2017年05月25日

「歴史をかえた誤訳」

20170525「歴史をかえた誤訳」.png

鳥飼 玖美子 著
新潮社 出版

 タイトルにある『誤訳』は、時間や能力などに限りがあって、意図せず間違えてしまった訳ではなく、広い意味での誤った訳のことです。『あやまる』ということばを広辞苑 (第6版) で引くと、ひとつに『普通の状態からはずれる。正常でなくなる。』とあり、この意味が近いと思います。それら誤訳を自分なりに分類してみると、以下のようになりました。

1. 能力がまったく足りていないのに通訳や翻訳をした結果、コミュニケーションが成立しなくなったケース

 論外のケースで、著者のおっしゃるとおりという感想しかありませんでした。

2. 思い込みなどに阻まれ、意図せず一部間違えたケース

<例>
日本語:大きな航空母艦
訳された英語:unsinkable aircraft carrier (不沈空母)

 この『不沈空母』は、実際には大型船舶ではなく、沈みようのない航空基地を意味しています。この間違いの背景は、本書で詳しく説明されていますが、通訳の場合、翻訳に比べて時間的制約が大きく、つい間違えてしまうことは、あり得ると思います。首脳会談などの通訳は、本当に大変だなと思わず同情してしまいました。

3. 黒子として通訳や翻訳に携わるのではなく、自らにとって都合のいいように意図的に歪めたケース

 1999年の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案の検討に際し、政府が意図的に軍事色が薄れる訳にしているとして、新ガイドライン研究会という団体が自らの訳と政府訳を比較対照し、説明を加えた書籍(「超明快訳で読み解く日米新ガイドライン」)を出版しました。以下は、本書で紹介されているその抜粋です。本書に紹介されている文脈では、新ガイドライン研究会の指摘が、わたしには妥当に見えました。

<例>
mutual cooperation planning in situations in areas surrounding Japan
同研究会訳:日本周辺地域における事態での相互共同作戦計画作成
政府訳:周辺事態に際しての相互協力計画

sea lines of communication
同研究会訳:海上補給路
政府訳:海上交通

logistics support activities
同研究会訳:兵站支援活動
政府訳:後方支援活動

intelligence gathering and surveillance
同研究会訳:諜報収集と監視
政府訳:情報収集及び警戒監視

4. 文化的背景を考慮すべき場面で、苦慮するケース

<例>
(日米貿易摩擦の原因となった日本の繊維製品輸出の自主規制を求められた場面で)
日本語:善処します
訳された英語:I'll do my best

『善処』すると言われて、結果を期待する日本人は少ないと思いますが、英語の best は、かなり積極的に聞こえます。ちなみに、広辞苑第6版で『善処』をひくと、『物事をうまく処置すること』とあります。辞書に載っている意味から離れて訳すのは難しく感じるいっぽう、あとになって『最善を尽くす』と言ったではないかという議論になっても困ると感じました。

 以下は文学作品からの例です。本書のタイトルからは一番離れている話題ですが、一番楽しめました。

<例>
太宰治の「斜陽」:
お昼すこし前に、下の村の先生がまた見えられた。こんどはお袴は着けていなかったが、白足袋は、やはりはいておられた。

ドナルド・キーン訳:
A little before noon the doctor appeared again. This time he was in slightly less formal attire, but he still wore his white gloves.

 男性の白足袋という日本の正装を白手袋という英語圏での正装に置き換えている点で名訳とされていると紹介されています。もしわたしがアメリカ人で、日本文学に興味をもって読む機会があったら、袴は袴として、白足袋は白足袋として登場してもらいたいと思いますが、これが名訳とされることには納得できます。

 通訳とか翻訳は、わたしにとって興味の尽きない話題です。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(英語/翻訳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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