2007年10月18日

「あやつられ文楽鑑賞」

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三浦 しをん 著
ポプラ社 出版

 能、狂言、人形浄瑠璃(文楽)。伝統芸能といわれるものは、私にとってはみな敷居が高く感じられます。たとえ、発祥当時は庶民が楽しんでいた芸能といわれても、とっつきにくい印象は変わりません。

 でも、この本を読んで、文楽を一度見てみるのもいいかもしれないと思いました。一番の理由は著者自身の楽しみ方が、肩に力が入らず、自由に解釈し、好きなように楽しまれているのが伝わってきたからだと思います。現代においても、知らない人はいないと思われるくらい有名な近松門左衛門。その人でさえ、この本の中では身近に感じてしまいます。次は、近松門左衛門作の作品紹介の部分。
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『女殺油地獄』一七二一(享保六)年、竹本座で初演。作者は近松門左衛門。
もんもん(勝手につけた近松のあだな)のすごさに、シャッポを脱ぐしかない名作。
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 なにせ、あだなが「もんもん」ですから。たしかに、門が2つもついてますが、歴史上の有名人物にもあだなを付けようという発想は著者独特のものだと思います。

 また、文楽を見て、ついていけないと思うような状況も、さらっと受け止めるあたり、見習いたいと思うのです。『仮名手本忠臣蔵』のあらすじ説明では、次のような文があります。
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 現在では夜道はたいてい暗くないし、煙草の火のやりとりをすることすら稀なので、勘平と弥五郎の山中での再会が非常にドラマチックに思える。といっても、私が見ていたかぎりでは、弥五郎ってこの場面が初登場なんだが・・・・・・。文楽ではこういう、「何食わぬ顔で急に出てくるひと」がけっこういるので、いちいちたじろいでいてはいけない。
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 はぁ。でも、初登場なのに、すでに皆が知っている人の風情で出てきたら、「あれ?誰だったっけ?見落としたかな?」とたじろくでしょうに。と思うのですが、そこをそういうものだと思えば気にならないのね、と私も深く拘らずにいましょうと思えてくるから不思議です。

 また、解釈の自由さに対する考え方も共感できます。「私はこう解釈したけど、みなさんはいかがでしょうか」というスタンスでいられると、正解を求める堅苦しさから解放され、文楽を見るのも楽しいかも、という気持ちが湧いてきます。

 この本では、演目の説明や著者の解釈だけでなく、人形の作り、徒弟制度、有名な劇場、文楽をより楽しむためにお勧めの本、など多岐にわたる内容を著者独特の視点と感性で語られています。読むと、古典芸能もぐっと身近に感じられます。「三四郎はそれから門を出た」も著者の語り口や感性が興味深く感じられる本でしたが、この「あやつられ文楽鑑賞」は、文楽そのものの魅力を身近に感じさせてくれる点で、また違ったおもしろさを感じました。
posted by 作楽 at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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