2019年07月23日

「最適な『人生のペース』が見つかる 捨てる時間術」

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若杉 アキラ 著
日本実業出版社 出版

 わたし自身も本音では著者と同じように無駄な時間だと考えていたのに踏ん切りがつかず行動に移せなかったことがいくつかあります。

 ひとつは、乗り気ではない飲み会への参加です。プライベートではもう、楽しい飲み会へのお誘いしかないのですが、同僚との飲み会は、乗り気ではなくとも時々参加しています。著者は、飲み会に行かないせいで不利益を被るような会社は、そもそもいる意味があるのか疑問に思うといいます。そのことばに納得できたので、これからは自分の時間優先で割り切ってお断りできそうです。

 もうひとつは、さらに難易度の高い問題です。わたしが興味をもてないイベントの集客に、わたしが大切に思っている方が関わっていてお誘いされるケースです。当日、わたしにとって大切な方とお話できればそれだけで行く価値はあるのですが、集客に関わっているくらいなのでお忙しそうで声をかけられない場合がほとんどです。著者は、そんなケースで演劇に誘われたときのお断り例をこう書いています。
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お誘いありがとうございます (誘いに感謝)。
先日のお話とても楽しかったです (これまでともにした時間に好意を示す)。
今回は〇〇の劇なのですね。いつも応援しています (これからも好意があると示す)。
あいにく当日伺うことはできませんが、素敵な舞台になることを願っています (理由を伝えずに断る)。
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 ポイントは、理由を伝えていないことです。目からウロコです。これから参考にさせていただきたいと思います。
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2019年07月22日

「現役東大生の世界一おもしろい教養講座」

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西岡 壱誠 著
実務教育出版 出版

 この本の内容紹介にあるとおり、古今東西のできごとを『風が吹けば桶屋が儲かる』方式で解説しています。つまり、そういう因果関係の連なりを組み立てられるかもしれないけれど、そうではないかもしれないといった話を現代の若者言葉を取り込みつつ楽しく解説しています。

 たとえば、日本では 2000 年代に入ってショッピングモールが地方に増えました。(これについては説明されていませんが、大規模小売店舗法が廃止されたことが引き金になったと思われます。) それにより地方の駅前商店街はシャッター街になり、若者は自分たちの商店街を潰したショッピングモールで働くのが嫌で都会で働くようになったと説明しています。そういった心理的要因もあったと思いますが、このころ大学への進学率が 50% に迫る勢いで増えていました。そのため、都市部で大学生活を送った若者がそのまま就職したという要因もあったとわたしは推測していますが、著者はそういった要素はすべて切り捨てて簡略化しています。

 その結果、論点の展開が教養かエンターテインメントか、ちょっと微妙なラインを彷徨う感じになっていますが、この本で著者が伝えようとしたことは、大切なのは知識を覚えることではなく、知りえたこと同士の関連性を考えてみたり、応用してみたり、学んだことを活用することの大切さだと思います。

 若い人たちに向けたそのメッセージは伝わっているのではないかと思います。
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2019年07月14日

「どうぶつ会議」

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エーリヒ・ケストナー (Erich Kästner) 著
ワルター・トリヤー (Walter Trier) 絵
光吉 夏弥 訳
岩波書店 出版

 現代のわたしたちは、子供向け絵本といえば、現実社会に存在する悪意や犯罪などが完全に排除された架空の世界を舞台とした物語をイメージしがちです。しかし、この絵本は違います。正しい目的のためならば、実力行使も辞さない構えで戦う動物たちが描かれています。そういった描写を子供たちに見せるべきではないと考える方もいるかもしれませんが、わたしはこういった絵本もあっていいと思いました。

 それは、子供たちにも知ってもらいたい、考えてほしいというメッセージが感じられたからです。同時に大人たちにも自らの愚かさを知ってほしいという気持ちもこめられていたのかもしれません。

 ある程度の配慮もされていますし、ユーモアのセンスもあって、いたわしい雰囲気は感じられません。この本が日本で最初に出版されたのは、1954 年です。当時は、いまほど子供たちを無菌状態で育てたいという思いが強くない時代だったのかもしれません。
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2019年06月29日

「外資系コンサルが実践する 図解作成の基本」

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吉澤 準特 著
すばる舎 出版

 久しぶりに提案書を書くようになったので読みました。文だけの情報を、図解で改善していく事例が冒頭にひとつ紹介されているのですが、その前後の違いは明白でした。時間の制約があって、ここまでのことはできないのですが、図形の使い分けルールが掲載されていたので、せめてこれくらいは実践したいと思いました。

【四角形】
角ばった見た目から、具体性のある考え方や事実を示すのに適します。配置するスペースに応じて長方形と正方形を使い分けます。

【三角形】
三角形は、量の増加や減少、集中と拡大、組織モデルや上下関係、スケジュール上の目標地点やマイルストンを示すのに適します。

【丸四角形】
丸四角形は、丸みを帯びた見た目を持つため、四角形で示すよりも抽象的な概念や主観的な意見、推測を示すのに適しています。四角形と混在させる場合、より抽象的で主観的な要素を丸四角形に当てます。

