2007年06月28日

「翻訳という仕事」

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小鷹 信光 著
ジャパンタイムズ 出版

 著者自身の仕事の流れ、翻訳の仕事をなさってきた経緯、超訳と言われる翻訳に対する批判、よりよい翻訳にするための注意点など、雑多な内容が含まれていますが、基本的にはタイトルにある通り、翻訳を仕事としてとらえた場合のあれこれが集められています。

 「誤訳をしないための翻訳英和辞典」にも書きましたが、翻訳を少しかじるようになった私が恐れているのは、誤訳。

 すっきりと確信を持って訳せる文だけでなく、たぶんこういうことを言いたいのだろうという推測が入ってしまう文章には必ず出くわします。駆け出しの私にとっては、出くわさないほうが不思議といってもいいでしょう。こう解釈してこういう日本語にしたけれど、これを書いた本人が思ったことと本当に一致しているのか、と思うこともしばしばです。そういう気持ちとどう向き合えばいいのか、この本を読んで少しわかったような気がします。

 著者である小鷹氏はこう言います。
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 八〇点、いや七〇点でもよしとしなければ、翻訳はできない。七〇点を一〇〇点と誤解するのではなく、七〇点は七〇点だと謙虚に考えられるようになって初めて、見切りもつけられるようになる。その期に及んでくよくよしていても始まらない。
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 私はずっとコンピュータソフトを作る仕事に携わってきましたが、バグはなくせない、と思うようになるのに、時間が掛かりました。ひとつ残らずバグを取り除くことが不可能だと断定しているわけではありません。ただ、"仕事として"ソフトウェアを作っている以上、時間の制約もあれば、利益も考えなければなりません。重大な瑕疵でなければ、目をつむらなければならないときがあるのです。

 それと同じことなのだと、感じました。まさに"仕事としての翻訳"なのです。

 しかしながら、小鷹氏はこうも言います。
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 理想論にすぎるかもしれないが、できることなら五年おきぐらいに当人の手で改訳することが慣例になれば一番いいだろう。一方、絶対に古びない翻訳というものもあり得ると思う。語られている時代が、日本の明治時代末期、あるいは大正時代に匹敵する古い作品で、舞台の街そのものも古く、何年たっても古いままの翻訳で、新鮮さが消えないという名訳もある。しかし、すでに八〇年ぐらいたっているO・ヘンリーの作品でも、新しい感覚で訳そうと思えば訳せる。だからこそ翻訳は面白い。
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 熟成させたり、第三者の目に晒されることにより、見えてくるものもあるので、改訳するチャンスを得ることができれば、どんなにいいでしょう。私が今しているソフトウェア関連の翻訳の場合、ソフトウェアのバージョンアップがこれにあたります。一方、文芸翻訳の場合は、やはり理想論で終わってしまうのかもしれませんが。

 また、「グレート・ギャッツビー」はココがすごい!で私が挙げていた「たとえば、明治時代の日本文学を読んでいて、その会話が現代と大きく差異があっても、その時代の雰囲気を感じるという点において、それはそれでリアリティを感じていると私は思います。それが、翻訳になると、その時代の雰囲気を伝えるセリフではなく、古びたセリフになってしまうのは、なぜなんでしょう」という素朴な疑問に対して、古びない翻訳の可能性がゼロではないことを小鷹氏が説明されているのは、思わず、やっぱりと思ってしまいました。ただ、今からそういう訳が生まれる可能性を考えると、「翻訳家じゃなくてカレーやになるはずだった」のように可能性はゼロと言っていいのでしょう。

 私の小さな疑問をいくつか解決した本でした。
posted by 作楽 at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(英語/翻訳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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