2014年02月25日

「日本人が気づいていないちょっとヘンな日本語」

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デイビッド・セイン/長尾 昭子 著
アスコム 出版

 この本で「ヘンな日本語」と指摘されている内容は、大きくわけてふたつに分類できます。ひとつは、日本語として誤っているとされているもの、あるいはかつては使われていなかったけれど定着して俗に通用するようになったものです。もうひとつは、日本語を外国語として習得する際に難関となるようなものです。

 前者の代表がコンビニ用語と呼ばれる、「1万円からお預かりします」のような決まり文句や若者言葉です。複数の日本人が使っているからといって正しいとは限らないし、誰に対しても意図したとおり伝わるとは限らないというものです。後者は、前者に比べると広範囲にわたっていますが、タイトルにあるように「気づいていない」ことがいくつかありました。

 ひとつは、否定形の疑問文です。レストランなどで「空いている席はないですか?」と訊くのは、ないことを期待しているように聞こえて不自然だという指摘です。言われてみれば、わたしも否定形で訊いている気がします。空席があったらいいと思っていても、「ないですか?」と訊くのは、否定的な返答を受けたときのショックを和らげるためではないかと日本語教師である長尾氏はコメントしています。

 もうひとつは、程度がはっきりしない言葉、具体的には「それなり」についてです。この単語は、テレビコマーシャルをきっかけとして広く浸透した言葉ですが、その理由として日本人は、上流でもなく下流でもなく中流を好むため、こういう曖昧ながら両端をきっちり除く言葉が広く受け入れられたのではないかという考察です。日本人にとっては便利に使える言葉ですが、慣れていない人にとっては、状況に応じて個々が判断しなければならないだけに難しい単語だと気がつきました。

 日本語が堪能な外国人の方の視点だけに、納得することばかりです。
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2014年02月24日

「問題な日本語」

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北原 保雄 編
大修館書店 出版

 わたし自身が使った実感ではありませんが、「明鏡国語辞典」は、その解説が個性的だという評判です。その明鏡国語辞典の編者がこの本も編集しています。

 国語学者でもなんでもない一般人が問いを投げかけ、それに「明鏡国語辞典」の編集委員数人が交替で答えるという形式になっています。問いの多くは、こういう言葉の使い方は誤りではないのか、あるいは、こういう言い回しは間違っているけれど定着していくのだろうかといったことです。

 個性的と評判の「明鏡国語辞典」の編集委員が答えているのなら、独断的な解説になっているのではと思いながら読み始めましたが、その予断は、間違っていました。

 有無を言わせず誤用と断じているのはほんの一部で、まだ言葉の変化の途中にあるものだからもう少し様子を見るべきではなかろうかとか、気持ちはわかるが聞き手に正しく伝わらないことを自覚すべきではないかとか、言葉が、時代とともに変化することも使われる状況によって受けとられ方が変わることも考慮されたうえでの回答だと思われるものばかりで、共感できました。話し手の心理や似た音の言葉の影響など様々な要素が絡み合って生まれた言葉の変化をできるだけ解しながら伝えようとする姿勢が感じられ、気持ちよく読めました。

 ある回答では、自分が特定の言葉を使ってしまう理由を気づかされました。"全然"という言葉は、否定を伴って使うべきだと頭では理解しながら、"全然大丈夫"とか"全然平気"とつい言ってしまうのですが、この"全然"の使い方に対する解説には、なるほどと納得し、これからは"全然大丈夫"と言ってしまっても、あまり気にしないでおこうという気になりました。

 期待していた何倍もの発見がありました。
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2013年09月29日

「黒船来航 日本語が動く」

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清水 康行 著
岩波書店 出版

 わたしがいままで考えたこともなかった話題を取りあげた本です。

 日本の鎖国時代にやってきた黒船が幕府を揺るがし、「泰平のねむりをさます上喜撰(蒸気船)たった四はいで夜も寝られず」とまで歌われたとき、どのようなプロセスで条約が交わされたかを取りあげ、その契約行為がどのように日本や日本語に影響を与えたかを考察しています。

 黒船来航は1853年のことです。浦賀沖に姿を見せた船に対し日本側は、フランス語で記した退去勧告文を見せています。つまり、ペリー一行との最初の接触は、フランス語だったわけです。翌年、日米和親条約を締結した際、日本側はあるいやがらせを仕掛けました。条約締結内容は、(1)漢文版、(2)蘭文(オランダ語)版、(3)英文版で作成されました。しかし、いまでいう通訳翻訳者を通しての意思疎通なので、日本は、(1)を翻訳した(4)漢文和解版と(2)を翻訳した(5)蘭文和解版を作成しています。そして、いやがらせというのは、日本全権が署名したのが、この(4)漢文和解版のみ、米国側が署名したのが、(3)英文版のみだったということです。

 つまり、正文のない条約だったわけです。この本を読まなかったら、そんな条約を日本が締結していたことも、日本が日米双方が同じ文書に署名するのを拒んだという事実も知らなかったことと思います。

 この5種類もの文書を操っての条約締結は、いろいろ大変だったようです。通訳翻訳者は黒子という現代の常識と違って、当時の通訳翻訳者は大きな影響力を持っていたうえ、いまでいえば誤訳にあたるような言語間の齟齬もあって問題になったようです、そのあたりのエピソードも興味深いのですが、もっと面白いと思ったのは、英語が唐突に入ってきた点です。

 日米和親条約を交わした結果、英国とも条約を締結する羽目になった日本は、1854年日英和親約定を交わしています。その翌年、つまり黒船来航から2年後の1855年、英国は、日英和親約定副章の草稿で、両国間交渉での使用言語を英語のみにするよう日本に要求しました。世界唯一の大国としては、当然のことを言ったまでかもしれませんが、学問といえば漢文、洋学といえばオランダ語だったろう状態の日本が受けたインパクトは、いかほどだったのでしょう。米国に対し、英文版には署名しないと拒否してからそう時間をおかずに、日本は、英語を習熟するまでの猶予を欲しいと英国に頼むことになったのです。

