2019年08月12日

信頼できない語り手 (unreliable narrator)

 翻訳を研究する会にお邪魔したときに知ったことば、『信頼できない語り手』は、カズオ・イシグロの小説の語り手を指しているそうです。このときの会の課題が、カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」の一節で、その語り手である悦子もやはり信頼できない (unreliable) なのか話題になりました。

「カズオ・イシグロの視線」という本によると、ディヴィッド・ロッジ (Lodge, 1992) が新聞の読者を対象として小説技巧を解説した際に用いた表現によれば、「日の名残り」の語り手スティーブンスは、『信頼できない語り手』だそうです。(1989 年出版の「日の名残り」はブッカー賞を受賞しているので、あちこちで注目を集め、こういうことばが生まれたのかもしれません。)

 スティーブンスほどではないにしろ、悦子が語っている内容には不自然なことも含まれ、信頼できない語り手と言っていいのでしょう。課題になったのは、その悦子がある子供に話しかける場面です。
++++++++++++++++++++
The child said nothing. I sighed again.
"In any case," I went on, "if you don't like it over there, we can always come back."
This time she looked up at me questioningly.
"Yes, I promise," I said. "If you don't like it over there, we'll come straight back. But we have to try it and see if we like it there. I'm sure we will."
++++++++++++++++++++

 この部分の日本語訳では、主語の人称と子供の名前の部分が原文と異なります。
++++++++++++++++++++
子供が黙っているので、わたしはまた溜息をついた。
「とにかく、行ってみて嫌だったら、帰ってくればいいでしょ」
こんどは、万里子は何か訊きたげにわたしを見上げた。
「そう、ほんとうなのよ。行ってみて嫌だったら、すぐ帰ってくればいいのよ。でも嫌かどうか、まず行ってみなくちゃ。きっと好きになると思うわ」
++++++++++++++++++++

 原文のこの部分だけを見ると、"we" と言っているのに「帰ってくればいいでしょ(のよ)」となっていて、悦子が含まれている感じがまったくしません。

 ここの訳をもし変えるとしたらどう変更するかというのが課題だったのですが、"we" を「わたしたち」のように明確に書かなくても、「帰って来ましょうよ」など二人称の雰囲気を出すことができるので、そうしたほうがよいという意見に収束しました。

 また代名詞 (この場合 "she") は、日本語では不自然に感じられることも多く、特に子供の場合、万里子といった実際の名前に置き換えることは当然のようになされているのですが、この場面では明確に万里子としないほうがいいという意見も出ました。

 物語全体を読めば、語り手の悦子が、友人の娘である万里子と自らの長女を重ねていることがわかります。それを示唆する "we" であり、"The child" なわけです。それを日本語訳で消し去るのはどうなのかという議論になりました。

 同じ本を読んで意見を交わす機会というのは、いつもながら貴重だと感じました。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(英語/翻訳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする