2017年04月17日

「文豪おもしろ豆事典」

20170417「文豪おもしろ豆事典」.png

塩澤 実信 著
北辰堂出版 出版

 著者独自の基準による「大文豪篇」「小文豪篇」「文豪候補篇」と3つの章立てになっています。

「文豪候補篇」は、わたしが実際に見聞きしてきた話題(東野圭吾、宮部みゆき、浅田次郎、片山恭一、俵万智、小松左京、筒井康隆、綿矢りさ、金原ひとみといった面々のエピソード)が多く、特に目新しさは、ありませんが、「大文豪篇」ともなると、時代を経ても読み継がれてきた作家や作品が数多く登場します。そして一番強く思ったことは「いまとは時代が違ったんだ!」ということです。

 昔は、新聞の影響力が大きく、かつ、その発行部数には連載小説が大きく寄与していたと思われます。昭和36年当時、産経新聞の発行部数を伸ばすべく、鳴り物入りで始まった司馬遼太郎の連載「竜馬がゆく」の原稿料は月100万円だったそうです。同社の部長の給料が3万円程度だったことを思うと破格です。しかも当時、司馬遼太郎は、産経新聞社に勤務する記者で、これを機に国民的作家になったそうです。

 いまでは世界中の人が知っている「レ・ミゼラブル」を書いたヴィクトル・ユーゴーは、その出版直後に出かけた海外旅行中に、「?」と書いた手紙を出版社に書き、その返事として「!」を受けとったそうです。手紙という通信手段自体が時代を感じさせますが、いまでは誰もが認める文豪も、「売れゆきはどうか?」と出版社に尋ねたくなったようで、さすがは文豪、「素晴らしい売れゆきです!」という報告を受けとったそうです。

 以前、わたしが借りていたアパートメントの前に『永井荷風生家跡地』の標識がありましたが、その永井荷風のエピソードは、くすりと笑えました。1952年に文化勲章を受けた永井荷風は、年額50万円の文化功労者年金を受けとることになり、浅草ストリップ劇場の踊り子たちに甘いものをご馳走しようと考えていたそうです。いっぽう、女の子たちは、相手が文化勲章受賞の偉いセンセイになったのを機に、よそよそしい態度をとるようになったとか。永井荷風はこうこぼしたそうです。「あれは文化勲章がわざわいしたんだ。ぼくはそこまで考えがおよばなかった。老人のたのしみを一つもぎとられたような感じですよ」
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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