2016年02月12日

「日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現」

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高橋 こうじ 著
東邦出版 出版

 このところ大和言葉が静かなブームなのか、関連書籍をよく見かけます。この本は、大手書店のレジ前で平積みになっていたので、つい読んでしまいました。

 仕事をするうえでは、一に外来語(ニュアンスをうまく伝えきれず、ついカタカナのまま)、二に漢語(堅い雰囲気を醸せるので、ついお手軽に)ときて、大和言葉を意識することはありませんでした。

 無駄に歳をとっているだけで、品がついてきていないわたしにとって、いつかこういうことばを使えたらと、いつまで待ってもこないであろう「いつか」を想ってしまうことばが並んでいます。

 せわしなさに負けて、なんでも「つい」で済ませてしまう日々を反省して、(この本を閉じた途端に、いつものせわしなさに戻るのだとしても)所作ひとつ、気遣いひとつに心をこめていきたいという心持ちになりました。大和言葉が注目を浴びている背景がわずかながら理解できた気がします。

「いつか」使ってみたいことばの一番は「お買い被りを」や「お戯れはもうそれぐらいで」といった謙遜のことば。そもそもお褒めいただける点がないので、「いつか」がさらに遠いことばです。
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2016年01月28日

「すべらない敬語」

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梶原 しげる 著
新潮社 出版

 タイトルの「すべらない」は、テレビ番組「人志松本のすべらない話」からきていますが、その番組とは直接関係はなく、しごく真面目に敬語と向き合って書かれた本です。

 わたし自身が学校で習ったとき、敬語は尊敬語、謙譲語、丁寧語と三種類に分かれていました。それが2007年に国の文化審議会が出した最新の敬語の指針では、尊敬語、謙譲語T、謙譲語U(丁重語)、丁寧語、美化語と五種類に分けられています。これ以降わたしは、以前にも増して自分の敬語が正しいのか、自信が持てなくなりました。

 そして自分の敬語が正しいか確かめたくて、この本を手にしたのですが、この本が意図することは違うところにあります。敬語を使う本来の目的を思い出させ、敬語が正しく使えていれば、敬語を使って実現しようとしている状況を実現できると思い込むのは、誤りではないかと指摘することにあるようです。

 具体例をもとにいろいろ検証していますが、それはひとつひとつの例に対し正誤を論じるというより、その基準を(各自が各自の判断で)考えようというもので、望む状況を実現できれば、正しいと論じられている敬語を使うことにとらわれる必要はないという考えがもとになっているように思います。

 著者の指摘は的を射ていて、はっと目が覚めたように感じられた部分もありました。ただ、敬語が正しいかどうか気にする習慣がわたしから抜けたわけではありません。習慣とは、そう簡単に変わらないようです。
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2015年07月24日

「辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術」

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飯間 浩明 著
PHP研究所 出版

 三省堂国語辞典の編纂に携わっている著者が、日々どのようにことばを集め、それらに向き合っているかが、おぼろげながらわかってくる内容です。日本語を使いこなしていくうえで、著者なりに決めているルールがいくつか紹介されています。

<漢字と仮名の使い分けルール>

A. 「いつも文末に来ることば」「いつも文の最初に来ることば」は、基本的にひらがなで書く
たとえば、「〜事が出来る」ではなく「〜ことができる」、「〜様になる」ではなく「〜ようになる」という具合です。

B. 「むずかしい字」「みんなが読めないような字」は、できるだけひらがなで書く
たとえば、「繋がる」ではなく「つながる」と書くそうです。

 それでも迷うときは、漢字・仮名のいずれの表記がいいか示した、三省堂国語辞典のような辞書を使うという方法もあるそうです。どうやら、もともと当て字だった漢字などは、仮名で書いたほうがいいと記載されているようです。

<読点を打つルール>

1. 「出来事」と「出来事」の間に打つ
たとえば、
学校から帰ってから、彩ちゃんと渋谷へ映画を見に行ったが、つまらなかったので、途中で出てきて、カフェでずっと話していた。

2. 割り込んだ部分の直前に打つ
たとえば、
彩ちゃんが、フランスで修業したシェフのレストランに連れて行ってくれた。

2. は、読んでいる途中で、彩ちゃんがフランスで修業したかのように(読み手に)誤解させる心配がなくなるので、合理的なルールだと納得しました。1. のほうは、少し読点が多すぎる気がするのですが、このルールを読んだあとでは、どの読点を削るか悩みます。やはり出来事ごとに打つのは妥当なのでしょうか。
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2015年03月27日

「日本語相談 四」

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大野 晋/丸谷 才一/大岡 信/井上 ひさし 著
朝日新聞社 出版

日本語相談 二」同様、この四でも句読点をとりあげた相談に「おや?」と思いました。

 句読点は、そう古いものではないそうです。明治維新以後、西洋の本の影響を受けて、文章に句読点をつけて印刷するようになり、その型に合わせて、筆者が自分で句読点を打ちながら書く風俗が確立したとあります。

 優に千年を超える日本文学の歴史においては、句読点は新参者といっていいのかもしれません。

 短歌や俳句にも句読点を取り入れればわかりやすくなるという読者の問いかけに対して、丸谷氏は、『万葉』の歌に句読点を打った折口信夫の例を挙げて、「模糊たる趣を鮮明にしてしまふ」と評しています。

 誰もが散文を書く時代になってわたしたちは『わかりやすい』ことを必要以上に求めているのだろうか、ふとそう思いました。
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2015年03月13日

「日本語相談 二」

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大野 晋/丸谷 才一/大岡 信/井上 ひさし 著
朝日新聞社 出版

 わたしが日本語関連の書籍を好んで読むのを知った方が譲ってくださった本なので、少し出版年が古く、いまは絶版になっているようです。

「週刊朝日」に寄せられた読者の質問に答えるかたちの連載コラムがまとめられたものです。回答陣が豪華メンバーですが、わたしはとりわけ丸谷氏の答えが好きです。

 句読点の使い方を問う読者にこう答えています。『わたしの好みで言へば、句読点なしでもすらすら読める文章に、ところどころ、筆者の親切として句読点がついてゐる、といふ感じの書き方が好きです。句読点に頼りすぎた文章は、面倒くさくて性に合ひません。』

 そもそも句読点に悩む読者が『句読点なしでもすらすら読める文章』を得手とするのか怪しいので、回答の名を借りた随筆のような内容です。

 また大岡氏の切り返しには、唸ってしまいました。『日一日』の読みを問う読者に次の句を紹介しています。

 梅一輪一輪ほどの暖かさ

『日一日』の読みとして『ヒヒトヒ』と『ヒイチニチ』があるように、この句にも二つの解釈があるというのです。

(1) 梅が一輪、また一輪と開くごとに、しだいに暖かさが増してゆく。春がやってきた。

(2) 梅が一輪だけ咲いた。その可憐な一輪にふさわしいほどの暖かさはたしかに感じられる。でも今はまだ冬だ。

 わからないという気持ちを二義性を愉しむ気持ちに変えてくれる切り返しです。
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