2014年01月16日

「政と源」

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三浦 しをん 著
集英社 出版

「政と源」というのは、国政と源二郎という幼馴染みのふたりを指します。ずっと墨田区Y町という(現代にしては)長閑な町に住み続けている御年74歳の幼馴染みです。政は、銀行員として勤めあげたあと、妻と別居しているため、ひとりで暮らしています。一方、源のほうは、つまみ簪の職人を現役で続け、若干二十歳の若者を弟子にとり、妻に先立たれたとはいえ、毎日賑やかに暮らしています。

 この対照的なふたりのうち、寄らば大樹の陰と堅実に豊かな暮らしを目指してきた政の視点で、彼らの日常が語られるのは、政が良しとしてきた価値観が世間一般で受け入れられてきたからかもしれません。

 現役を退いた政は、娘のところに身を寄せている妻から電話一本もらうわけでもなく、孫の七五三の祝いに呼ばれるわけでもなく、銀行員時代の付きあいが続いているわけでもなく、唯一の人付き合いが政という状況にあります。高度成長時代を働いて過ごした日本の男性が多かれ少なかれその状況を理解できる立場におかれているわけです。

 一方、破天荒な源のほうは、毎日やって来る弟子の徹平やその恋人マミと食事をともにし、ときには美容師のマミに白髪を染めてもらったりもします。

 そんなふたりが共に過ごしてきた時間、そしていままさに続いている日常は、滑稽なような、悲哀を帯びているような、なんともいえない味わいを醸しています。三浦 しをん独特のくすっと笑える場面が、子供にかえったようなふたりの掛け合いに似合っていて、読んでいるあいだ、Y町に幼馴染みを身近に感じられます。

2011年10月21日

「舟を編む」

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三浦 しをん 著
光文社 出版

 生涯現役で頑張ったとしても、そう何度も経験できないという、気のながい仕事が取りあげられています。タイトルの「舟を編む」の編むは辞書の編纂を意味します。そして舟は、言葉という大海原を渡るための舟です。

 自分が生まれる前から存在してきた辞書は、わたしにとって空気みたいな存在で、この本を読んで初めて気づけたことが多かったと思います。

 辞書編集者というのは、地味を絵に描いたような仕事ですが、そこは著者独特の軽妙な語り口で、いい塩梅に人物像が仕上がっていました。

 主人公は、馬締(まじめ)という名前で、たしかに真面目ではあるのですが周囲から浮きまくるというユニークな個性の持ち主で、彼の存在自体が笑いをひきおこしてしまいます。その一方で、辞書編集者という枠から人生全体に仕事がはみだしているかのような、彼の言葉や辞書に対する熱い思い入れは、周囲を変えていってしまいます。暑苦しくならない程度の熱意と、ユーモラスな行動が、辞書編纂という地味な舞台裏で映えていました。

 この本を読むまで何の興味もなかったくせに、辞書が、激しい変化を迎えるであろう出版業界でどうなっていくのか気になるようになりました。

2010年12月15日

「木暮荘物語」

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三浦しをん 著
祥伝社 出版

 木暮荘という名のおんぼろアパートを舞台にした短編連作です。三浦しをんらしいユーモアが散りばめられた作品です。この作家がうまいと感じるのは、登場人物の微妙な(極端過ぎるのではなく、くすっと笑いがこぼれる程度の)ズレ具合がいい塩梅で配合されている点です。

 また、人の部屋を覗き見している変態野郎が人の気持ちに届く真っ当なことを言ったり、ヤクザが人の夢を叶えてあげようと健闘したり、意外性が随所に埋め込まれてあって、読み進めるのが楽しく感じました。

 あるストーリーで張られた伏線が別のストーリーで回収されるという構成も、個人的には好きなパターンなので、堪能できました。

 人との過密なつきあいに疲れた人にとっても、人と接点が持てないことに孤独を感じる人にとっても、この本のなかのアパートはたぶん避難場所としてうってつけだと思います。べったりと寄りかかるでもなくまったくの無関心でもなく、住人たちが緩やかにつながっている空間を好ましく思える人に楽しんでもらえる作品のような気がします。

