2012年12月18日

「エクソフォニー 母語の外へ出る旅」

20121218「エクソフォニー」.jpg

多和田 葉子 著
岩波書店 出版

雪の練習生」を読んだとき、日本語を母語とするのに、ドイツ語でも積極的に作品を発表している作家だと知り、どうしてそういう道を選ばれたのか興味を抱き、エッセイを手にとってみました。

 著者の場合、ドイツ語で小説を書きたいという、内から湧く衝動にしたがって書くようになったようです。

 衝動なので、そこに説明すべき理屈があるわけでもなく、その点では当初の期待は満たされなかったのですが、著者がここで紹介する考察は、わたしにとって新鮮でした。

 母語でない英語を学ぶのに少なからず時間を割いてきた身としては、言われてみればそうかもしれないと納得できる部分がかなりありました。当然でありながら、いままで考えてもみなかったことのひとつは、言語と言語が影響を与えあっているレベルが多様だということです。言語は、それ単体でかたちあるものではなく、人という存在を必要とするものです。たとえば、IT分野で秀でているアメリカの影響を受け、ドイツ語でも英語が多用されています。それにより、ドイツに住みドイツ語しか話さない人でも英語の影響を受け、それは大衆といってもいい集団が影響を受けたことになります。そしてもっと狭い範囲では、アメリカに住むドイツ人もそれとは違ったレベルで英語の影響を受けます。

 しかし、アメリカに住むドイツ人作家がすべて英語で小説や詩を書いたりするわけではありません。影響は受けていても、創作するレベルでの選択は、個々違う価値観により選択されています。そういう面を作家ならではの観察で紹介している点が特に興味深く読めました。
posted by 作楽 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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