2008年07月31日

ベンジャミン・フランクリン

日本と世界の諸地域シリーズ〜アメリカ〜」の第二回講座は、ベンジャミン・フランクリンでした。アメリカ人らしいアメリカ人といわれて名前が挙がるのが、ベンジャミン・フランクリンだそうです。そんなこと、全然知りませんでした。

 でも、100ドル札の顔になっているので、アメリカを代表する人だな、とは思っていましたが、約二時間にわたってお話を伺うと、その「アメリカを代表する人」という考え方も、それでいいのかな、と疑問が起きました。

 ベンジャミンは1706年にボストンで生まれています。(アメリカは歴史の浅い移民の国ですから、もちろんアメリカで生まれていることを期待しているわけではありません。)

 以下は東京大学金井教授が書かれたベンジャミンの年表です。

1718-23  ボストン徒弟奉公人
1723-48  フィラデルフィア印刷人
(24-26)  ロンドン修行
1748-57  ペンシルヴェニア紳士
1757-75  イギリス人
(62-64)  一時帰国
1775-76  アメリカ在住
1776-85  フランス人
1985-90  アメリカ人

 最初の転機は、兄の工場で働いていたのに、兄と喧嘩して飛び出してしまった1723年です。そして、フィラデルフィアで印刷業で大成功します。この成功がビジネスの秘訣として後代まで語り継がれることになります。紳士、つまり働かなくてもよくなったベンジャミンは、英国で何とか官職に就きたいと考えます。現代と違って、議員になってもなんのメリットもありません。給料をもらえるわけでもありません。植字工だったベンジャミンには、地位や名誉が憧れだったのでしょうか。

 しかし、アメリカで経済的に豊かになってイギリスに戻り、英米融和策を進めようとしても、議会から猛反発をくらいます。ベンジャミン自身は英国紳士、英国議員になりたくてたまらないのに、議会からはアメリカのまわしもののように呼ばれ、追放同様に英国を離れます。それが、1775年です。この時点ですでに60歳です。そのあとフランスに渡り、英国とフランスの講和条約締結に貢献しますが、やはり英国から高い評価を得ることはできませんでした。

 いつアメリカ人らしいベンジャミンがあらわれるのか期待して聞いていたのですが、結局、印刷業の大成功がアメリカのサクセスストーリーの象徴のように扱われているだけのようです。事実、独立宣言に関わってはいましたが、大きな貢献をしているわけではありません。すでに70歳を超えていたわけですから、当然といえば当然です。

 ベンジャミンは自伝を残しているのですが、その自伝が最初に出版されたのはフランスだそうです。フランスで売れたので、英国でも出版の運びになったので、ここでもベンジャミンの英国への想いは届かなかったといえます。

 しかし、ベンジャミンが英国から認められたことがあります。それは、雷が電気だということを証明したなどの電気研究が評価された結果、英国学士院の会員になれたことです。

 英国に執着したベンジャミンの一生のように聴こえてしまったのですが、しかし、そのビジネス手腕および外交手腕を考えると、100ドル紙幣を飾るに相応しい人だと思います。
posted by 作楽 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 勉強会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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