2007年10月24日

「東洲しゃらくさし」

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松井 今朝子 著
PHP研究所 出版

 歌舞伎の世界をまったく知らなくても、「非道、行ずべからず」を楽しく読めたのは、やはり作家の力量が大きいと思ったので、思い立ってデビュー作も読んでみました。

 こちらは、東洲斎写楽に関するお話。

 今回も、私には東洲斎写楽に関する知識はまったくありませんでした。あの独特な絵の複製くらいは見たことがありますが、彼の作品が約10ヶ月の間に集中していること、その中でも初期の作品が代表作になっていて後期になるほど精彩を欠いた作品が多くなること、身元がいまだにはっきりしていないこと。すべて今回初めて知りました。それでも、おもしろく読めました。

 知識がなくてもおもしろく読めるのは、やはり話しの流れに邪魔にならないようにうまく必要な知識が織り込まれていることが一番の要因だと思います。加えて、時代が違っても、歌舞伎や書肆という特殊な世界が舞台になっていても、現代の私たちの生活に共通する部分が多いこともあると思います。

 たとえば、歌舞伎作者である並木五兵衛(のちの五瓶)は、立作者(歌舞伎の座専属の作者の中でのトップ)として、上方から江戸に下ります。その中で、東西(江戸と上方)の違いに戸惑います。たとえば、仕事の進行における形式の重要性の違い、座におけるポジションの役割の違い、客の好みの違いなど、現代においても、地方から東京に出てきたことがあるものなら、誰でも経験しそうな戸惑いがよくわかります。

 また、大版元の蔦屋重三郎は、目端が利き、短期間にのし上がったものの、お上からの手痛いお裁きを受ける羽目に陥ります。出る杭は打たれるではありませんが、あまり真正面から大きな力に立ち向かっていっても得るものが少ないと悟るあたりも、今の社会においても共感するものがあります。

 そして何よりも、写楽の初期の作品のほうが活き活きとしている理由に対する推察を読むと、したいという衝動に突き動かされてすることと仕事としてすることの違いやジレンマなど、仕事に向き合う中で似たような感覚を持つことがあると、親近感を覚えます。

 感情移入できる面もあり、まったく知らない世界を垣間見ることができる面もあり、やはり読んでいて楽しい本に間違いはありません。

 まして、謎の多い東洲斎写楽に対する作者の推測は、すでにわかっている事実とうまく絡まっていて、「非道、行ずべからず」のミステリとしては呆気ない謎解きに比べて、ずっと読み応えがありました。東洲斎写楽に関する知識がある方がこの本をどう評価されるか、伺う機会があれば聞いてみたいと思う本です。
posted by 作楽 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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