2013年01月16日

「神も仏もありませぬ」

20130116「神も仏もありませぬ」.jpg

佐野 洋子 著
筑摩書房 出版

 2004年(第3回)小林秀雄賞受賞作品です。

死ぬ気まんまん」を読んで、この作品を知りました。認知症になった母親の姿を見て、またご自身も60代になって、老いや死を意識せざるを得ない状況で書かれたものです。

 老いや死とどう向きあうか、そこに先人の知恵を活用する余地は少ないという点が、ひしひしと感じられました。医療の進歩を含む世の変化によって、祖父母世代の経験が役立たなくなっているのです。著者はこう書いています。
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人は皆、知っているのだ。長老を必要とする共同体が壊れちまっていることを。死ぬまで個人で戦いつづけねばならぬと。老いの体と心は邪魔なのよ。そして長生きしすぎて、一挙に敗残物となって、税金を喰いつぶすのだ。
 私は少なくとも、現役下りて、十五年くらいは老人を楽しみたいと思うのだが、どんな老人になったらいいのかわからないのである。
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 長老の知恵を必要としなくなった現代で、著者のいうように「老人を楽む」のは意外に苛酷なのかもしれません。また喰いつぶす税金もなくなって、現役を下りられない可能性もあるわけです。そして何より、老いた『体』に『心』がついていかないという現実があります。著者は、自分が六十五歳であることに覚えるとまどいを率直に語っています。かといって積極的に死にたいわけでもないのです。
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 そう云えば、九十七歳の友達の母親が、「洋子さん、私もう充分生きたわ、いつお迎えが来てもいい。でも今日でなくてもいい」と云ったっけ。
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 著者は、この友達の母親の言葉に共感するものがあったのでしょう。明日は我が身。そう思いました。
posted by 作楽 at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(エッセイ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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