 こうしてさまざまな山を越えて条約を交わす回数を重ねるうち、漢文が排除され、英語に重きがおかれ、いろいろな変化が見られるなか、日本語自体も変化していったと著者は言います。それはあの候文が排除される傾向が強まっていったということです。

 外交が与える影響を言語に限ってみていくというのも新鮮だと思いました。
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2013年04月02日

「ローマ字国字論」

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田丸 卓郎 著
岩波書店 出版

 1914(大正3)年に初版が出版され、1930(昭和5)年に改訂が加えられ第3版となった本です。奥付によると、この本は1980年の第7刷となっています。1930年にどの程度手が加えられたのか不明ですが、およそ100年前の本といっていいかもしれません。

 本に書かれている内容とは関係ありませんが、日本も文字を随分と簡略化(画数を減ら)してきたということに気づかされます。古典文学も新字体に変えられたものを読んできたせいか、現代のどの字に当たるのか確信がもてずに読み進めた字がいくつかありました。

 肝心のこの本の内容ですが、タイトルにあるとおり、ローマ字で日本語を全面的に表記しようという働きかけです。支那語から借用した漢字を使っているため、音読みやら訓読みやら読み方が複雑になっていること、漢字を覚えたり使ったりする手間がローマ字に比べ負担になることなどを主な理由に、ローマ字を推しています。

 "し"を"shi"、"ち"を"chi"と表記するヘボン式ローマ字を批判し、"し"を"si"、"ち"を"ti"と表記する日本式の合理性を説いたり、大文字と小文字の使い分け方法を提案したり、スペースを入れる箇所の規則を考案したり、実現に向けて具体的に検討されていたことが窺われます。

 しかし、1世紀という時間を経たせいか、説得力というほどのものは感じられませんでした。ひとつは、主観による断定が多い点です。たとえば「日用の文字として漢字を止めて音文字を使ふがよいといふことは、もはや疑ふべき餘地のないきまつた問題である」と断言しています。これは、いろいろな方面の研究の結果とあるのですが、その研究内容自体は開示されていません。たとえば、あることが他方に比して容易であると主張するにしても、何かしらの実験結果を踏まえた意見であれば、説得力が感じられます。そういう客観性が求められない時代だったのかもしれませんが、現代の価値観をもって読むと違和感を感じました。

 しかしこの本を読んで、いままで疑問に思っていたことがひとつ解決しました。それは同音異義語のことです。「漢字と日本人」であげられていた例を挙げます。子供が関係する事柄で「それはカテイの問題です」と言われ、家庭を思い浮かべた聞き手に対し、話し手は假定のつもりだったというものです。会話ではこういう問題が起こっても、漢字を使う文書ではその心配がありません。しかし、ローマ字やカナで表記することになれば、会話と同じ問題が起こりますが、それに対し漢字廃止論者は、どう主張していたのか興味がありました。この本によると、ローマ字で書くようになれば、"家庭"や"假定"のような不便な言葉は、排除されていくことを期待していたようです。そういう日本語の発展を(それを発展と捉えるかどうかは別として)促すためにもローマ字表記にすべきという理論でした。

 それは、漢字を取り入れた時期まで戻ろうという主張に読めました。漢字を取り入れたあと、中国に逆輸入されるほど作ってきた言葉の多くを捨て去れと言っているようにも聞こえました。

 中国の周辺には、漢字を捨て去る決断をした国がありますが、そのなかに日本が入らなかった理由が、少しわかった気がします。
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2013年03月12日

「横書き登場―日本語表記の近代」

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屋名池 誠 著
岩波書店 出版

 文字を横書きする際、右から左に書いていた時代があったと認識していました。現代において左から右に横書きするのと同じように、その当時は、文字を書く人は誰もが整然と右から左に書いていたようなイメージで思い描いていました。しかし、実際は、相当混沌とした状態だったようです。

 幕末に縦書きと併用しつつも横書きが用いられるようになってからずっと、さまざまな試みが生まれ、賛成派と反対派で意見が交わされ、左から書く横書きにつられて縦書きも左から右に行が移っていく看板がいっとき現れたこともあったそうです。新書なので、そんなに写真などがあるわけではないのですが、膨大な資料のなかから厳選されたであろう実例はそれぞれ小さく不鮮明であっても、こんなことよく考えついたものだと驚くほどの洒落っ気のあるものや、堅苦しいイメージを覆すようなお茶目な新聞広告もあって、他国の言葉は左から右に書かれるということを知ってそれを取り入れようとした人々の貪欲な精神が伝わってきました。

 その混沌とした時代は、戦争に負けるという出来事以降、たった3年で一挙に片がつき、現在の左から右へと書く横書きが定着したようです。右から左に書くのが日本古来の伝統であるから、他国に追随して左から右に書くのは良くないという類の批判が、日本の後れが敗戦の元凶であったという考えに駆逐されたということなのでしょう。(軍事面での後れだけでなく、文化も伝統もまとめて否定する流れになったのは、それだけ敗戦に打ちのめされたということなのでしょう。)ただ、英数字などを文章に取りこむにあたって、左から右に書くという合理性もあったはずです。

 著者の体系だった分析と推測は、自分が日頃使っている言語の歴史を知るうえで、一読の価値があります。そして最後にこの横書きが登場してからの流れ、およそ200年ほどのあいだに起こった変化を簡潔にまとめられた図を見ると、この過渡期の真っただ中でリアルにその変化を見てみたかったなという気が起こりました。
posted by 作楽 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする