2012年01月20日

「柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方」

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柴田 元幸/高橋 源一郎 著
河出書房新社 出版

 タイトルを読むと、読み方や書き方や訳し方を教えてくれる指南書のように見えなくもありませんが、そうではありません。自分はこう見るという意見を対談のなかで引き出しあうといった感じの本です。

 柴田氏は、大学教授だけでなく翻訳者としても有名な方なので、訳すときに心がけていることや訳文を評価するときの視点などを披露されています。一方、高橋氏は小説家であるだけでなく、評論の仕事もなさっていて、興味深い文学談義を披露されています。たとえば、日本が大きな転換期を迎えた1980年代あたりを区切りに、それ以降日本で生まれた小説を「ニッポンの小説」と呼び、その特徴を指摘されています。一番おもしろいと思った表現は、次です。
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「ニッポンの小説」とたとえば戦後文学とどこが違うかっていうと一概には言えないんですけど、やっぱり言葉が壊れているとしか言いようがない。酔っ払っているというか(笑)。内容はわりと単純な話で、恋愛小説だったり普通の物語、……まあ物語がないものももちろんあるんですけれども、基本的に文章の問題なんです。つまり内容ではないんですよね。
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 この「壊れている」という表現が、わたしにとって腑に落ちるとまではいえない範囲なのですが、それでもニュアンスは充分に伝わってきます。

 あと、高橋氏の文体に対する理想も興味深く感じました。
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死ぬまで自分の文体を持たないようにしたいというのが、僕のひそかな願いではあるのです。これは僕の、読者という立場からの好みでもあるんですが。近代文学120年の歴史で、結局何が一番尊ばれたかというと文体です。さらに言うと、「これはこの人の文体だ」という私有された文体なんですね。テーマでもなく、内容でもない。ただ、僕は、文体は私有されてはいけないのではないかと思っているんです。
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 わたしは、小説家は確固たる自分の文体を築き上げたいと考えているのだと思っていました。なぜなら、文体こそがその作家らしさを語っていると思っていたからです。もちろん、作家は自らを語りたい人たちだという前提です。

 しかし、高橋氏の考えだと、小説から作家らしさが消えたほうがいいということなのでしょうね。すっとはのみこめない考えなので、どこかでまたこのテーマにひょっこり出くわしたいです。
posted by 作楽 at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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