【円・扇形】
円・扇形は、図形全体が曲線で成り立っているため、抽象度が高く、決まっていることが少ない情報を示すのに適しています。抽象度の小さいものは丸四角形とし、それより大きいものを円とします。半円を作ったり、円の中の要素を表現するのに扇型を使います。

【線・矢印全般】
線・矢印・円弧は、要素同士のつながる向きと強弱を示すのに用います。

【円弧・アーチ】
円弧とアーチは、円・楕円や弧に合わせて矢印を並べたい場合に適しています。

【かっこ全般】
かっこは、要素同士の集合関係 (包含関係) を示すのに役立ちます。大かっこ、中かっこがあります。これらは特性ごとに使い分け、「同じ意味を表すが見た目が異なるもの」を混在させないようにします。

【吹き出し全般】
四角形吹き出しは、具体性のある理由や追加情報に用います。丸形吹き出しは、四角形吹き出しよりも抽象的であいまいな情報・意見・推測・番号・記号に使います。雲形吹き出しは、丸形吹き出しよりもさらに抽象的な情報・想像・憶測・心理的な情報に用います。
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2019年06月27日

「思い出の作家たち―谷崎・川端・三島・安部・司馬」

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ドナルド・キーン (Donald Keene) 著
松宮 史朗 訳
新潮社 出版

 ドナルド・キーン氏が昭和を代表する5人の文豪たちとの親交を振り返りながら論じています。キーン氏は、5 人の交わりを次のように述べています。
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谷崎と川端の場合、私とは歳が離れすぎていたので、その間柄も "友人" であるよりは年少の崇拝者に二人の文豪が示した再三の親切と解釈したほうがよかろう。そこへいくと三島、安部とはまさに親友であり、長年にわたり幾多の交遊をもった。司馬の知遇を得たのは他の四人よりは数年遅く、また会う機会も比較的少なかったが、私は彼のことを友人だったと思っているし、まぎれもない恩人でもある。
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 キーン氏が直接本人から聞いた話も興味深いですが、作家の個性や日本文化を熟知したキーン氏による作品の解釈も得るものが多く、それらを踏まえて再読したい、あるいは初めて読んでみたいと思った作品がいくつかありました。

 キーン氏が親友と呼んだ三島氏は、わたしから見て疑問に思う最期を遂げただけに、色々感ずるものがありました。まず、キーン氏は、三島氏のなかに夭折への憧れを認めていました。
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『仮面の告白』の主人公の「私」は、夭折に心を奪われ、やせこけて魅力のない自分の身体に何らかの奇跡が起き、殉教した聖セバスチャンの栄光に達することを夢想する。いつだったか私は三島に、『仮面の告白』中に描かれた「私」の中学時代の作文 (聖セバスチャンについての散文詩を含む) は、中学生だったあなたが実際に書いたものではないかと訊いたことがあり、彼はその通りだと答えた。矢に貫かれて死ぬ美しい若者への憧憬は、早くから現れていたのだ。
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 それなのに、三島氏は兵役を免れようとし、結果的に命拾いをします。しかし 40 代になって自決を決めた瞬間をキーン氏はこう推測しています。
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昭和四十五年の六月、日米安保条約の更新前夜、私と三島は食事の場に向かうタクシーの中にいた。昭和三十五年の安保改定に反対するデモから十年、この年の騒乱は遥かに大きな規模になるだろうと広く予想されていた。この予想をおそらく信じていた三島が、ささやかな私兵集団「楯の会」を結成したのは、暴徒から皇居を守る目的があってのことだったかもしれない。もちろん、私兵百名では、皇居に押し入ろうとする数万人のデモ隊を抑えられるはずがないのだが、死に果てることなら可能であろうし、それこそが三島の真の目的だった。ところが、タクシーが国会議事堂にさしかかった時、そこにはデモ隊の気配すらなく、暇をもて余した警官たちが、その夜は使いそうにもない楯と棍棒を抱えているだけだった。三島が自裁しなければならぬと決意したのは、もはや皇居の石段で討ち死にする機会は永遠に失われたと痛感したあの夜……まさにこの時だったのではなかろうか。
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 三島氏がもし兵役検査で事実を話していたら入っていたであろう部隊は、フィリピンで全滅したそうです。そこで若くして死んでいたらよかった、いまそれをなんとか再現できないだろうか、三島氏はそうとでも思っていたのでしょうか。

 同時に、自らの遺作となる『豊饒の海』が海外で出版されることを強く望み、キーン氏にあらゆる手立てを講じてほしいと別れを告げる手紙に書いていたそうです。

 もっと生きれば、さらなる代表作を書くこともノーベル賞を受賞することもたやすく実現できそうに思える作家だけに残念に思う気持ちは変わりませんが、揺るぎない価値観にしたがった行動だったということだけは、ぼんやりと理解できました。
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