2018年03月26日

「言葉と発想」

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伊藤 笏康 著
放送大学教育振興会 出版

逆転の英文法」と同じ著者の本です。こちらでは、わたしが英語で苦手とする冠詞について、発見がありました。内包と外延という概念さえ理解できれば、定冠詞の理解が深まる内容だと思います。内包と外延は、広辞苑第六版で次のように説明されています。

内包……概念の適用される範囲(外延)に属する諸事物が共通に有する徴表(性質)の全体。形式論理学上は、内包と外延とは、反対の方向に増減する。例えば、学者という概念は、哲学者・文学者・科学者・経済学者などの学者の全種類を包括するが、学者という概念に「哲学研究」という徴表を加えると、内包はそれだけ増加し、外延は反対に減少する。

外延……ある概念の適用されるべき事物の範囲。例えば金属という概念の外延は金・銀・銅・鉄などである。

≪the の用法≫

1. 個体を指す場合

外延をあらわす名詞から特定の個体を取りだすというか、指し示すために定冠詞が使われるケースです。

1-1. 以前の文脈から一つに決まる個体を指す

He saw some hats …… He thought about the hats.
(帽子がいくつか彼の目にとまりました。……彼はそれらの帽子のどれを買うか考えました)

about the hats といったときの the hats は、He saw some hats の hats だと文脈からわかる例で、わたしが the の使い方を思い浮かべるとき、一番に思いつくものです。

1-2. 日常文脈で一つに決まる個体を指す

Take this paper to the president.
(この書類を社長にもっていってくれ)

社員がこの一文で指示を受けたときに指す社長は、自社の社長です。言わずとも暗黙でわかる文脈から特定され、the が使われています。実は、the sun、the moon などもここに分類されるそうです。この世にひとつしかないものには定冠詞を使うと教わりましたが、それは誤りで、その根拠は、ギラギラした太陽のことを a glaring sun、何と美しい太陽かと感嘆するときは、What a beautiful sun! というように、不定冠詞を使う例があることだそうです。

1-3. いきなり 'the' を使い、文脈を確認する

たとえば、ゴルフコンペで、

He'll hit the ball into the trees.
(あいつこの球を林に入れるぞ)

となれば、the ball は当然「彼がこれから打つ球」だし、the trees は「このゴルフ場の林」だと分かるから、the が使われています。the があることによって、いまのこの状況の話だと気づかされることになるというのです。わたしにとっては、1-2. との違いが曖昧なのですが、それでも考えれば、使えそうな the です。

1-4. 初出の 'the' を繰り返して使い、新たな文脈を作る

この項の使い方は、わたしがいままで意識したことがなかったものです。

The mom should stay home, and the dad should work.
(お母さんは家にいて、お父さんは仕事に行くのがほんとうだ)

mom も dad も、初めて登場するときから the がつけられています。そうすることによって、the mom と the dad は同じ家庭のおとうさんとおかあさんだとわかり、家庭の一般論を述べているという文脈ができあがります。こういう使い方を思いつくのは難しそうですが、これらの定冠詞を不定冠詞に置きかえてみると、違う家庭のおとうさんとおかあさんがペアになることも考えられるため、おかしくなり、やはり定冠詞を使うべきだとわかります。

The kind of curve that the pitcher must give the ball so that it will change its course just in time to baffle the stroke of the batter would be a matter of very interesting scientific research.
(バッターのスイングの瞬間に合わせてコースを変え、空振りを取れるボールを投げるために、ピッチャーは球にどんな種類の変化を加える必要があるのか。これは科学的研究の立派な対象となる)

このなかの the はすべて初出だそうです。こうして繰り返されると、英語の原則を知っている人は「新たに出てきた the の名詞群をひとつの文脈で理解しようと」考えるそうです。そして、the kind of curve、the pitcher、the ball、the stroke、the batter をつなぐひとつの文脈ができあがり、「ピッチャーが球を投げ、バッターが打とうとする」場面 (文脈) が作り出されるというわけです。しかもこの文は一般論を述べたものであり、これらの the が現実の人やモノを特定しているわけではないこともわかります。

2. 概念を指す場合

2-1. 概念の内包を、一つの典型的な個体に託して表す

日本語で「左甚五郎はほんとうの職人だね」というとき、左甚五郎はいちばん優秀な職人だといいたいわけではなく、「職人らしい職人」「職人を絵に描いたような人」だといいたいわけです。これにあたるものが次のような文です。

