2008年05月08日

「カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻」

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ドストエフスキー 著
亀山 郁夫 訳
光文社 出版

 「エピローグ別巻」とありますが、エピローグの部分は60ページにも満たなくて、残りは訳者の解説でした。「カラマーゾフの兄弟」といえば大作ですし、一度読んですべてを理解できるものでもないので、解説は、ありがたく読めました。

 でも、解説を読めば読むほど、気になるのが、この続編。 ドストエフスキーの最後の作品である「カラマーゾフの兄弟」は、続編を前提に書かれているのですが、その続編を書くことなく、これが最後の作品となったのです。

カラマーゾフの兄弟 1」の最初は「著者より」という部分から始まります。そこには、次のように書かれています。
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 重要なのは第二の小説であり、これは、すでに現代、つまり現に今の時代におけるわたしの主人公の行動である。しかるに第一の小説は、すでに十三年も前に起こった出来事であり、これはもう小説というより、主人公の青春のひとコマを描いたものにすぎない。
 しかしわたしからすると、この第一の小説ぬきですますわけにはどうしてもいかない。そんなことをすれば、第二の小説の大半がわからなくなってしまうからだ。
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 その第一の小説だけを読むのは、それはそれで楽しいのですが、どうしても第二の小説を空想してしまいます。訳者の解説は、それを随分助けてくれ、自分で読んだときには深く印象に残らなかったけれども、言われてみると、第二の小説の伏線となっているのかもしれないと思えるところが複数ありました。

 あと、解説を読むまで思いつきもしなかったことも、書かれていました。フョードルの次男であるイワンと、フョードルの子どもかどうか不明のまま第一の小説は終ってしまっているスメルジャコフとの「一体性とその崩壊」という考えです。スメルジャコフが、イワンに傾倒している、あるいは心酔している、とは思っていましたが、一心同体とまで考えているとは思いませんでした。解説ではこう書かれています。
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その意味でスメルジャコフはイワンによって殺害されたといっても過言ではない。イワンの決意に、スメルジャコフはどうあがこうとも勝てる見込みはなかった。そしてそれ以上に、彼をとらえた絶望があった。イワンとの一体性の崩壊である。
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 イワンとスメルジャコフでは、性格も違えば、生まれや育った境遇もまったく違うので、「一体」ということばは思い浮かびもしませんでしたが、解説を読むとなんとなく納得できました。

 また解説は、ドストエフスキーの境遇にも触れています。彼は少年時代に、父親を殺されています。そして、その父親殺しが、この小説に投影されていると、解説では指摘されています。思わず「そうかー」と思ってしまいました。

 実際には、小説に解釈に正解はないですし、第二の小説もないのですから、解説はひとつの解釈だったり、ひとつの想像だったりに過ぎないのですが、自分の印象と比べてみたり、理解を深められたり、意外におもしろく読めました。
posted by 作楽 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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