2007年04月12日

「モルヒネ」

20070412[Moruhine].jpg

安達 千夏 著
祥伝社 出版

 さらっと、友達が言いました。彼女にとって悲しい別れの直後でした。「生きている間って、結局、死ぬまでの暇つぶしなんだよね」

 どきっ、としました。私は延々とただ暇つぶしをしているのかと。死んだら、あとには何も残らないんだなぁ。子供がいてくれたら、その子供が私の生きていた証になるのかな、とぼんやり思った記憶があります。

 何かを残すためではなく、私自身が楽しむために生きているのだと思えばいいのだと、考えたら、気が楽になりました。

 でも、もし、自分自身が楽しめることが病気のために奪われ、残りの命も数ヶ月と限られたとき、私は生きる気持ちを持ち続けられるのでしょうか。

 たとえば、私がピアニストで、脳腫瘍により指が動かなくなり、麻痺が進む中、痛みを和らげる薬に頼り、残り数ヶ月の命を大切にしたいと思うのでしょうか。あるいは、もうここで、終りにしたいと思うのでしょうか。

 いよいよ死ぬと思ったとき、死んだあとも、だれかの思い出の中に生きたいと願い、その思い出を捜し歩きたくなるのでしょうか。

 あるいは、思い出は思い出のまま、そっとしておいて、身体が不自由になってみじめな表情をしている自分を見せたくないと強がったり、大切な人との間に距離をとるようにするのでしょうか。

 そんなことをぼんやりと考えた1冊でした。「モルヒネ」では、ピアニストの男性が付き合っていた彼女の前から7年前、突然姿を消し、オランダに渡ります。そして、今、脳腫瘍に冒され、指が動かなくなり、すべての治療を拒否して、日本に戻り、彼女の前に姿を現します。彼女は、別の男性と婚約したあとでした。

 7年前、さよならも言わずに去っていった彼と接する、今は医師となっている彼女。その気になれば、簡単に死ねるモルヒネが手に届く範囲にある彼女。もうここで終りにしたいと考えている彼の気持ちを思い、揺れる彼女の心。

 同じように、揺れているであろう彼の心。

 結局、人の心は、つかめないものなんでしょう。
posted by 作楽 at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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