ターゲットでなければならない。

『総体的ターゲット』ということばが、わたしには難しかったのですが、影響を受けて変化がもたらされるといった何かのターゲットになるという意味のようです。たとえば、ふつうの教授がひとり退職したことによって大学が受ける影響はないと考えるのが一般的なのでと、以下の (1) は、受動態として不自然になるそうです。

(1) The University of Hawaii was quit by Professor Smith in 1960.

2. 2-1.または2-2.の条件を満たさなければならない。

2-1. 受け身文は、その動詞が表わす動作が、その主語の指示対象の状態に変化をもたらしたことに関心を寄せる内容でなければならない。

(2-1) Today's mail was delivered by our regular mailman.

(2-1) は、昨日の郵便ではなく、今日の郵便に注目しているので、自然な受け身文です。

2-2. 受け身文は、話し手がその主語を性格づける内容でなければならない。

(2-2) Hamlet has been ready by millions of people all over the world.

(2-2) の場合、ハムレットが世界中の何百万人という人々に読まれるほどだという特徴を表わしているので、自然な受け身文です。

 二重目的語構文にしろ受動態にしろ、学生のころ、書き換え問題を散々させられた記憶がありますが、最終的には何もないところから自分の意見を書くことが求められるのですから、能動態を受動態にする手順、あるいはその逆の手順といったことより、こういった理論を学ぶべきだったと思います。
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