2009年12月14日

「「関東」と「関西」こんなに違う事典」

20091214[KantoutoKansaiKonnaniChigauJiten].jpg

日本博学倶楽部 著
PHP研究所 出版

 統計などの数字をベースに関東と関西を比べるのが基本になっています。根拠が明らかになっているので、一応納得できます。しかし、不思議と「一応納得」なのです。(首をぶんぶん振って同意できるわけではないのです。)それはやはり、日々の細かい観察に思い入れを加えた内容のほうが、説得力があり共感できるということではないでしょうか。

 しかし、ひとつ面白いと思える数字がありました。
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 接続詞を「そんなら」、「ほな」、「それじゃ」、「それなら」などの誘導型と、「しかし」、「それでも」、「そやけど」などの対立型に分け、東は夏目漱石の『吾輩は猫である』の会話部分、西は五、六代目笑福亭松鶴の落語が百編載った三田純市編『上方落語』の会話部分で使われている回数を調べたのだ。
 その結果、誘導型と対立型は、『吾輩は猫である』は五七対五八でほぼ同数だったのに対し、『上方落語』一五九対三九。圧倒的に誘導型が多かったのだ。
 まず何かを述べて、「しかし」と対立型の接続詞で、いったん踏みとどまって自己主張する、それが近代的な東京風の会話の展開であり、相手の話を受けて、「ほな」と自分の領分に話を引き継いでから自己主張するというのが上方風の会話なのだという。
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 「ほな」と自分の領分に話を引き継いでいるのかどうかわかりませんが、相手の結論に不満があるとき、つまり反論したいときでも、「でも」は使っていないと自分でも思います。「ほな、〜はどうなるん?」など、よく言っていました。つまり、〜の点で分が悪いとはっきりと伝わるようには言いますが、「でも」から始めてはいなかった気がします。言われてみて、初めて気づきました。これから、関東の人がこういうタイプの接続詞を使っていらっしゃるかも、気をつけてみたいと思いました。

 わたしは関西出身なので、こういう両方の地域を均等に見る本よりも、片方の地域にしっかり軸を置いている本のほうが好きです。
posted by 作楽 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(関西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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