2018年10月26日

「ひとは情熱がなければ生きていけない」

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浅田 次郎 著
講談社 出版

 著者の小説を何冊か読んだことがありますが、エッセイは初めてだったので、自衛隊員や企業経営者を経て小説家になったという意外な経歴が珍しかったのはもちろん、学べたこともありました。

 ひとつは、日本語の文体についてです。いまわたしは、さまざまな作家の文章を読み、それぞれ文体が違うように感じていますが、それらを包括する現代の文体は、約 1400 年にわたる日本文学の歴史において、きわめて新しいものだということです。著者はこう書いています。

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日本語の自由な散文表現は、たかだか百年の歴史しかないと言っても良い。

 その百年の間には、鴎外のように漢文の骨格を大切にした作家もおり、漱石のようになよなかな和文体を用いた作家もいた。やや遅れて、芥川龍之介はその持ち前のディレッタンティズムに物を言わせて、和漢の教養の上に翻訳文の構文を融合させるという文体を創造し、志賀直哉は「話すように書く」言文一致の理想に最も適応した、わかりやすい小説文体の嚆矢となった。

 では現況はどうであるかというと、先人たちの文体とはほとんど血脈のない、純血の英語翻訳文体が主流となっている。時代が若くなればなるほど、和漢の伝統的文体は学問とみなされ、教室の外に出れば誰もが翻訳小説を読み、ハリウッド映画を見続けてきた当然の結果であろう。また文学を繞 (めぐ) る社会環境の全体も、急激にアメリカを指向してしまったので、そうした教養の吸収方法に無理や無駄がなかった。
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 自分の人生が、この百年にすっぽりと収まっているので、こうして指摘されるまで意識したことがありませんでした。

 ただ考えてみると『英語翻訳文体』が『翻訳』から生まれたのであれば、その翻訳には 2 つの言語が必要で、もとは 2 つの文体があったはずです。そのもとの日本語の文体では、いまのわたしは読めないかもしれないと思うと、『日本文学』をわたしたちの文学といえるのかと思ってしまいました。

 もうひとつは、昭和の話です。かつて銭湯にみなが通っていたころ、銭湯にある大きな鏡のなかで、ひとはそれぞれ相対的な自分の姿を認めてきたと著者はいいます。つまり、男湯では、ある者は筋骨を誇示し、ある者は老いを嘆き、女湯でも女性の規矩 (きく) に則って、同様の自己判断が行なわれていたというのです。

 いま自己評価の甘い人間が多くなったのは、この大鏡がなくなったせいではないかと著者は推測しています。自分だけが映る家庭の鏡では、他者との比較ができず、自らを絶対的視野でしか判断できなくなったというのです。

 たしかに時代とともに、職業、年齢、価値観などが違う人たちを目にする機会は減ってきているので、偏った考えで自己満足に陥らないようにしなければ……どきっとする意見でした。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | 和書(エッセイ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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