2007年03月02日

「となり町戦争」

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三崎 亜記 著
集英社 出版

 この小説においては、"失う"(あるいは失っている)ということと、それに"気づかない"ということにフォーカスされているように感じました。誰でも、日常に流され、何かを失ったり、見失ったりしています。そして、それに気づかずに日々を送る中、突然すでに失ったものに愕然とするということがあると思います。もちろん、私にもあります。でも、この小説には何ら、共感を感じませんでした。

 地域活性化を目的とし、行政主導で20年もの計画を経て、となり町と戦争をする、という発想はおもしろいと思います。そして、なぜ戦争をするのかという疑問をもたないこと、死者が出たことやその扱いに対しての感情が希薄なこと、戦争をビジネスとして企業が儲けていることに頓着しないこと、戦争を決められたプロセスでお役所仕事として片付けていくことに執着すること。これらのように、人ならおかしいと思って当然なことが次々と出てきて、その問題提起に、なるほどとも思います。なぜなら、誇張されている感は否めませんが、現代においても似たようなことが起こっているように感じるからです。戦争に決定権を持っている人の家族が軍事産業で要職についているなどという話題を耳にすることもあります。

 それなのに、なぜ、共感できなかったのでしょうか。

 私が共感できなかったのは、著者の問題提起らしきものはあっても、主張が感じられなかったからだと思います。人の感情なり、創り上げられた世界観なり、著者の意見なり、ぶつかってくるものを感じ取れませんでした。主のない文章は、読んでいても空虚な印象ばかりが残りました。
posted by 作楽 at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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