2018年04月24日

「二十歳の原点」

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高野 悦子 著
新潮社 出版

 二十歳で自殺した大学生の日記が死後刊行されたもので、長年、増刷や改版を繰り返して読み継がれてきたようです。

 学生運動が活発だった時期の 1969 年 1 月 2 日に彼女が二十歳の誕生日を迎えた日から日記は始まりますが、読み始めてすぐに気づくのは、将来の夢や毎日の楽しみといった若い女性からイメージするような内容が何も見当たらないいっぽう、自分に問題を課したり、厳しい自己評価を下したり、ひたすら自分と向き合う真摯な姿が浮かびあがってくることです。

 そして半年ほどのあいだ記されたこの日記が始まる前から、常に頭の片隅に死のイメージがあったのではないかと思われる記述が散見されました。『人間はしょせん独りである』と書きつつも『独りでいるのはさびしい。恋人がほしい。』と書き、好感をもった男性について、『私が死んだら彼はどう思うのかな。』と考えていました。

 繊細な性格であると同時に観察力に優れ、自らの内面を見つめ『私は我 (が) の強くない人間である。私は他者を通じてしか自己を知ることができない。自己がなければ他者は存在しないのに、他者との関係の中にのみ自己を見出している。他者との関係において自己を支えているものは何なのか。』と、自らに問うています。

 正直な気持ちを日記にしたためつつ、毎日を送っていた彼女に「ありのままの自分でいて、いいと思います」と伝えたくなりました。
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2018年04月23日

「陸王」

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池井戸 潤 著
集英社 出版

下町ロケット」と似た作品です。資金調達に苦しみながらも新しいモノを開発しようと奮闘する中小企業、それを潰そうとする大企業、実績だけにこだわる銀行など、登場する面々も似ていますし、善と悪のわかりやすい対立を基軸としていたり、特許などの権利関係を絡ませて企業間の駆け引きがあったり、紆余曲折を経てハッピーエンドを迎える展開や万人受けしそうなわかりやすさも似ています。

 少し違うのは、今作で中小企業が開発を挑むのは、「下町ロケット」のロケット部品と違って、一般消費者もイメージしやすいランニングシューズだという点です。中小企業の規模も零細に近い規模で、社長がビジネスに疎かったり、そのランニングシューズがアスリートという生身の人間をサポートすることを通し、ビジネスの枠では捉えにくいスポーツの世界やアスリートの視点も描かれたり、より身近な印象を与えています。

 理不尽なことしか起こらない現実の仕事をいっとき忘れて理想に浸れる作品だと思います。
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2018年04月17日

「日本語は美しいか―若者の母語意識と言語観が語るもの」

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遠藤 織枝/桜井 隆 著
三元社 出版

『まとまりのない残念な出来の本』です。とても興味深いコンテンツが含まれているいっぽうで、一冊の本には一定のテーマが必要だということも、本は読者との対話だということも、忘れ去られているように思いました。

 この本は、「第 1 部 美しい日本語」、「第 2 部 敬語」、「第 3 部 調査報告 4 つの言語の言語観」の三部構成になっています。「第 3 部」は、各地 (日本、韓国、ニュージーランド、中国 (北京と武漢)) の学生 (ニュージーランドは、例外的に学生に限定されません) を対象にそれぞれの言語について思い浮かぶイメージを問うた調査とその分析で、とてもおもしろく読めました。

 まず、調査地点によってニュージーランドとアジアで分けて見ることができますが、アジア内でも日本と韓国はそれぞれ日本語と韓国を母語として育つのが一般的ですが、中国は中国語 (おそらくMandarin Chinese) を母語としない学生も多く、ニュージーランドとの共通点が見つけられます。

 次に、日本と韓国では文字による違いがあらわれ、韓国ではハングルやその祖となった世宗に言及する学生が多いのですが、日本では、漢字とひらがなとカタカナという文字の混在に言及する学生が多くなっています。

 このように「第 3 部」については、読者が自身がさまざまな視点で比較もできますし、分析内容も簡潔かつ明瞭でした。

 問題なのは、表紙のタイトルと「第 3 部」のあいだにある内容です。「第 1 部」では、日本人は、「日本語は美しい」と感じたり、「美しい日本語」を大切にすべきと思っていると述べたうえで、その考えに影響を与えたであろう過去の主張を列挙し、それぞれに反論しています。「第 2 部」では、「日本語は美しい」といわれる根拠は敬語にあるかのように敬語をとりあげ、複数の映画に登場する会話から敬語を拾っています。

