2009年06月18日

「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」

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水村 美苗 著
筑摩書房 出版

 日本文化を、日本人としてのアイデンティティを、日本語を考えるとき、ぜひ読んで欲しいと勧めたくなる本です。ただ、読むことで得られることは多いと思う一方で、この中で提示されている解決方法は解決したことにならないのではないかと疑問を持ちました。ただ、そういうことも含め、考える機会が与えられたという点で優れた本だと高く評価したいと思います。

 この本の構成は次の通りです。

一章−−アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々
二章−−パリの話
三章−−地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々
四章−−日本語という<国語>の誕生
五章−−日本近代文学の奇跡
六章−−インターネット時代の英語と<国語>
七章−−英語教育と日本語教育

 全体としてみれば、一章から三章は、自分たちの言葉<国語>を持つことの意味や特異性を考える導入といえるでしょう。四章および五章は、漢文が日本に伝わってきた頃や近代文学が栄えた頃などの過去に遡り、日本語やいかに偶然や環境に恵まれ、国語となっていったかが専門家以外でも理解できる範囲で書かれています。ここまでの範囲は、そう言われてみればその通りだ、と納得できることばかりで、意識下に別々の事柄としてあったことが、自分のなかで繋がっていくような感覚がありました。著者の言葉により、他者(外国および外国語)という比較対象ができ、身近で当たり前と受け止めている日本や日本語をより深く理解できました。

 そして、六章は現代の状況です。英語が普遍語として広がってきた様が説明されています。これは、自分の目でも見てきたことなので、とても共感できます。そして、日本語が亡びつつあるということは、明治、大正、昭和初期の文学作品を読むときだけでなく、日々の暮らしのなかでも感じられることなので、著者の言い分はその通りだと同意できました。

 問題は七章です。著者は、国民全体はもっともっと国語(日本語)を受け継ぐべく、国語教育を充実すべきだと説いています。それは、誰もかれもが日本語で(文学作品などを)書けるようになるという意味ではなく、<読まれるべき言葉>を読めるようになる、受け継がれるべき言葉を読み続けられるようになるために必要だと主張しています。そのためには、今の英語偏重の教育を改めるべきだというのです。英語は一部の人たちに精鋭教育を施せばいいという論調です。たしかに、英会話学校が溢れ、そのテレビ・コマーシャルが絶え間なく流れる現代の日本の環境は、異様かもしれません。でも、それには理由があるのではないでしょうか。たぶん、著者のような研究や文学活動が生活の中心になっている方々にはわからない理由が。

 現代の日本は経済大国といっていい国だと思います。その経済を支え、便利な生活を支えるには、国も個人も価値を創造し、対価を得る必要があります。わたしのような労働者は「働いて収入を得る」必要があります。現代において、何か価値を、たとえば製品をつくるにしても、他国の技術をもとにすることがよくあります。また製品を売るにしても、国外にも売らなければ開発などの費用の採算が合わないこともよくあります。そんなとき、普遍語である英語ができなければ、情報難民です。わたしのような末端の末端にいる技術者であっても、情報難民であれば、職を失う不安は膨れ上がるでしょう。将来ある子どもには、そんな不安を背負わせたくないから、誰もかれも見境なく英語に走ってしまう。わたしにはそう思えるのです。なにか手作業をして収入を得られる時代ではないのです。物価がずっと安い国々に建てた工場に仕事は移っていきます。その不安のなかで、普遍語の魅力は大きいと思います。

 実際、英語で情報を吸収したり発信したりできる人たちが多く散在しているから、成り立っている集団というのは意外に多いのではないかと思うのです。また、そういう人たちが散在しているから、日本語に訳されて存在できる情報が多いのではないかとも思うのです。本当に一部の人たちだけが英語に長けている状態で、今の経済活動は成り立つのでしょうか。

 自分が見える範囲で考えると、著者の解決方法に賛成はできかねますが、代替案も思い浮かびません。ただ、教育だけに目を向けるのではなく、社会の仕組み全体に目を向けないと解決できない気がします。つまり、みんなが普遍語に感じる無条件な安心感のようなものを必要としない社会構造にならなければ、国語に目を向ける人は減っていく気がします。
posted by 作楽 at 00:42| Comment(0) | TrackBack(1) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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水村美苗著「日本語が亡びるとき」はトンデモ本である。
Excerpt: あるいは「俺の超亀レスが火を噴くぜ!」あるいは「英語はメタ言語ではない!」チンピラ物書きの三上憲一が、チョー上から目線で壮絶な覚悟で水村美苗に思いっきり絡んでみたよ!一読夜露死苦!
Weblog: 蛇の卵
Tracked: 2009-08-02 11:04