2008年07月28日

「仏果を得ず」

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三浦 しをん 著
双葉社 出版

 「あやつられ文楽鑑賞」を読んでいたので、「小説家ってなんでも小説にしてしまうんだ」と思ってしまいました。強く惹かれのめりこんでいる対象を小説にしたいという気持ちはわからないでもありませんが、わかりやすくて、著者が身近な人に感じられます。

 この本の主人公は、健という大夫(文楽で語りを担当)です。銀大夫というわがままだけど憎めない師匠に弟子入りして、10年間大夫としての経験を積んできました。もちろん、伝統芸能で10年といえば、駆け出しのようなものです。健は、毎日語りのことを考え、いかにその道を極めていくかばかりを考えています。その、日常生活でも何でも文楽に結び付けてしまうあたり、「あやつられ文楽鑑賞」の著者を思い出させます。

 健は、日常生活の何気ないひとことから、文楽の登場人物の気持ちを察したかと思えば、恋人に対する気持ちをこれまた、登場人物の葛藤になぞらえてみたり。文楽文楽文楽と仕事のことばかり考えているのは大変ではないかと、いらぬ心配をしてしまうくらい極端で、笑えます。それを狙っているのは、重々承知なのですが。帯には「"好き"が過ぎるとバカになる。でも、そんなバカならなってみたい。」とあります。著者の気持ちそのままなのでしょうか。

 物語は、健が担当するいろいろな演目を交えて進むのですが、ラストは、『仮名手本忠臣蔵』でした。「あやつられ文楽鑑賞」を読んで一番印象に残っていた演目です。やはり、著者の思い入れのある演目に対するエッセイだから、わたしの意識にも残り、小説の最後を飾ったのでしょうか。

 もちろん、「あやつられ文楽鑑賞」を読んでいなくても、文楽の知識が一切なくても楽しめる作品です。仕事が楽しい人にも、仕事が楽しくない人にも、読んでもらいたいようなエンターテイメント作品だと思います。

 しかし、不思議だったのが、文中の関西弁。「どうされたんだろう?」と思ってしまいました。わたしは一応関西出身ですが、違和感なく読めました。「あやつられ文楽鑑賞」では、文楽関係者にインタビューして、相手のことばを会話文にしていたのですが、それは関西弁ではありませんでした。「私には大阪弁を再現する能力がないので、各自翻訳してお読みください」という文章が挟み込まれていたのです。やっぱり、小説を書くとなると、誰かに教えを請うのかな、などと余計なことが気になってしまいました。
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