2009年12月21日

「言えないコトバ」

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益田 ミリ 著
集英社 出版

 人がことばを選ぶ瞬間に思っていることを知ることができたのは、意外におもしろかったです。ひとつひとつ著書のケースを見ていったとき、自分と同じだと感ずるものは少なかったのですが、それこそがことばのニュアンスに対する個人の違いだとあらためて感じました。たぶん、体験は個人によって大きく違い、それぞれの体験にことばは強く結びついているから、年代や性別が似ていても、必ずしもひとつのことばに対して同じニュアンスを抱くことにはならないのでしょう。

 たとえば、著者は40歳の女性なのですが、「おばさん」ということばに傷ついています。何気ない会話のなかで、若い世代の女性が「40歳くらいのおばさん」と言ったとき、自分もおばさんに含まれると知り、「自分も、今までビミョーな年頃の女性をキズつけてきたんだなと反省しました」と書いています。

 同じ「おばさん」について考えたとき、わたしのなかのイメージが変わってきたことを思い出しました。小中学生くらいのときは、化粧していないのがお姉さんで化粧しているのがおばさんという使い分けでした。それ以降30代になるまでは、精神的に自立した親に頼っていない世代の女性のようなイメージを持っていました。自分が30代になったとき、自分の収入で生活しているし、自分の暮しに関わることは自分で決断しているし、自分で自分のことを「おばさん」だと思うようになりました。だから、親しい友人の子供と話すとき「おばさんはね」と自分のことを言っていました。しかし、実際にその子供がわたしのことを「おばさん」と呼んだとき、友人はかなり慌てて、「おばさんじゃない」と思い切り否定していました。わたしは、友人にも子供にも対して申し訳ない気持ちで、自分で自分のことを「おばさん」と呼んだため、子供が真似をしたのだと説明しました。同い年の友人は、驚いた表情をしてからほっとした表情を見せ、結局ふたりで大笑いしました。それ以来、わたしは「おばさん」ということばを避けて通るようになりました。

 この本を読んだ同じ日、偶然ある翻訳家の話を聞く機会がありました。ことばに対するイメージの話です。たとえば、「悩ましい」ということばには、「悩みを感ずる」という意味もありますが「官能的な」という意味もあります。本来、前者の意味で使われていたことばが、後者の意味を持つようになり、それに伴い後者の意味しか思い浮かべない人々が増えたようです。だから、「悩ましい選択を迫られた」といった使い方をしたとき、その翻訳家の経験上では3分の1から半数からの人が違和感を持つそうです。同様に、「生き様」ということばに違和感をもつ人も同程度の割合でいるそうです。なので、その翻訳家自身は「悩みを感ずる」という意味の「悩ましい」も、「生き様」も正しい日本語だと信じて疑わないけれど、極力それらの表現を使わないことにしているそうです。

 ことばが他者に伝える道具である以上、他者がどういうことばのイメージを持っているのかを知ることは意味のあることではないかと思いました。
posted by 作楽 at 07:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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