2017年04月05日

「香妃の末裔」

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波平 由紀靖 著
あさんてさーな 出版

 以下が収められた短篇集です。

−香妃の末裔
−遺稿
−星笛鯛
−天鉄
−摩天楼
−狂気の画廊
−翠窯
−蟷螂の斧

 筋書きとしては、おもしろい作品が多いのですが、あまり楽しめませんでした。平板な説明ばかりで、こまかな描写が少ないというか、読んだことが自分のなかで自分なりのイメージになりませんでした。また意外な結末が用意された作品ほど、登場人物に魅力が感じられず、共感できません。

 たとえば「香妃の末裔」では、主人公の男性が偶然知り合った女性に惹かれていくのですが、最後に意外な事実が明らかになった途端、その女性が屁理屈では秀でていても、おとなのルールを理解しようとしない傍迷惑な人に見えてきます。

 また「遺稿」でも、最後に意外な事実が明らかになった時点で、物語の語り手である作家が白々しい嘘を重ねてきた人になってしまい、共感できなくなってしまいます。もし、作家の物語を生み出す苦しみや葛藤が描写されていれば、多少は違った印象を残すことができたかもしれないと思うと惜しい気がします。

 こんな調子で、どの作品もしっくりときませんでした。わたしには向かない作家なのだろうと思います。
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2017年03月21日

「校閲ガール」

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宮木 あや子 著
KADOKAWA 出版

 最近ドラマになったと知り、ライトノベルとは知らず、読みました。

 ライトノベルにリアリティを求めるのは筋違いなのですが、それでもやはり、現実味がなければ、物語の世界に入りこむのは難しいと痛感しました。本を読んだこともない入社2年目が、大御所小説家の校閲を任されるって……、しかも、編集者の仕事もついでにしてしまうって……、と気になりだしたら、先の展開を想像して読む気分になれず、表面を滑るように読んで終わりました。

 そのいっぽうで、出版不況については、かなりリアルな溜息が描かれていて、そんな暗い状況を明るくしたいという希望が、こんな主人公を生んだのかもしれません。そのわりには、明るくなれる要素が少ない気がします。わたしにとっては、中途半端な作品でした。
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2017年03月20日

「コンビニ人間」

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村田 沙耶香 著
文藝春秋 出版

 第155回芥川賞受賞作です。わたしにとって、とても共感できる作品でした。

『普通』であることを求められるものの、『普通』とはどういうことなのか、いまひとつはっきり把握できない主人公の古倉恵子は、世間から弾きだされたような生きづらさを感じつつも、コンビニではその一部としてきちんと役割を果たしていると実感ができ、それがタイトルの「コンビニ人間」になっています。

 周囲と同じであることの安心感を必要としなくても、周囲は、周囲と認識を同じにすることを、容赦なく、しかも暗に求めてくるあたり、現代の空気がよく表現されていると思います。その空気感は、売上目標を達成するというゴールに向かって、POPを作成する、在庫を補充する、明るい挨拶を心がけるなどといった具体的かつ詳細な作業にブレイクダウンされているコンビニのプロセスと対比されることによって、とてもリアルに感じられました。

 機会があれば、またこの作家の作品を読んでみたいと思うほど、気に入りました。
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2017年01月24日

「大坂侍」

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司馬 遼太郎 著
講談社 出版

 東京出身の友人から面白いと薦められ、読みました。筋書き、人物描写、歴史的背景など、色々な面で安定している司馬遼太郎らしい短篇集です。わたしから見て、他の司馬遼太郎作品に比べて、友人に勧めたいと思うほど面白いわけではないのですが、東京出身者からすると、ここで描かれる大阪人の価値観が珍しかったのかもしれません。

 この短篇集に収められているのは、以下です。

−和州長者
−難波村の仇討
−法駕籠のご寮人さん
−盗賊と間者
−泥棒名人
−大坂侍

 このなかでも、「難波村の仇討」と「大坂侍」は、気質というか価値観の点で大阪人(あきんど)が侍とは違っていることが目立っています。

「難波村の仇討」の時代は幕末で、ある侍が、兄の仇を討とうと備前岡山から上方にやってきたところ、その仇の使いを名乗る者から、仇討ちのゆるし状を売ってくれと頼まれます。この仇は、帯刀するあきんどのように描かれているのですが、自分を殺しにきた侍に対し、田舎には帰らず、貰った金で知らぬ土地でうまくやっていけばいいと提案しているわけです。したたかなあきんどとして描かれています。

「大坂侍」も、江戸の終わりを背景に、侍とあきんどが対照的に描かれています。こちらでは、十石三人扶持の侍が、三百年にわたって徳川幕府から受けた扶持のお返しとして征夷大将軍のもとに駆けつけると言うと、侍を慕うあきんどの娘が、三千石を用意するから、戦には行かないでくれと頼みます。そもそも、女が親や夫に従うだけの存在として描かれていません。自らの知恵で交渉する存在として描かれています。

 一見すると、なんでもかんでもお金で片づけようとしているように思われますが、あきんどとしては、合理性がないと言いたいだけのことだと、わたしは思いました。時代が大きく変わっていくときに、おいえだとか忠義だとか、ほとんど意味をなさなくなった事柄に見切りをつけるべきだと言いたいのではないでしょうか。

 そういう見方をすること自体、わたしが関西人である証でしょうか。ほかの方の感想を知りたいものです。
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2016年12月22日

「対岸の彼女」

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角田 光代 著
文藝春秋 出版

 第132回(平成16年度)下半期の直木賞受賞作品です。

 30代半ばの女性、小夜子の視点で物語は進みます。3歳のひとり娘を育てる専業主婦だった小夜子が、娘を保育園に預けて働きはじめ、仕事を通じて出会った人々との交流から、自分を見つめなおすという内容です。

 タイトルである「対岸の彼女」というのは、自分と同じ大学を卒業した同い年の会社経営者を指しています。夫も子供もいない対岸の彼女は、自由を手にして勝手きままに生きているように見え、自分の仕事を見下す夫や口うるさい姑の言葉に傷つき涙する自分とのあいだには、大きな川が立ちはだかっているように見えます。

 帯には、『だけどあたしたち、どこへいこうとしてたんだろう。』とあります。小夜子が、いくつかの経験を経て自分がいこうとしていたところを見つけて選んだ道は、前向きで建設的です。周囲の人たちのように、もっと楽な道を選ぶこともできたことを考えると、好感のもてる選択でした。そう思ったのは、わたし自身も、自分がどこへ行って何をしたいのかわからずに過ごしているからかもしれません。
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