2018年08月06日

「ことばの波止場」

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和田 誠 著
白水社 出版

 有名なイラストレーターが書いた本なのですが、絵についてではなく、『ことば』について書かれています。子供のころから、ことば遊びが好きで、ことばに対する関心が高かったようです。

 子供のころに遊んだ替え歌についての考察は、考えさせられました。もちろん、好きな歌をおもしろおかしく替え歌にしたという例もありますが、著者の子供時代は戦争と重なる時期でもあり、何かを強いる歌をナンセンスな歌に替えて風刺をきかせていたという意見です。

 また、「クマのプーさん」の翻訳版を読み、原文をあたってみないと訳文だけではわからない翻訳もあると気づいたエピソードも考えさせられました。

◎The thing to do is as follows. first, Issue a reward.

 これは、イーヨーがしっぽをなくしてプーさんが探しにいく場面で、森のフクロウに相談したとき、フクロウが出したアイデアです。著者が小学生時代に読んだころ、この Issue a reward が懸賞にするという訳になっていたそうで、その直後プーさんが (フクロウはいま) 咳をしたでしょと言うのですが、話の前後が繋がらず、疑問に思ったそうです。高校生になって著者は原文にあたり、Issue の発音とくしゃみの音がかけてあったことに気づいたそうです

 エピソードとして驚かされるのはそのあとで、著者の小学校の同級生も同じ疑問をもって同じく原文にあたり、訳者である石井桃子氏に手紙を出し、『懸賞』を『薄謝』に変更するよう提案し、採用されたそうです。その同級生のことばのセンスにも驚きますが、行動力にも驚かされました。

◎A fly can't bird, but a bird can fly.

 こちらも著者が子供のころ疑問に思ったフレーズで、『スズメは はえないが ハエは すずめる』と訳されていて、bird と fly がそれぞれ『鳥』と『鳥を捕まえる』、『ハエ』と『飛ぶ』のふたつの意味をかけた遊びなのですが、『鳥』と『ハエ』を忠実に訳すことをとったために、日本語としては意味がわかったようなわからないような微妙な感じになっています。Cottleston, Cottleston, Cottleston Pie で始まるなぞなぞの部分なので、同級生のような名訳を目指して頑張ってみた著者も、なんともできなかったそうです。

 ことば遊びは、遊びといっても、なかなか奥が深いものです。
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2018年07月24日

「頭がいい人、悪い人の話し方」

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樋口 裕一 著
PHP 研究所 出版

 この本から何をどう学べばいいのか、戸惑いました。タイトルを見て、頭のいい人と悪い人の話し方の差異から、頭がいいという印象を与えるにはどういった話し方をすればいいのか、ヒントを得られるかと期待したのですが、実際は違っていました。

 頭が悪い人の話し方をいくつかのパターンに分け、それぞれ例を交えて説明したあと、そういった人たちにどう対処すべきか、自分がそういった人たちに該当しないかチェックするにはどうすべきか、といった内容が続きます。つまり、反面教師とすべき人たちの話し方だけが取りあげられています。

 頭が悪い人の話し方に関する説明に異論はありません。迷惑以外の何ものでもないといえる、わかりきった例があげられ、それほど周囲に迷惑をかけている人は頭が悪いと思うからです。しかし、そういった人たちへの対処は、正論であっても職場など上下関係がはっきりしている場で簡単に実践できるものではありません。また、この本で取りあげられているほど迷惑な人たちは、自らの行ないを自らチェックなどしないと思うのです。

 著者は、頭が悪い人の話し方がわかれば、頭のいい人の話し方も当然わかると書いていますが、その意見には賛成できません。タイトルに掲げている以上、頭のいい人の話し方も具体例をあげて説明して欲しいと思います。
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2018年07月04日

「この一言で「YES」を引き出す格上の日本語」

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山口 謠司
幻冬舎 出版

 これまでに読んだ日本語をテーマにした本は、多いほうだと思います。そのほとんどは、誤用 (あるいは正しい日本語) といった観点で数々の単語が紹介されたものでした。それらと違ってこの本は、ふたつの単語のニュアンスの違いを理解するとか、単語の来し方や単語を構成する漢字の本来の意味を知るとかといった視点で書かれてあり、わたしの目には新鮮に映りました。

 たとえば『日本』。『にほん』とも『にっぽん』とも読みますが、読み方がこれまで決められてこなかったのはなぜか、といったことが、発音の移り変わりとともに説明されています。

 もともと『日本』は、700 年頃『ニェットプァン』と発音されていたと推測されるそうです。『日本』とは、唐王朝から名づけられた国名であり、中国語で読めばそういう音になるというのが根拠です。そして繰り返し発音され『ニッポン』に変化したのではないかと考えられています。それが 1000 年頃『パ、ピ、プ、ペ、ポ』という発音が『ファ、フィ、フゥ、フェ、フォ』と変わったのを機に『ニフォン』へと変化し、さらに江戸時代に現在とほぼ同じ『ニホン』になったとされています。

 そして昭和の時代、1934 年に『日本』の読み方を『ニッポン』に統一しようという動きがあったそうです。力強く響く国名にしたいという軍の意向から生まれた案です。しかし、皇室を中心とした和歌の世界が促音を嫌い、濁点や半濁点、促音のない世界こそが和語の伝統だと反対し、統一されませんでした。

 ありとあらゆる外来語をカタカナで日本語に取りこんでしまっているいま『和語の伝統』の意味を問いたい気分ですが、反対があったからと、国名の読み方をはっきりせずにここまで来たのは、いかにも日本らしいと思えました。

 この『日本』に限らず、それぞれ丁寧な解説で新しい発見がありました。ただ、タイトルにある『格上』という観点には、疑問を感じました。日本語のなかに格上も格下もないと思います。
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2018年06月20日

「恋する日本語」

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小山 薫堂 著
幻冬舎 出版

 普段あまり使われない日本語、著者がちょっといいなと思ったことばを使って、短い恋のお話が仕立てられています。

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同窓会で、
昔のボーイフレンドと再会した。

帰る方向が一緒だったので、
タクシーでうちの前まで送ってもらった。
でも、着いたところで……
今の彼と偶然、はちあわせ。

彼は「今のは誰?」と
私に尋ねることもなく、
ただ、「おかえり」と笑顔で迎えてくれた。

私は彼の、そんなところが大好きだ。
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 このお話ができたのは、『赤心』ということばから。赤心は、「偽りのない心。人を心から信用して、 全く疑わない心」。

 とてもシンプル。世の中すべてがこれほどまっすぐならいいのに、と思うくらいに。
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2018年04月17日

「日本語は美しいか―若者の母語意識と言語観が語るもの」

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遠藤 織枝/桜井 隆 著
三元社 出版

『まとまりのない残念な出来の本』です。とても興味深いコンテンツが含まれているいっぽうで、一冊の本には一定のテーマが必要だということも、本は読者との対話だということも、忘れ去られているように思いました。

 この本は、「第 1 部 美しい日本語」、「第 2 部 敬語」、「第 3 部 調査報告 4 つの言語の言語観」の三部構成になっています。「第 3 部」は、各地 (日本、韓国、ニュージーランド、中国 (北京と武漢)) の学生 (ニュージーランドは、例外的に学生に限定されません) を対象にそれぞれの言語について思い浮かぶイメージを問うた調査とその分析で、とてもおもしろく読めました。

 まず、調査地点によってニュージーランドとアジアで分けて見ることができますが、アジア内でも日本と韓国はそれぞれ日本語と韓国を母語として育つのが一般的ですが、中国は中国語 (おそらくMandarin Chinese) を母語としない学生も多く、ニュージーランドとの共通点が見つけられます。

 次に、日本と韓国では文字による違いがあらわれ、韓国ではハングルやその祖となった世宗に言及する学生が多いのですが、日本では、漢字とひらがなとカタカナという文字の混在に言及する学生が多くなっています。

 このように「第 3 部」については、読者が自身がさまざまな視点で比較もできますし、分析内容も簡潔かつ明瞭でした。

 問題なのは、表紙のタイトルと「第 3 部」のあいだにある内容です。「第 1 部」では、日本人は、「日本語は美しい」と感じたり、「美しい日本語」を大切にすべきと思っていると述べたうえで、その考えに影響を与えたであろう過去の主張を列挙し、それぞれに反論しています。「第 2 部」では、「日本語は美しい」といわれる根拠は敬語にあるかのように敬語をとりあげ、複数の映画に登場する会話から敬語を拾っています。

 出発点である『「日本語は美しい」と思っている日本人』という図式の根拠が薄弱で、「第 1 部」は、砂上の楼閣を思わせます。また、「美しい日本語」と「敬語」に客観的な関連性を見いだせず、「第 2 部」は、唐突に感じられます。さらに「第 3 部」では、現代の日本人 (学生) が『日本語は美しい』などと思っていないことが明らかになるため、全体の流れとして不自然です。

「第 3 部」の調査と分析が的確なだけに残念な印象が残りました。
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