2017年01月24日

「大坂侍」

20170124「大坂侍」.png

司馬 遼太郎 著
講談社 出版

 東京出身の友人から面白いと薦められ、読みました。筋書き、人物描写、歴史的背景など、色々な面で安定している司馬遼太郎らしい短篇集です。わたしから見て、他の司馬遼太郎作品に比べて、友人に勧めたいと思うほど面白いわけではないのですが、東京出身者からすると、ここで描かれる大阪人の価値観が珍しかったのかもしれません。

 この短篇集に収められているのは、以下です。

−和州長者
−難波村の仇討
−法駕籠のご寮人さん
−盗賊と間者
−泥棒名人
−大坂侍

 このなかでも、「難波村の仇討」と「大坂侍」は、気質というか価値観の点で大阪人(あきんど)が侍とは違っていることが目立っています。

「難波村の仇討」の時代は幕末で、ある侍が、兄の仇を討とうと備前岡山から上方にやってきたところ、その仇の使いを名乗る者から、仇討ちのゆるし状を売ってくれと頼まれます。この仇は、帯刀するあきんどのように描かれているのですが、自分を殺しにきた侍に対し、田舎には帰らず、貰った金で知らぬ土地でうまくやっていけばいいと提案しているわけです。したたかなあきんどとして描かれています。

「大坂侍」も、江戸の終わりを背景に、侍とあきんどが対照的に描かれています。こちらでは、十石三人扶持の侍が、三百年にわたって徳川幕府から受けた扶持のお返しとして征夷大将軍のもとに駆けつけると言うと、侍を慕うあきんどの娘が、三千石を用意するから、戦には行かないでくれと頼みます。そもそも、女が親や夫に従うだけの存在として描かれていません。自らの知恵で交渉する存在として描かれています。

 一見すると、なんでもかんでもお金で片づけようとしているように思われますが、あきんどとしては、合理性がないと言いたいだけのことだと、わたしは思いました。時代が大きく変わっていくときに、おいえだとか忠義だとか、ほとんど意味をなさなくなった事柄に見切りをつけるべきだと言いたいのではないでしょうか。

 そういう見方をすること自体、わたしが関西人である証でしょうか。ほかの方の感想を知りたいものです。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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