2006年08月18日

「自分の感受性くらい」

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茨木 のり子 著
花神社 出版

 子供の頃、父親が勤める会社の社宅に住んでいました。同じサイズの家が等間隔に密集しているような所でした。2軒で1棟になっており、棟と棟の間も人が一人通れるかどうかというくらい狭い通路があるだけです。口喧嘩をすればその内容が隣にも筒抜けになってしまう距離。しかも、人と人との距離も近く、私の家の問題に介入し解決してくれたのは、隣の家のおばさんということもありました。

 今思えば、不思議です。私の家にとっては一大事、という大きな問題に隣人がわざわざ介入してくることも、それを受け入れるということも。その社宅を離れてから、そういう人と人との距離感、関わり合いを感じることもなくなり、思い出すことさえありませんでした。

 それが、なぜかこの「自分の感受性くらい」を読んだとき、そのおばさんのこと、小さな路地のこと、裏のひとみちゃんとお母さんの口喧嘩のことなどがとりとめもなく思い出されました。

 たぶん、この詩集の中では、人と人が絡まりあって、人として暮らしているような印象を受けるからでしょうか。あるいは、あたかも私の心が広く開け放たれているかのように、この詩集の言葉や感覚が飛び込んでくるからかもしれません。

 「いくじなしは いくじなしのままでいいの 泣きたきゃ 泣けよ」の一節に、周りの価値観に合わせるむなしい行為にハッとしたり。「気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか」の一節に、自分の勝手な言い分に情けなくなったり。

 この詩集には、1969年から1976年にかけて書かれた作品が20篇を収められています。ちょうど私が、小さなマッチ箱が並ぶような社宅に住んでいた頃と重なります。その時代の匂いがしたのかもしれません。
posted by 作楽 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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