2018年06月19日

「ノーベル賞の真実 −いま明かされる選考の裏面史−」

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アーリング・ノルビー (Erling Norrby) 著
井上 栄 訳
東京化学同人 出版

 タイトルを見て、各ノーベル賞の受賞者が決まるまでの紆余曲折が数十年経って明かされるといった内容を期待していましたが、少し違っていました。

 期待通りだったのは『数十年経って明かされる』点です。ノーベル委員会での審議内容は、外部からの影響を受けないで公正さを維持するために完全な秘密にされ、ノーベル文書館に保管された記録文書は、50 年経つまで公開されません。ノーベル生理学・医学賞委員会の常任および臨時委員を約 20 年務めた著者のノルビー氏は、受賞年 1960 年〜 62 年を中心にノーベル生理学・医学賞に絞り本書を書かれています。(本書の出版は、2018 年 3 月ですが、原書を執筆された時点では、1963 年の記録文書は公開されていないため、最新の記録文書がもとになっているといえます。)

 期待と少し違っていたのは、『受賞者が決まるまでの紆余曲折』の部分です。審議内容に触れ、候補者の授賞に至らなかった理由、何度も候補にあがりながら長期間授賞が見送られたり、どのジャンルのノーベル賞を授賞するか検討されたりした方たちも明かされていますが、受賞者の生い立ちや研究のきっかけから始まり、研究の経過や挫折など、受賞に至る道筋のほうが詳しく書かれています。(この分量でも、原書の一部は割愛されているそうです。)

 ときには難しい内容に音をあげそうになりましたが、概ね興味深い内容でした。自分が生まれる前に起こったこととはいえ、自分がいま生きているこの世界は、これらの研究がなければ違った世界になっていたと素人でも想像できるからです。

 一番印象に残っているのは、1960 年のバーネットとメダワーの共同受賞です。メダワーは、ある日、皮膚移植を必要とするほどの火傷の患者を目の当たりにしましたが、当時は一卵性双生児間しか皮膚移植ができませんでした。それをきっかけに、メダワーは、人体が他人を区別する精巧な力に気づき、自己と非自己を区別するメカニズムの研究を始め、ノーベル賞を受賞します。こうして免疫の仕組みがわかり、それを抑制することが可能になり、いま当たり前に行われている移植が実現されたわけです。

 そのメダワーは、自叙伝でこう語っています。

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分解的発見 (analytic discovery) とは、すでに存在することが知られている領域の地図を描くことである。たとえば、結晶構造をもつと理論的に考えられている分子の結晶構造を明らかにすることである。これとは反対に合成的発見 (synthetic discovery) とは、その時点では存在が知られていない領域へ入ることである。その例は免疫寛容、 GvH 病や、リンパ球は赤血球と同様に循環している細胞であるというジェームズ・ゴワンズの発見である。
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 そして著者は、合成的発見こそがノーベル賞に値すると述べています。

 ノーベル賞の発表に注目している方には、お勧めしたい本です。
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2018年06月18日

「仮想通貨とブロックチェーン」

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木ノ内 敏久 著
日本経済新聞出版社 出版

 バランスのよい入門書だと思います。仮想通貨が抱えるリスクや現行法におさまらない難しさ、資金移動の観点から見た優位性などがひととおり網羅されているだけでなく、ブロックチェーンの仕組みやメリット・デメリットなども説明されています。

 ブロックチェーンの成り立ちには、当然ながらサトシ・ナカモトが紹介されています。そのなかに、サトシ・ナカモトが 2009 年 2 月に仲間に宛てたメッセージの一部が紹介されていました。

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現行通貨の根本的問題は、強固な信頼がなければ機能しないのにそうなってはいないことだ。中央銀行は通貨の価値を貶めないという信頼が必要なのに、(権力が発行する) 法定通貨の歴史をみれば、こうした信用を裏切ったケースは捨てるほどある。銀行は我々市民の資金を保全し、電子的に移動させるために信用されなければならない。ところが彼ら銀行家は、引当もそこそこに、信用バブルの中に我々のお金を投げ入れるのだ。
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 こういう背景描写は、サトシ・ナカモトがブロックチェーンを設計だけで終わりにせず、実装した意図を考えるのに役立ちました。ただ、すでにあちこちで指摘されていますが、武宮誠氏に関係する記述が間違っているようです。
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2018年06月04日

「断髪のモダンガール――42人の大正快女伝」

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森 まゆみ 著
文藝春秋 出版

 大正時代に若い女性が髪を短くするということは、未婚の場合は結婚できなくなること、既婚の場合は夫を亡くしたことを意味したようです。そんな時代の『断髪』という言葉は、ここでは単にアイキャッチャーで、「42 人の大正快女伝」というのがこの本の中身です。