 出発点である『「日本語は美しい」と思っている日本人』という図式の根拠が薄弱で、「第 1 部」は、砂上の楼閣を思わせます。また、「美しい日本語」と「敬語」に客観的な関連性を見いだせず、「第 2 部」は、唐突に感じられます。さらに「第 3 部」では、現代の日本人 (学生) が『日本語は美しい』などと思っていないことが明らかになるため、全体の流れとして不自然です。

「第 3 部」の調査と分析が的確なだけに残念な印象が残りました。
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2018年04月16日

「わくわく数の世界の大冒険」

20180416「わくわく数の世界の大冒険」.png

桜井 進 著
ふわ こういちろう イラスト
日本図書センター 出版

 子供向け書籍のベストセラーです。数を扱う本なのに子供が興味を示すので、親御さんが喜んで買い与えるのだろうと思える本です。

 たとえば、桁数の多い数字を見て、3 の倍数とか 8 の倍数とか、ぱっと言い当てられると、「え? どうやってわかったの?」と思う心理を利用し、マジックのタネを探すような遊び感覚で数字を楽しめるよう工夫されています。

 次がその倍数を見分けるルールです。

2 の倍数……一の位が 2 の倍数

3 の倍数……各位(かくくらい)の和が 3 の倍数

4 の倍数……下 2 桁が 4 の倍数

5 の倍数……一の位が 0 か 5

6 の倍数……一の位が 2 の倍数で各位の和が 3 の倍数

7 の倍数……
@ 3 桁…百の位を 2 倍した値と下 2 桁の和が 7 の倍数
A 4、5 桁…百以上の位を 2 倍にした値と、下 2 桁の和が 7 の倍数
例: 11963→119×2+63=301→3×2+1=7→7 の倍数
B 6 桁以上…3 桁ごとに交互に足したり引いたりした和が 7 の倍数
例:186823→−186+823=637→6×2+37=49→7 の倍数
(加減算の結果が 3 桁なら@を繰り返す)

8 の倍数……百の位を 4 倍した値と、下 2 桁を比べて大きいほうから小さいほうを引いた差が 8 の倍数

9 の倍数……各位の和が 9 の倍数

10 の倍数……一の位が 0

 たとえば 3 の倍数の場合、10 でも 100 でも 3 で割ると常に 1 余るところに気づくことができれば、マジックのように見えた判定ルールの仕組みがわかるようになります。数字を使った頭の体操といった感じでおとなも楽しめます。
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2018年04月10日

「ビミョウに異なる 類義の日本語」

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北原 保雄 著
小学館 出版

 タイトルにあるようにビミョウに違うことばを比べているのですが、驚いたことがいくつかありました。

 まず、ワイシャツとカッターシャツ。これらが同じ衣類を指していることは、実物を見ていればわかることなのですが、驚いたのはカッターシャツの語源です。スポーツ用品メーカーの美津濃 (現ミズノ) の元社長水野利八氏が「勝った」をもじって作ったそうです。『カッター』が日本語だったなんて驚きです。

 次に、ウールとカシミヤ。ウールが羊毛、カシミヤがカシミヤ山羊の軟毛から作られ、そのカシミヤ山羊はインド北部のカシミール地方およびチベットが原産で、冬は寒くて乾燥し、夏は熱帯という温度差の激しい高度 1000m の山奥に生息するという説明はいいのですが、驚いたのはその量です。カシミヤ山羊からセーターを 1 枚編むのに約 4 頭分、コートだと約 30 頭分もの原毛が必要になるそうです。カシミヤのコートを見るたび、軽くて暖かいけれど、お高いと思っていた態度をあらためる気になりました。

 最後は、同じだと思っていたのに実は違っていたもの 2 組です。まずは、クッキーとビスケット。一般社団法人全国ビスケット協会によると、「日本では糖分や脂肪分の合計が 40% 以上含まれていて、手作り風の外観をもつものを、クッキーと呼んでもよいという決まりがあり、両者を区別して使う傾向がある」とのことです。クッキーと呼ぶ要件の存在を初めて知りました。次は、ぼた餅とおはぎ。春は『ぼた餅』、秋は『おはぎ』と呼ぶのですが、両者のあいだに小豆の収穫時期が挟まります。収穫したての小豆は皮ごと食べられるいっぽう、春になると皮が固くなって口当たりが悪くなります。その結果、秋は、粒々としたつぶ餡で萩の花のように仕立て、春は、皮を取り除いた滑らかなこし餡で牡丹の花のようにするようになったというわけです。

 どれもビミョウな違いのお話でした。
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