2008年07月08日

日米自動車摩擦の背景

 東京外国語大学には卒業生で構成されている東京外語会があります。その外語会と東京外国語大学の合同講座で「日本と世界の諸地域シリーズ〜アメリカ〜」という6回シリーズがあり、1回めは「日米自動車摩擦の背景」でした。講師は、柳沢 享氏で、トヨタで北米部長をなさっていた経歴の持ち主です。

 昔を思い出す話や興味深い話が聞けました。

 1980年代、まだ10代だったわたしには、デトロイトあたりの住民がバットなどを振り下ろし、日本車を叩き壊しているニュースを見て、怖いと感じたと同時に馬鹿らしいとも思っていました。「そんなに日本車が売れて困るなら、自分たちも日本車と同じような車を作ればいいのに」と思っていたのです。柳沢氏によると、その当時のデトロイトの失業率は25%くらいだったそうです。バブルがはじけた直後の日本を考えてみて初めて、その数字のインパクトがわかりました。その上、今日本に入ってくる中国からの食料品、繊維製品などの大量の輸入品を考えると、アメリカの立場がよりわかる気がします。

 結局、日本に対する風当たりを考慮し、日本政府は輸出を自主規制することに決めたそうです。年間168万台という数字が決められ、その枠内で、各メーカーが調整することになりました。それとともに、本田や日産は、米国に工場を建設し、現地の雇用を確保する方針を発表しました。しかし、トヨタは同じ路線をとらず、フォードとの共同生産を申し入れます。しかし、この協議は決裂し、結局、GMと組み、ヌーミー(NUMMI)という合弁会社を設立します。

 おもしろいと思ったのは、そのヌーミーでの社員教育です。

 アメリカと日本では労働組合の形態が異なります。日本では、企業内組合といって、同じ会社の社員が労働組合を運営するのが一般的です。一方、アメリカでは、同じ職種・業種の労働者が組合を構成します。自動車業界の場合、UAW(全米自動車労組)になります。この労組は、日本の労組に比べると力を有しています。日本の労組の場合、会社を潰してしまえば元も子もありませんから、自然と協調路線にならざるを得ません。一方、UAWのような形態であれば、会社を潰すとまではいかなくても、労働者の利益を守るためになら、会社にかなり打撃を与えるような主張もできます。しかし、ヌーミーを設立したときは、かなり協調的だったようです。

 トヨタでは、多能工システムをとっています。一方、アメリカでは単能工が一般的です。ヌーミー設立時、GMでは、80の職種に分かれていたそうです。それを、UAWも含めて協議した結果、2職種という妥協案が成立したそうです。劇的な数字に見えて仕方がありません。たぶん、解雇がない日本の雇用形態や教育制度の充実などが決め手になったのではないかと推察します。

 そうして立ち上がったヌーミーは、2004年に20周年を迎えたそうです。今や、トヨタの年間生産量は日本よりアメリカのほうが多くなったそうです。(日本:160万台、アメリカ:282万台)

 1957年にアメリカに対して初めて輸出したトヨタは、1960年に一旦撤退し、1965年に再開しています。その失敗は、やはり世界に通用する製品でなかったことだと、柳沢は説明されていました。そのトヨタが今やトップクラスのグローバルカンパニーになったのは、やはりアメリカで学んだことが大きかったと言います。

 1980年頃にバッシングを浴びたとき、協調路線を打ち出した日本企業は長期的な成功を選んだといえるのではないでしょうか。目先の利益を追うなら、日本車を欲しいと思っているアメリカ国民に売っていたほうがよかったのではないでしょうか。

 現代の日本企業に、1980年代当時のような長期的視野はあるのでしょうか。
posted by 作楽 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 勉強会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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