Beer is the drink for hot weather.
暑いときの飲み物はビールだね

He is the quite the English gentleman.
彼は英国紳士そのものだ

この彼は、英国紳士がもつべき性質、つまり「英国紳士」の内包を完璧に備えています。そしてこの the は「典型の 'the'」になります。典型の 'the X' とは、
(a) 'X' 概念の内包を完全に備えている個体を指定して
(b) それを 'X' の権化と考え
(c) いくつもある 'X' の代表とする
ものといえます。

2-2. 概念の外延 (集合全体) を一つの個体として指す

The Russians have the largest reserves of natural gas in the world.
ロシアには天然ガスが世界でいちばん多くある。

Americans should know the Russians.
アメリカ人はロシア人を知るべきだ。

上記の『初出の 'the' +複数名詞』というかたちは、概念の外延を個体として語っています。「ロシア人」をひとくくりにして、「ロシア人全般」「ロシア人というもの」と平板化して一律に扱っているため、ロシア人とせず、ロシアとしたほうが自然な訳になることがあります。また、差別的な表現になることもあるそうです。具体的には、Americans should know the Russians. という文の Americans には、具体的な人間が複数いるイメージがあるいっぽう、the Russians は十把ひとからげで「ロシア人というもの」という意味になっていて、その使い分けが人の扱いの差としてあらわれています。

そう説明されて初めてその差に気づくレベルなので、この『初出の 'the' +複数名詞』を使えそうにはありませんが、せめて見かけたときに気づけるようになりたいと思います。
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2018年03月19日

「逆転の英文法」

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伊藤 笏康 著
NHK出版 出版

 いまさらですが、この本で英語の時制の使い分けが学べた気がします。ひとつは、現在完了形と過去形の使い分けです。わたしが仕事で関わっているコンピュータソフトに含まれるもの、たとえばオンラインヘルプなどでは、英語の原文で、現在完了形が頻出しますが、日本語に訳すときは過去形にすることがほとんどです。そうすると自然な文章になるのが理由ですが、その理屈は理解できていませんでした。

 著者の説明によると、英語母語話者は、動作や行動に「開始」「中間過程」「完成」「その後の状態」の 4 段階があると考えているそうです。このうち、完了形があらわしているのは「その後の状態」です。

 たとえば、100 のステップから成る仕事をコンピューターが処理すると仮定します。処理を「開始」したあと、順次ステップ処理を進めたものの、あるステップ(「中間過程」) で エラーが発生したとします。ただ、その次以降のステップも順調に進み、処理が最後まで終わった (「完成」した) とき、エラーが 1 個あったとコンピューターがユーザーに知らせるのに使われるのは、英語では基本的に完了形、日本語では基本的に過去形です。

 著者の説明によると、英語母語話者は、「動作・行動がすでに終わった」と聞くと、「それじゃもう『その後の状態』が始まっているのだな」と考えるそうです。つまり「行動が終わっている」ことで大切なのは、「すでに行動が存在しない」ことではなく、行動によって生み出された「現在の状態」がどうなっているかということです。つまり、たとえひとつのステップであってもエラーが発生したことによって、現在もその影響を受けている限り、完了形を使うということです。

 著者が説明するこの 4 段階は、過去形と過去進行形の使い分けにも応用できます。「開始」「中間過程」「完成」のすべてを見たときは過去形を使えます。しかし、「中間過程」のどこかを見ただけであれば、過去進行形になります。

1. May made the cake this morning.
メイは今朝、そのケーキを作った
2. May was making the cake this morning.
メイは今朝、そのケーキを作っていた

 1.と 2.では話し手が見た時間的範囲が違うということは、この本を読むまで考えたこともありませんでした。基本的なことだけに、いまさらでも知ることができて良かったと思います。
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2018年03月12日

「あんしん健康ナビ アトピー性皮膚炎」

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花川 博義 著
1万年堂出版 出版

 物心ついたころからずっとアトピー性皮膚炎に悩まされてきたので、なんでも知っているくらいに思っていたのですが、知らなかったことが 2 点書かれてありました。

 ひとつめは、平成18年発表の論文の内容なので、新しい情報でも何でもありませんが、『多くのアトピー性皮膚炎患者に、フィラグリン遺伝子の異常がある』そうです。インターネットで検索してみたところ、『フィラグリンは、皮膚バリア機能に必須のタンパク質であり、遺伝子変異により皮膚バリア機能が低下すると種々の抗原に易感作性となり、アトピー性皮膚炎を発症しやすくなると推測されている』と説明する乃村俊史氏のペーパーが見つかりました。やはりアトピーは、生活習慣だけでは説明がつかないものなど納得できました。