2010年06月04日

「天国旅行」

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三浦 しをん 著
新潮社 出版

 雑誌の書評欄に載っていたこの本の表紙が気に入り、手にしました。この絵は、クラウス・ハーパニエミ(Klaus Haapaniemi)というフィンランド出身(英国在住)のデザイナーというかイラストレーターの方による作品だそうです。タイトルは、"Basque"。

 実は、肝心の本の内容は、帯を見てびっくりした次第です。「『心中』をテーマに当代一の名手が描く、生と愛の物語。」

 「まほろ駅前多田便利軒」や「仏果を得ず」を読み、三浦氏に対し、エンタテイメント性の高い作品に大多数の人が共感できるメッセージを込めて書く作家だというイメージを抱いていました。でも、「」のような、閉塞感を感じる陰のイメージの作品も書くのだと意外に感じた次に読んだのがこの短編集です。それで、テーマが心中。意外性があり過ぎではないかと思いました。

 でも、読み終えてみると、よかったです。少なくとも、帯を見たときに期待した以上のものはありました。

 ひとつは、心中という重いものがテーマになってはいても、明るさ/暗さにバリエーションがあったことです。死ぬつもりの主人公なのになぜかコミカルさが漂っている「森の奥」、心中を遂げて幸福感に包まれているはずなのに、その心中には実は裏があったのではないかと疑ってしまう悲哀が滲む「君は夜」、焼身自殺した恋人のために真実を暴こうとした女子高生がもしかしたら自身の恨みを晴らそうとしたのではないかという疑惑を抱いてしまう「炎」など、心中ということばのもつイメージからは簡単にはたどりつけない、陰と陽と簡単には分けられない話になっています。

 あと、バリエーションといえば、登場人物の年齢性別性格などがうまく描きわけられていたことも楽しめた理由のひとつだと思います。近く死を迎えると感じている老齢の男性が心中しようとした過去を認める「遺言」、昔話を聞かせて欲しいという学生の求めに応じて女性が語る「初盆の客」など、それぞれの個性が伝わってきます。

 こういう作品を書いてもうまい作家さんなのだとはわかっても、やはり個人的には「仏果を得ず」のようなエンタテイメントを期待してしまいます。

2009年07月10日

「光」

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三浦 しをん 著
集英社 出版

 作者が築き上げる世界観にわたしは共感できた作品でした。

 小さいながらも自然豊かな美浜島はある夜、突然襲った津波にのみこまれ、すべての家が押しつぶされてしまいます。生き残ったのは、たった六人。14歳の信之と美花、彼らの幼馴じみの輔(たすく)の三人は、家を抜け出して高台で会っていて助かりました。輔の父親である洋一と観光客の山中は海にいて、灯台守は灯台にいて災難を逃れます。

 しかし、せっかく助かった山中も、生きて島を出ることはありませんでした。それから、二十年近くの間、信之、美花、輔は接点を持たずに暮らします。しかし、ある日突然、また三人は接点を持ちます。
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 求めたものに求められず、求めていないものに求められる。よくある、だけどときとして取り返しのつかない、不幸だ。
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 そう語られるとおり、関わり合いになりたくないと強く願っているのに、求められる。その連鎖によって、不幸が広がっていきます。輔の父親は息子を食い物にし、輔は信之に救いを求め、信之は美花だけを愛し守ろうとします。しかし、美花は……。

 日常に何気なく起こる不幸だけに、共感できました。ひとの思い込みは、堅牢でもあり、脆くもあります。何ひとつ疑う余地がないと思っていたことも、ある日突然崩れさることもあります。津波にのみこまれた小島のように。しかし、ものごとの境界線は常に曖昧で、それらを明確に分けるのは本人の思い込みだけ。そして、その思い込みは、それぞれが違い、とても脆いもの。

 以前に読んだ「仏果を得ず」とずいぶん雰囲気が違う作品で、とまどいました。