三島 由紀夫 著
新潮社 出版
なぜか、「門」を思い出しました。
「門」で、門の中に入れなかった主人公と、「金閣寺」で、金閣寺に放火してしまう主人公が重なって見えてしまうのです。
「門」の主人公宗助は、拒絶されたとき、肩をがっくり落とし、とぼとぼと去るイメージ。「金閣寺」の主人公溝口は、拒絶されたとき、もう終わりだと暴走し破壊へと向かうイメージ。その違いはあっても、拒絶を感じる感覚、拒絶から受ける衝撃の大きさは似ている気がするのです。
主人公の溝口は、吃りです。その劣等感が大きいからか、自分の価値を自分ではかるのではなく、他人がどうはかるかに重きを置いているように思えます。
周りの人々、特に和尚に期待されたいと願っているものの、反撥も感じ、わざと落胆させるようなことに走ったりもします。また、自分に期待する母親を疎ましく思う反面、心の底では無条件に受け入れられたいと思っているようにも見えます。
誰にも人の心は完全にはわかりません。でも、それをなんとかしてこうだと決めつけて、主人公は自分の気持ちを安定させたいのではないか。読んでいてそう思う場面がありました。そして、とうとう、美の象徴として描かれている「金閣寺」を燃やす行為に走ってしまいます。他人に壊されてしまう不安に怯えるより、自ら壊して落ち着きたいのではないかと疑ってしまうような暴力です。そこに主人公の屈折があるのではないでしょうか。
「おもしろかった!」とか「意外な結末だった」と楽しめるエンタテイメント作品もいいですが、たまにはこういう、読んでいる側を映しだすような作品もいいな、と思いました。
わたしが、作家の意図を理解できることはないと思います。ただ、こういう作品を読むことによって、読んでいるわたし自身のなかの、普段は目にしないようななにかを見ることができるような気がします。
時代を経て読み継がれていることに納得ができる作品でした。自分自身が置かれている状況や内面の価値観が変わってからまた読むと、また違った解釈ができそうにも思える本でした。


