2008年10月14日

「辰巳屋疑獄」

20081014[TatsumiyaGigoku].jpg

松井 今朝子 著
筑摩書房 出版

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 ここに饅頭が三つある。食べるのを二つで我慢すれば、もう一つはだれかの口に入る。だれもがそうすればまた人はだれも飢えなくてすむようになる。
 たとえ欲張って三つ食べたとしても、所詮、人は朝露のごとく、稲光のごとく、つかのまに消える儚い命ではあるまいか。
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 物語は、そう結ばれています。でも、それよりも強く印象に残っているのは、自分がしていることを客観的に見ることができないことの悲惨さです。たぶん、生きていく上で、そう強く思う瞬間が多いからでしょう。「こんなことをして他人を陥れているつもりでいるのだろうけど、本当は自分の愚かさを叫んでいるようなものなのに」「こんなことを言って自分の知識を披露しているつもりだろうけど、視野の狭さを露呈しているだけなのに」そのように感じることが多いからでしょうか。

 「家、家にあらず」の解説を思い出しました。まさに、自分の心を覗き見る鏡のような作品です。

 今回の語り手は、貧乏な農家に生まれた次男で、数えで11歳のとき、大坂の商家へ奉公に出ます。奉公に出たときから、元助と名乗っています。奉公先の商家、辰巳屋は、「手代の数だけでも四百六十人。丁稚や女の人数を合わせればゆうに五百人を超す」大店で、それだけにさまざまな立場の人の思いが錯綜する場所でもあります。

 物語が始まったとき、店を大きくした三代目の久左衛門はすでに引退していました。そして物語の半ば、四代目の久左衛門が亡くなります。ここで持ち上がるのが、店の実権を誰が握るのか。そのとき、四代目久左衛門の実弟、吉兵衛は木津屋の主におさまっていました。久左衛門には正妻と妾にそれぞれ娘がひとりずついるだけです。

 対立するのは、実家に戻り、辰巳屋を自由にしようと目論む吉兵衛と、辰巳屋をのっとられないようにと構える親戚や古参奉公人。親戚や古参奉公人は、久左衛門の正妻の娘、お岩の許婚を元服させ、跡継ぎにしようとします。しかし対立を家の中だけで収めることができず、幕府に持ち込むことになります。

 この時代の裁判の様子はよく時代劇で見ることができますが、テレビ番組でも有名な大岡越前守が、この辰巳屋の最後の裁判に臨みます。有名なお裁きだったようです。

 お裁きの結果はかなり悲惨なのですが、そうなってしまった理由は、自分がしていることが第三者からどう見られるかを考えていかったからだと、わたしは思いました。吉兵衛は、学問好きでしたが、それは学問に傾倒し、学問を語る自分が好きなだけだったように思えます。つまり、それを活用し、周囲を幸せにしたいとは考えていなかったと思うのです。周囲は、吉兵衛の腕試しに振り回されるのを恐れた。そして、双方とも罪を犯している自覚を持つこともなかった。

 そう考えていくと、やはり、著者の結びにたどり着いてしまいました。自分のことだけを考えて、欲を張っても所詮はしれている。

 やはり、松井 今朝子という作家はすごいと思わせられた作品でした。
posted by 作楽 at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
作楽さんの書評にひかれてこの本を手に取りました。面白かった!物語の後半になるにしたがって、「こぼんさん、なんか悪いことしたっけ」と、読んでいる私が麻痺するくらい賄賂の横行っぷり。渦中にいる人間は、それが悪いことだなんて気づかなかったんだろうなぁと思いました。少なくとも、使われている側の人間には。ただ、わたしは「あほだなあ、このぼん」とは思いながらも、憎む気にはならなかったのです。この人、自分の好きなように生きただけでしょ?って思いました。空気が読めなかった、ただ幼稚なだけだった人間。そして、それゆえに大変な事件に発展させてしまった・・・
 人間は、生まれてそして死んでいく。ただ、それだけの人生です。もし、その人生に価値を見出せるものがあるとすれば、それは他者へ尽くすこと、思いやりを持つことなのでしょう。自分以外の何かを大切にすること。こぼんさんは、自分の使命がわからなかった・・・
こぼんさんのばか!
 
 それにしても、このこぼんさん、後半になるにつれて、故三浦和義さん入ってた気がしたのは私だけでしょうか・・・
Posted by さくじろ at 2008年10月19日 19:42
さくじろさん

コメントありがとうございます。
そうなんですよね、こぼんさんは「好きなように生きた」人なんですよね。悪気がないことが伝わってくるだけに、同情を覚えます。さくじろさんが「憎む気にはならなかった」のもわかる気がします。
Posted by 作楽 at 2008年10月21日 08:26
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