 もともとは、望月百合子を一冊の本にする予定が、肝心な部分を調べきれず、彼女と交友のあった女性たちを中心に同時代の女性たちをまとめたようで、現代でも名を知られた女性たちが多く含まれています。そのため、望月百合子の眼を通して、ここに登場する女性たちを見る傾向があります。別の表現をすれば、ここに登場する女性たちは、互いを直接知る機会が得られるほどの小さな輪、つまり社会的活動を許されたひと握りの存在だったということでしょう。

 この 42 人のなかで、もっとも印象に残っているのは、与謝野晶子と平塚らいてうです。

 与謝野晶子は、夫の寛がパリに滞在した際、夫から呼ばれるままあとを追って 1912 年 (明治 45 年) 4 月に洋行しています。そのとき、光 (ひかる)、秀 (しげる)、八峰 (やつお)、七瀬 (ななせ)、麟 (りん)、佐保子 (さほこ)、宇智子 (うちこ) の 7 人の子育て中で、一番下はまだ 2 歳だったそうです。

 その翌年、夫よりひと足先に帰国したのは、身ごもったからでした。その後、アウギュスト (のちにc (いく) と改名)、 エレンヌ、健 (けん)、寸 (そん・2 日で死去)、藤子と産み、後世に残るほどの作品を生みだしながら、11 人の子供を育てたいうことです。与謝野晶子の歌を多少知ってはいても、妻や母としてどう家を支えたのか思ったこともなく、驚きました。

 そのいっぽう、平塚らいてうは、頭でっかちなお嬢様だったようです。1911 年 (らいてう25歳) に月刊誌『青鞜』を発刊 (創刊号では、7 人の子育て真っ最中の与謝野晶子が寄稿) したものの、1915 年には、二十歳そこそこの伊藤野枝の手に明け渡しています。『青鞜』は、その後 1 年少ししか続かず無期休刊となったとか。『青鞜』=平塚らいてう=婦人解放論といったわたしのイメージは、誤りだとこの本に指摘された印象を受けました。 
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2018年05月11日

「異邦人」

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カミュ (Albert Camus) 著
窪田 啓作 訳
新潮社 出版

 カミュが「ひとりの人間の仕事とは、かつて一度、はじめて心がひらかれた 2、3 の単純で偉大なイメージを、芸術という紆余曲折を経て再発見する、そのための長い道行き以外のなにものでもない」と、ある作品の序文で書いていたというのを見て、カミュの作品を引っ張りだし読んでみました。

 この小説でカミュが描いているのは、人生における『意味』に対して確固たる信念をもっている青年ムルソーです。

 ムルソーには、マリイという恋人がいて、彼女から「私のことを愛しているか」と訊かれ、そんなことは何の重要性もないと指摘しながらも、マリイが結婚したいのならしてもかまわないと答えています。仕事の場面においても、かつて野心を抱いたこともあったが、そうしたものは、いっさい無意味だということを悟ったと認めています。

 また、ムルソーは人殺しとして告発され、裁判にかけられ、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されるという理不尽な目にあいますが、それに対しても意味はないと考えています。

 ムルソーを見ていて、人生において何か意味のあることはあるのか問いたくなりましたが、『不条理の哲学』ということばを思い出しました。

 作品の最後に「私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものに感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。」 と、あります。カミュが心をひらいた単純で偉大なイメージとは、おそらくわたしには見ることのできないイメージに思えました。
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2018年04月24日

「二十歳の原点」

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高野 悦子 著
新潮社 出版

 二十歳で自殺した大学生の日記が死後刊行されたもので、長年、増刷や改版を繰り返して読み継がれてきたようです。

 学生運動が活発だった時期の 1969 年 1 月 2 日に彼女が二十歳の誕生日を迎えた日から日記は始まりますが、読み始めてすぐに気づくのは、将来の夢や毎日の楽しみといった若い女性からイメージするような内容が何も見当たらないいっぽう、自分に問題を課したり、厳しい自己評価を下したり、ひたすら自分と向き合う真摯な姿が浮かびあがってくることです。

 そして半年ほどのあいだ記されたこの日記が始まる前から、常に頭の片隅に死のイメージがあったのではないかと思われる記述が散見されました。『人間はしょせん独りである』と書きつつも『独りでいるのはさびしい。恋人がほしい。』と書き、好感をもった男性について、『私が死んだら彼はどう思うのかな。』と考えていました。

 繊細な性格であると同時に観察力に優れ、自らの内面を見つめ『私は我 (が) の強くない人間である。私は他者を通じてしか自己を知ることができない。自己がなければ他者は存在しないのに、他者との関係の中にのみ自己を見出している。他者との関係において自己を支えているものは何なのか。』と、自らに問うています。

 正直な気持ちを日記にしたためつつ、毎日を送っていた彼女に「ありのままの自分でいて、いいと思います」と伝えたくなりました。
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