2008年08月29日

「新約聖書を知っていますか」

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阿刀田 高 著
新潮社 出版

 本当に何も知らなかったんだ、としみじみと感じてしまいました。こんなに有名な書物で、何度も耳にしているのに、新約聖書が書かれた時期もボリュームも、恥ずかしながら知りませんでした。この本の中では、わたしにもわかるように平易に説明されていました。
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 新約聖書の各巻の名称は次の通り。括弧内の数字は、それぞれがどれほどの分量か、手元にある新共同訳聖書に占めるページ数を記してみた。
*マタイによる福音書(60) マルコによる福音書(38) ルカによる福音書(64) ヨハネによる福音書(50)
*使徒言行録
*ローマの信徒への手紙(26) コリントの信徒への手紙一(26) コリントの信徒への手紙二(17) ガラテヤの信徒への手紙(10) エフェソの信徒への手紙(9) フィリピの信徒への手紙(7) コロサイの信徒への手紙(6) テサロニケの信徒への手紙(4) テモテへの手紙一(7) テモテへの手紙二(5) テトスへの手紙(3) フィレモンへの手紙(2)
*ヘブライ人への手紙(20) ヤコブの手紙(7) ペトロの手紙一(8) ペトロの手紙二(5) ヨハネの手紙一(7) ヨハネの手紙二(1) ヨハネの手紙三(1) ユダの手紙(2)
*ヨハネの黙示録(29)
 全体で四八〇ページ。分量に際のあることに注目あれ。*をつけて、五つのグループに分けておいたが、おわかりだろうか。福音書、使徒たちの言行録、パウロの手紙、その他の手紙、黙示録の五つである。
 中核をなすのは、もちろん四つの福音書で、この中ではマルコが一番はじめに書かれて、西暦六〇年代。ついでマタイ、ルカが八○年代、ヨハネが一番遅く九○年代であろうか。それぞれに著者らしい人名が付されているけれど、現代の著述のように著者がはっきりと確定されているわけではない
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 イエスが死に、復活されたと言われているときから数十年もあとに新約聖書ができたのなら、それは本当にイエスの教えなのだろうか、と思ってしまいます。昔のことなら、人も長くは生きなかったでしょうし、世代が変わって、変わらないものなどあるのでしょうか。イエスの死後、のちの人々に都合のいいようにイエスの話が作り上げられたと考えるほうが自然のような気もします。

 そもそも、わたしにはイエスが復活したなどは信じられません。そのことは、阿刀田氏は次のように考えていらっしゃいます。
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 ディテールはともかく、ポイントは一つである。イエスの復活は、その信奉者たちにとって絶対に必要なことであった。まだ脆弱であった集団の基礎を確かなものとするために欠くことができないことであった。だからイエスは復活したのである。ちがうだろうか。
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 阿刀田氏のこのような推理を目にすると、キリスト教がなぜここまで発展してきたのか、わかる気がします。「旧約聖書を知っていますか」を読んだときに感じた、神さまは随分惨いことをするものだ、という感想とは違って、イエスは旧約聖書の解釈をし、罪を背負って死に、復活を遂げただけ、という気がするからです。("だけ"というのは、ユダヤ教の選民思想のようなものも感じもないし、神を信じない者がひどい目に遭うという感じもない、という意味です。)

 それなのに、現実にはキリスト教を巡った争いも起こっているわけです。それは教典の問題ではなく、やはり、それを信じる側の人に問題があるのでしょうか。
posted by 作楽 at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(宗教・神話) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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