2014年12月20日

「日本人のための日本語文法入門」

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原沢 伊都夫 著
講談社 出版

 日本語を使っていても、他言語と比べたときの日本語の特徴を知っていたわけではないので、この本を読んで得るものは大いにありました。

 この本の冒頭で説明されていますが、日本語を使えるようになるために外国の方が学ぶ日本語文法とわたしたち日本人が学校で習った国語文法(学校文法)は、違うものだそうです。学校文法は、古典との継続性における形式的な面が重視されているため、言語学的な整合性に欠けているそうです。

 その意味するところは、章を経るごとに理解が深まるようになっています。

 また、学校で習った文法の難解なイメージに比べて、拍子抜けするほどすっと頭に入ってきます。それはおそらく理屈がとおっているから理解しやすいということだと思います。

 目から鱗が落ちたと思ったのは、文の構造のとらえ方です。文には、核となる述語、その述語と(基本的に)格助詞でつながった成分があるという考え方です。

 格助詞は、ヲ、二、マデ、ガ、ヨリ、カラ、デ、ヘ、ト(『鬼までが夜からデート』という語呂合わせで覚えられるそうです)の9つがあります。

 この格助詞のついた成分が文のなかで出現する順序は、厳密には決まっていませんが、述語によって必須成分と随意成分にわけられます。

昨日太郎が食堂で友達とラーメンを食べた

 上記の例文では「食べた」という述語には「太郎が」と「ラーメンを」という2つの成分が必須です。食べたは目的語を必要とするので、何を食べたかという成分と誰が食べたかという成分が必須で、残りのいつ、どこで、誰とをあらわす成分は随意というわけです。この文の構造の説明は、わかりやすいと思います。

 ここで、述語は登場したけど主語は? 「ガ」と区別が難しい「ハ」は格助詞に入らないの? などといった疑問をもたれた方には、ぜひ読んでいただきたい本です。
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2014年09月30日

「頭の悪い日本語」

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小谷野 敦
新潮社 出版

 できることなら正しい日本語を使いたいという気持ちから、日本語の誤用をとりあげる本を時々読んでいます。ただこの本は、書かれてある内容を鵜呑みにせずに、自分で調べてみたり、考えてみたりするきっかけとして受け止めたほうがいいような気がしました。

 ご本人の好き嫌いによって、よくない(正しくない)言葉だと指摘しているだけあって、首を傾げたくなる点が複数ありました。

 たとえば、以下です。

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日本では1980年代から「バーチャルリアリティ」などという言葉が用いられて、これが「仮想現実」などと訳されたため、「ヴァーチャル」が「仮想の」という意味だと思われるに至っているが、「ヴァーチャル(virtual)は「実質的な」という意味なので、この訳語は、英語の原語が持っているニュアンスと、それが使われた背景を消してしまう、不適切なものである。
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 これで全部です。「virtual reality」はどう訳されるべき言葉なのかという提案はありません。指摘をするだけで、代替案を出せない著者だということは仕方がないとしても、間違っているとする部分の把握が不適切だと思います。

「virtual reality」というふたつの単語が「仮想現実」という四文字の言葉になったから、前半の「virtual」を「仮想」という意味だと理解するのが、間違っているだけで、「virtual reality」を「仮想現実」と呼ぶことが間違っているようには思えません。現実そのものではないけれども、現実と受けとってしまうほどのものに「仮想現実」という呼び名を与えたことが、不適切と決めつけるのは、どうなんでしょうか。

 これに類することが他にもあるため、注意が必要だと思います。
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2014年07月11日

「日本人の知らない日本一の国語辞典」

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松井 栄一 著
小学館 出版

 最初のページから、「え、そうなの?」と思わせられました。

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 ほとんどの方が、『大辞泉』や『広辞苑』などを"大型"辞典と考えているかもしれません。
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 わたしは『広辞苑』の電子版を愛用していますが、そう思っていました。そして、それを軽く超える辞書があるとも知りませんでした。その辞書の名は、『日本国語大辞典』だそうです。初版全二十巻、第二版全十三巻と別巻というボリュームのうえ、収録語数は五十万を超えるそうです。広辞苑第六版で24万語らしいので、語数だけ比較しても倍以上ということになります。

 そんな辞書の編纂に二度(初版と第二版)も携わった方がこの本の著者です。なにしろ人々が日々使うなかで変化していく日本語を捕捉すると考えただけで頭が痛くなりそうですが、それを苦労を苦労とも思わず充実した時間を過ごせたと受けとめられている著者の謙虚さからは、清々しさを感じました。

 そのうえ普段わたしが気にもとめなかったことが、さまざまな視点から話題に取りあげられていて、読んでいて飽きる暇がありません。言葉を知り尽くしている方の豊かさだと思います。

 どの話題も興味を惹かれましたが、驚いたのは、外来語の増え方を示す数字です。

 外来語が多い五十音は、「は」〜「はいん」の区間だそうです。たとえば1891年の『言海』で0.6%だったのが、1938年の『言苑』で11%になりました。このあいだおよそ50年です。さらに50年ほど経った1992年の『三省堂国語辞典第四版』では36%になりました。

 外来語の浸透速度は加速するばかりかもしれませんが、少なくとも日本語を書くときは、外来語に頼り過ぎないようにしたいという気持ちが起こりました。
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2014年06月17日

「驚くべき日本語」

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ロジャー・パルバース (Roger Pulvers) 著
早川 敦子 訳
集英社インターナショナル 出版

 母語である英語のほか、ロシア語やポーランド語も堪能で、日本に半世紀近く住む著者が、日本語だけを使っていると気づきにくい日本語の特徴を解説しています。

 氏がこのなかで主張されている点は、大きく分けて3点あります。ひとつめは、日本人は日本語が曖昧な言語で習得が難しいと信じているが、決して曖昧な言語でもなければ、(話し言葉に限れば)習得も容易で、言語として優れているというものです。ふたつめは、宮沢賢治の作品などを挙げて、日本語の響きは美しいという主張です。みっつめは、日本語には、世界語として機能した可能性があったというものです。

 ひとつめの論点は、そのとおりだと思います。ふたつめは、氏の言わんとすることは伝わってきます。ただ、みっつめの論点は無理があると感じました。話し言葉に限っては習得が容易であり柔軟性をもつ優れた言語だから、日本語が世界語として機能することもあり得たとする因果関係は、成り立たない気がします。

 まず、世界語の定義が不明瞭ですが、世界で使われる言語は、言語特性に関係すると聞こえてしまう主張は、現実に即していないと思います。もし大日本帝国が大英帝国を凌ぐ植民地化を進めていたら、日本語が世界語になっていた可能性もゼロではないかもしれません。しかしその場合、日本語が言語として劣っていても関係なかったと考えるほうが自然だと思うのです。

 世界語云々の部分は、わたしには蛇足に見えました。
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2014年04月11日

「語感トレーニング」

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中村 明 著
岩波書店 出版

 著者は、語感を次のように説明しています。

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 <中心的意味>はその語が何を指し示すか、というハードな論理的情報であり、<周辺的意味>は、その語が相手にどういう感じを与えるか、というソフトないわば心理的情報である。(中略)この本では世間一般の用語に従って、前者を「意味」、後者を「語感」と呼んでいる。
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 そして「意味」と「語感」の関係を次のように喩えています。

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 話すときも書くときも、表現者は二つの別の方向から最適なことばに迫る。何かを伝えるかという意味内容の選択と、それをどんな感じで相手に届けるかという表現の選択である。芸術における素材と手法という関係に似ているかもしれない。
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 この本には、虫食い状態になっている文に当てはめられる単語を選ぶドリル問題が55題用意されています。そして、その虫食い部分に当てはめられる単語がなぜ相応しいのか、逆に当てはめられないのはなぜかを検討しながら、語感を確かめていきます。

 感覚的にどれが相応しいか相応しくないか、おおよそ見当はつきますが、その理由を説明するのは意外と難しいと気づきました。

 また、言われたり書かれたりした言葉が指すものや概念自体に違いが感じられるだけでなく、その言葉を選んだ人にも違いが感じられるということも再認識できました。

 たとえば、<ファスナー>と<チャック>では、もの自体の差より、その言葉を選んだ世代の差が感じられます。一方、<キッチン>と<台所>では、そこからイメージされる空間の差も同時に感じられる気がします。

 ただ、虫食い部分に当てはめる言葉自体も、世代や地域によって差があるかもしれないとも思いました。実際にひとつひとつドリルを進めてみると、ちょっとした言葉に対する感覚の差が感じられる気がします。
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