 もうひとつは、アトピー性皮膚炎の人は、かゆみの神経が、表皮の中に入り込んで、皮膚の表面近くまで伸びていること (通常は、表皮の下を走っているそうです)が、近年、発見されたそうです。かゆみを我慢できない理由も納得できました。

 ずっと悩まされてきた症状を改善できるほどの情報は得られませんでしたが、「生活習慣が悪かったのかな?」とか「かゆみを我慢できないのは意志が弱いから?」などと思う必要は、なさそうだと知ることができて良かったと思います。
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2018年03月06日

「歎異抄」

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唯円 著
川村 湊 訳
光文社 出版

 浄土真宗の開祖・親鸞の弟子である唯円が、親鸞の死後その教えが、歪められ、異なったものになってゆくことを憂え、歎じて、それを正すために書いたものといわれるこの歎異抄ですが、わたしは原文で読む力がなく、現代語訳で読んだ(、あるいは授業などで読まされた)記憶があります。でも、この現代語訳からは、以前とはまったく違った印象を受けました。それは、関西弁で書かれてあるためです。

 歎異抄には、親鸞が語ったことばを聞いたままに再現した部分と、唯円が親鸞と交わした会話を書いた部分があります。どちらにせよ、親鸞が話した内容といっていいと思います。関西に生まれ育った者にとっては、やはり話ことばイコール関西弁 (大阪弁、神戸弁、京都弁、河内弁など、それぞれに差はあるものの、標準語とは違うことば) なので、こうして関西弁の現代語訳を読むと、唯円という人物が耳にしたことを語っているという雰囲気がリアルに伝わってきます。思い切った訳だと驚きました。

 特に、九(条)で、浄土に行きたいという気持ちが起こらないと打ち明ける唯円に対し、自分も同じことを感じていたと率直に伝える親鸞のことばは、親鸞の人柄が滲みでているように感じられました。

 ところが、Amazon のレビューを見たところ、低い評価が目立ちました。関西圏のことばで生活していない方々にとっては、単に読みにくい訳でしかなかったのかもしれません。私にとっては、読む前に期待していた以上に斬新かつ読みやすかった訳だけに意外でした。

 ただ、私は宗教に関してはあまり関心がなく、親鸞の教えをある程度理解できても、気持ちが揺さぶられることはありませんでした。特に、業縁によって人の行ないが決まるように読める十三(条)は、腑に落ちません。それが喩えであっても、当時は狩りをしたり魚を釣ったりして食糧にするのも悪とされるような、現代と異なる善悪の定めがあったことを考慮しても、納得しがたいものがあります。

 宗教に傾倒するには、他力本願であろうがなかろうが、まずは救われたいといった願望がないと難しいのかもしれません。
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2018年03月05日

「縮小ニッポンの衝撃」

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NHKスペシャル取材班 著
講談社 出版

 テレビ番組のために取材した内容がまとめられたものです。財政破綻した夕張市のその後を取材したり、限界的集落ではなく本当に消滅してしまった集落(島根県江津市の瀬尻集落)の最後の住人を訪ねたり、行政のサービスが住民に移管された地域を比べたりといった取材には、生々しい住民の声がありました。どれも、先例のないスピードで少子高齢化が進む日本で起こると想像していたことばかりですが、やはり経験者が語ることには、想像を超える切実さがありました。

 その切実さは、代々受け継がれてきた土地に対する思いや住みなれた環境に対するこだわりを捨てる以外の選択肢がなくなったことから生まれています。集落からはずれたところにたったひとり残された住人のための道路や水道といったインフラを維持するため、年間数百万円も支出するといったことが不可能になり、転居した人。その一歩手前で、数戸の集落がそろって移転する計画を相談する人々。さらにその少し前で、行政がサービスを提供できなくなり、自らの手で行政の機能の一部を担う自治組織(『地域運営組織』)を担っていく人々。それらの人たちからは、不安や諦念や怒りが窺えますが、いま都会に住んでいるわたしたちも、そこから学ぶべきことは多いように思いました。

 たとえば、いま住んでいるところから知らないどこかに転居を強いられることになったとき、理不尽だと思うのなら、いまできることを何かすべきだと思います。たとえば、地方行政に関わる仕事をしていて、その団体がなくなると決まったとき、後悔するのなら、生き残りをかけてすべきことがあると思います。
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