2019年06月27日

「思い出の作家たち―谷崎・川端・三島・安部・司馬」

20190627「思い出の作家たち」.png

ドナルド・キーン (Donald Keene) 著
松宮 史朗 訳
新潮社 出版

 ドナルド・キーン氏が昭和を代表する5人の文豪たちとの親交を振り返りながら論じています。キーン氏は、5 人の交わりを次のように述べています。
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谷崎と川端の場合、私とは歳が離れすぎていたので、その間柄も "友人" であるよりは年少の崇拝者に二人の文豪が示した再三の親切と解釈したほうがよかろう。そこへいくと三島、安部とはまさに親友であり、長年にわたり幾多の交遊をもった。司馬の知遇を得たのは他の四人よりは数年遅く、また会う機会も比較的少なかったが、私は彼のことを友人だったと思っているし、まぎれもない恩人でもある。
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 キーン氏が直接本人から聞いた話も興味深いですが、作家の個性や日本文化を熟知したキーン氏による作品の解釈も得るものが多く、それらを踏まえて再読したい、あるいは初めて読んでみたいと思った作品がいくつかありました。

 キーン氏が親友と呼んだ三島氏は、わたしから見て疑問に思う最期を遂げただけに、色々感ずるものがありました。まず、キーン氏は、三島氏のなかに夭折への憧れを認めていました。
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『仮面の告白』の主人公の「私」は、夭折に心を奪われ、やせこけて魅力のない自分の身体に何らかの奇跡が起き、殉教した聖セバスチャンの栄光に達することを夢想する。いつだったか私は三島に、『仮面の告白』中に描かれた「私」の中学時代の作文 (聖セバスチャンについての散文詩を含む) は、中学生だったあなたが実際に書いたものではないかと訊いたことがあり、彼はその通りだと答えた。矢に貫かれて死ぬ美しい若者への憧憬は、早くから現れていたのだ。
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 それなのに、三島氏は兵役を免れようとし、結果的に命拾いをします。しかし 40 代になって自決を決めた瞬間をキーン氏はこう推測しています。
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昭和四十五年の六月、日米安保条約の更新前夜、私と三島は食事の場に向かうタクシーの中にいた。昭和三十五年の安保改定に反対するデモから十年、この年の騒乱は遥かに大きな規模になるだろうと広く予想されていた。この予想をおそらく信じていた三島が、ささやかな私兵集団「楯の会」を結成したのは、暴徒から皇居を守る目的があってのことだったかもしれない。もちろん、私兵百名では、皇居に押し入ろうとする数万人のデモ隊を抑えられるはずがないのだが、死に果てることなら可能であろうし、それこそが三島の真の目的だった。ところが、タクシーが国会議事堂にさしかかった時、そこにはデモ隊の気配すらなく、暇をもて余した警官たちが、その夜は使いそうにもない楯と棍棒を抱えているだけだった。三島が自裁しなければならぬと決意したのは、もはや皇居の石段で討ち死にする機会は永遠に失われたと痛感したあの夜……まさにこの時だったのではなかろうか。
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 三島氏がもし兵役検査で事実を話していたら入っていたであろう部隊は、フィリピンで全滅したそうです。そこで若くして死んでいたらよかった、いまそれをなんとか再現できないだろうか、三島氏はそうとでも思っていたのでしょうか。

 同時に、自らの遺作となる『豊饒の海』が海外で出版されることを強く望み、キーン氏にあらゆる手立てを講じてほしいと別れを告げる手紙に書いていたそうです。

 もっと生きれば、さらなる代表作を書くこともノーベル賞を受賞することもたやすく実現できそうに思える作家だけに残念に思う気持ちは変わりませんが、揺るぎない価値観にしたがった行動だったということだけは、ぼんやりと理解できました。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする