2007年06月08日

「編集者という病い」

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見城 徹 著
太田出版 出版

 この本に対するひとくち感想。見せ方として失敗。裏側まで見せ、好奇心や刺激欲しさを満足させてくれる内容で成功。

 なんとなく、この本を眺めていると、スクリーンで見る刑事コロンボを思い浮かべてしまいました。初対面で、あの風貌を前に、コロンボが優秀な刑事だなんて、思えないです、普通。それに、あそこまでの鋭い観察力やしぶとい粘り強さがあるとも、思えないです、普通。

 この本の構成としては、寄せ集めを寄せ集めのまま、たいして工夫もせずに羅列したようにしか見えず、がっかり。パラパラとめくっても、何がどうなっているのか、さっぱりわかりません。今までに出版された本の解説や紹介文と思われる文があったり、書き下ろしたと思われる部分があったり。ミリオンセラーを出し続けている後発出版社、幻冬舎の社長の本という肩書きはあっても、中身はないのでは、がっかりするような感じです。

 刑事という肩書きがあっても、コロンボ刑事に事件を解決できるのかしら、とがっかりするのを似たような感じです。

 でも、本の中身をひとつひとつを読んでいくと、「そのとおりだ」と共感できたり、そこまでするから考えられない結果を出せるのかと刺激を受けたり、そんなことをせずにいられないから病いと位置づけるのかと納得したりする部分が、点在します。

 何よりも、息している時間をすべて編集者の時間として使っているとしか思えないような異常さが目をひきます。イマドキの、「残業がなくてぇ、休みが多くてぇ、給料のいい仕事ってないかなぁ」みたいな感覚からすると、命を削っているとしか思えないような働きぶり。

 この編集者、見城氏は、死ぬ瞬間のことだけを思って、毎日を駆けているようです。

 対談記事の中で、仕事をひとつ成し遂げただけでは癒されないのかという質問に対し、見城氏はこう答えています。
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 癒されない。人間は死に向かって行進してて、それはすべての人のが平等であるわけでしょう。死に向かっていく寂しさというのは、もう耐えようがない。自分はいずれ死ぬ。<中略>その恐れや孤独、寂しさを埋めるには、仕事か恋愛しかない。
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 死ぬ瞬間を考えて今を生きているという点では、池田 理代子氏の「あきらめない人生」に通ずるものがあるようにも思います。死の瞬間、人生が成功だったと思えて微笑むことができるかどうかを見城氏はゴールに据えているのです。

 加えて、客観的に見て受けるべき責任を引き受ける度量は拍手を送りたい気分です。「僕にとっては売れる本はいい本なんです」と断言する見城氏は、今の出版業界をこう批判します。
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本が売れないことを、自分の責任において引き受けない。
僕は、そんな出版人の「常識」の方こそ、実は「無謀」と思っている。
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 本が売れないのは、経済環境のせい、無料で本を貸し出す図書館のせい、安値で売るブックオフのせい。そう言っている出版人に檄を飛ばし、いい本を作れば売れる。売れないのは、いい本を出さないからだと、出版業界側の責任を自分で背負い、売ることによってそれを実証している姿を「あっぱれ」と言いたいです。

 それにしても、この本は、重複を省いたら、三分の一の量になってしまうものなのに、これだけ売れてしまうということは、手にした私が損した気分を多少味わっても、いい本なんでしょう、見城氏の持論によると。

 ちょっと納得できない部分もありますが、こういう強烈な個性の人の頭の中を少し覗けるのは、価値があり、おもしろいことだとは充分認めます。
posted by 作楽 at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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