2016年09月29日

「レッドゾーン」

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真山 仁 著
講談社 出版

 普段、経済小説を読まないので、最後まで読みきれるか自信がありませんでした。それが意外にもテンポよく読み進められました。物語の中心に据えられた企業買収が、買収を防ぐ側から描かれていたことが理由のひとつです。

 わたしが勤める会社は小さな会社ですが、その分野では一番手だといわれる会社になりました。もちろん成長もしているのですが、メガ企業が競合会社をみな買収してしまったことも一因としてあります。

 この本を読んでいるあいだじゅう思っていたのは、買収防衛策に費やされる手間や時間を考えれば、株式を公開するリスクを背負わないという選択(わたしが勤める会社のオーナーが採った選択)は、充分合理的なのだということです。資金調達を一気にできなくとも、毎年2桁成長を続けていれば必要な投資はできるという、オーナーの考え方の堅実性が、再認識できた気がします。

 それに加え、日本が中国に買い叩かれる時代の恐ろしさをひしひしと感じるスリルも、読むテンポをあげる効果がありました。
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2016年07月28日

「さくら」

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西 加奈子 著
小学館 出版

「サラバ!」で直木賞を受賞した西加奈子の代表作として紹介されることの多い作品です。わたしとしては、同じく代表作として挙げられることの多い「きいろいゾウ」のほうが、好みです。

 理由は、ふたつあります。ひとつは、いまのわたしには少し賑やかすぎて重すぎた点です。生きていくのが大変な状況において人生とどう向き合っていくべきか、人を愛するということはどういうことか、たまたまマイノリティ側となったときにどうすべきか、といった、大切ではあっても簡単には答えが導きだせないことが詰め込まれていました。それも関西弁の「いちびり」ということばを思い出させるような賑やかさのなかで語られるので、重く感じられました。

 ちなみに「いちびり」は、市を振るから転じたようです。セリで値を促す際の騒々しさが元になっていることばです。賑やかでよいというニュアンスもありますが、調子に乗ったうるささが少しの不快感をともなっているというニュアンスもあります。ただ、普通のいちびりは目上から疎まれ一喝されたりしますが、桁外れのいちびりとなると賞賛の対象になったりします。

 理由のもうひとつは、主人公がどういう視点で語っているのか、よくわからない場面があったことです。主人公の立場では知りえないことが、時々(後日談といったふうでもなく)さらりと書かれてあり、とまどいました。

 ただ、ベストセラーになったのは、納得できました。手垢のついていない個性的の表現でこの作家独特の世界が広がっているのは「きいろいゾウ」と同じでした。
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2016年06月25日

「麒麟の舌を持つ男」

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田中 経一 著
幻冬舎 出版

 タイトルの麒麟は、想像上の生き物のほうのキリンです。それほど卓越した舌を持つ男は、一流の料理人ですが、経営していた店の借金を背負い、思い出の食事を人生最後に食べたいという願いを叶える仕事で細々と借金を返済する日々です。

 そんなとき、莫大な報酬をエサに奇妙な依頼が舞いこみます。その奇妙な依頼は、簡単には実現できそうになく、その行方を知りたくて読み進めるものの、結末には、その依頼には別の目的があったことが明かされます。

 その意外な結末に向かって巧みに伏線が張り巡らされていて、料理と家族愛という軸のほかにミステリとしての軸もしっかり存在を主張していました。
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2016年04月29日

「今朝の春」

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高田 郁 著
角川春樹事務所 出版

想い雲」の次にあたる、みをつくし料理帖シリーズ第四弾です。料理人である澪は、倹しい暮らし向きの人でも通える料理屋で料理をする庶民という位置づけで前巻まで進んできました。それがここにきて料理屋を一流にして富を得るという大変な目標が掲げられ、この先はサクセス・ストーリーへ転ずる気配も感じられるようになりました。

 現代を舞台にすれば描きにくいことを描くのが時代小説の特徴のひとつであると、そう理解していても、少しばかり寂しい感じもしました。

 お料理のほうは、いままでと変わることなく美味しそうなものが次々と登場します。異色なのは、ほうき草の実です。古くは飢饉食として食べられていたそうです。読んでいてピンときませんでしたが、巻末のレシピで『とんぶり』とあって、本来は食べるものではなかったということを初めて知りました。みをつくし料理帖シリーズのメニューを再現した食堂を誰かつくってくれないかと思いました。
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2016年04月05日

「ゆうじょこう」

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村田 喜代子 著
新潮社 出版

 数えで15の女の子が明治38年の春に熊本の遊郭に売られてきてからの2年足らずを描いた作品です。イチという名のその女の子は、廓のなかにある学校で、女性教員である鐵子さんに宛てて日記のようなものを書きます。作品の軸となっているそのイチの手紙のような日記は、イチが見聞きして感じたこと、やり場のない怒りや悲しみなどがお国訛りで綴られています。

 読む側の鐵子さんも、かつて廓に売られてきた身だからか、イチの気持ちを理解しながらも、口を出すことなく静かにイチを見守ります。イチの感じる辛さや切なさを知り尽くしているのでしょう。

 アメリカの農園を支えた奴隷制度も、人が人を売り買いする悲しい仕組みでしたが、親が自身が生き延びるために子を苦界に売り飛ばす世の仕組みは、さらに切なく感じられました。

 帰る家さえも失ったそんな状況にありながら、イチが考えることをやめなかった結末に、ほんの少し救われました。
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