2018年10月27日

「水辺にて」

20181027「水辺にて」.png

梨木 香歩 著
筑摩書房 出版

 カヤックをしに出かけた水辺でのあれこれが綴られています。

 最初の一節、著者の視点を通して水辺を見ると、その場に対するわたしの評価も跳ね上がってしまいました。

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 水辺の遊びに、こんなにも心惹かれてしまうのは、これは絶対、アーサー・ランサムのせいだ――長いこと、そう思い続けてきた。
 ウィンダミア――初めて英国湖水地方最大のその湖の姿を見たとき、彼の小説の主人公の少年たちが――ロジャーや、ジョン、スーザンとティティたちが、「航行して」過ごした夏のことが眼前に生き生きと蘇り、胸が詰まったことを覚えている。
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 ツバメ号やアマゾン号を思い浮かべると、楽しいとしか説明しようがない雰囲気に包まれます。

 ほかにも、「たのしい川べ」(原題:「The Wind in the Willows」) の一節と、著者が水辺でネズミを見た日のできごとが交互に語られると、ほのぼのとした気分が味わえます。

 わたしは、アウトドア派には程遠いので、カヤックからの風景がこうも楽しく見えるということは、この著者の文章でしか起こりえないと思います。

 それだけではなく、理解できた水辺の背景もあります。英国を舞台とした小説でよく登場するフェンズ。なんとなく寂しく暗いイメージしか浮かべられなかったのですが、著者がこの本で引用している文を読むと、少し理解できた気がしました。

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水を征服しようと努力するときは、いつの日にか水が立ちあがるかもしれず、それによってそれまでの努力の一切が無に帰すかもしれないという覚悟が必要である。というのも、子供たちよ、万物を平坦にならそうとする性質をもち、それ自身は味も色ももたない水という物質は、液体状の<無>にほかならないではないか。そしてまた、平坦であるという属性において水とよく似たフェンズの風景は、世の中にある風景の中で、もっとも<無>に近いものにほかならないではないか。フェンズの人間なら誰でもそれを、心中ひそかに認めている。フェンズの人間なら誰でも、歩いている自分の足もとの土地がそこにないような、土地がふわふわ漂っているような……時折そんな錯覚に襲われる。
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 これはグレアム・スウィフトの「ウォーターランド」からの引用で、著者はこの本からフェンズをより深く知り、そこに紡がれるべき物語があったと理解します。かつて水をたたえていた場所を大地の一部にするよう試みるも、無に帰すかもしれない不安定さに語られるべきストーリーがあると感じたようです。

 小説を読んでイメージした作家像と見事に一致した考えだと思います。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | 和書(エッセイ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする