2014年04月09日

「日本人の知らない日本語4 海外編」

20140409「日本人の知らない日本語4 海外編」.jpg

蛇蔵/海野凪子 著
メディアファクトリー 出版

 大笑いできるので、わたしのストレス発散のシリーズとなっているこの「日本人の知らない日本語」が海外進出しました。フランス、ベルギー、ドイツ、イギリス、オーストリア、チェコ、スイスなどで日本語を学ぶクラスを訪ねています。

 今作も、いままで同様笑えましたが、少し物足りなさも感じました。タイトルにある「日本人の知らない日本語」があまり登場しないことが原因かと思います。日常的に使っている物の名前を意外と知らなかったり、回りくどい表現を使う傾向があると気づかされたり、そういう身近過ぎて気づかなかった日本語のことが話題の中心から外れていました。

 どちらかというと、諸外国で日本語を学ぶ人が日本に惹かれた理由や、外国と日本の文化の違いなどが中心になっています。それはそれでおもしろいのですが、やはり知っていてしかるべきことを知らなかったことの衝撃に比べれば、インパクトが弱い気がします。

 この本がヒットしたせいか、類似の本を見かけるようになりました。それでも、このシリーズが類似本よりおもしろいと感じるのは、構成が練られているためだと思います。はっと気づく瞬間を再現するよう努めているよう感じられるのです。

 どうせなら、タイトルにある通り、日本人なのに知らない日本語について、はっと気づかされる内容を続けてほしかったと感じました。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月19日

「かなり気がかりな日本語」

20140319「かなり気がかりな日本語」.jpg

野口 恵子 著
集英社 出版

 特定の言葉をとりあげ、その使い方の正誤を考えたり、誤用の場合はその理由を考えたりする類の本ではありません。日本語の変化からコミュニケーションの変化を考察しています。その内容は、抽象的でそれだけでは幾分わかりにくい点があるのですが、実例が列挙されているので、説得力ある内容になっています。

 印象に残っている論点は、ふたつあります。ひとつめは、若者のコミュニケーションのとり方が変化してきている点です。東京の大学で教鞭を執る著者が日常的に聞く日本語は、地理的には東京近辺、世代的には若者が多いという偏りがあります。わたしは、同じ東京近辺に住んでいても接する世代は中高年に偏っているため、若者が言葉を発することなく、相手にすべてを察してもらおうとするコミュニケーションをとるよう変化しているとは知りませんでした。ただわたしでも、直截な表現を避け、曖昧な言葉で伝えようとする姿勢は感じていたので、納得できる点もありました。

 もうひとつは、行き過ぎたと丁寧語です。通常、会話は二者間で成り立ちます。そして話者の身内がその会話に登場するとき、敬語は使われません。しかし著者は、その会話が二者間で完結せず聴衆がいる場合、たとえばテレビ放映のためのインタビューを受ける場合などは、丁寧に話しているという印象を聴衆に与えたいと話者が思うあまり、「(高級ブランドのバッグを)主人に買っていただきました」のように身内に対しても謙譲語を使う傾向があると指摘しています。同様に、身内に対して尊敬語を使って事例も紹介しています。敬語が使われる状況の変化は混乱を招きます。尊敬語と謙譲語があるため、主語が省略されても誤解が起きないと言われた日本語ですが、状況は変わっていくのかもしれません。

 どちらかというと円滑なコミュニケーションを阻害する方向に日本語が変わってきているような気がして、読んでいて不安になりました。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

「日本人が気づいていないちょっとヘンな日本語」

20140225「日本人が気づいていないちょっとヘンな日本語」.jpg

デイビッド・セイン/長尾 昭子 著
アスコム 出版

 この本で「ヘンな日本語」と指摘されている内容は、大きくわけてふたつに分類できます。ひとつは、日本語として誤っているとされているもの、あるいはかつては使われていなかったけれど定着して俗に通用するようになったものです。もうひとつは、日本語を外国語として習得する際に難関となるようなものです。

 前者の代表がコンビニ用語と呼ばれる、「1万円からお預かりします」のような決まり文句や若者言葉です。複数の日本人が使っているからといって正しいとは限らないし、誰に対しても意図したとおり伝わるとは限らないというものです。後者は、前者に比べると広範囲にわたっていますが、タイトルにあるように「気づいていない」ことがいくつかありました。

 ひとつは、否定形の疑問文です。レストランなどで「空いている席はないですか?」と訊くのは、ないことを期待しているように聞こえて不自然だという指摘です。言われてみれば、わたしも否定形で訊いている気がします。空席があったらいいと思っていても、「ないですか?」と訊くのは、否定的な返答を受けたときのショックを和らげるためではないかと日本語教師である長尾氏はコメントしています。

 もうひとつは、程度がはっきりしない言葉、具体的には「それなり」についてです。この単語は、テレビコマーシャルをきっかけとして広く浸透した言葉ですが、その理由として日本人は、上流でもなく下流でもなく中流を好むため、こういう曖昧ながら両端をきっちり除く言葉が広く受け入れられたのではないかという考察です。日本人にとっては便利に使える言葉ですが、慣れていない人にとっては、状況に応じて個々が判断しなければならないだけに難しい単語だと気がつきました。

 日本語が堪能な外国人の方の視点だけに、納得することばかりです。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

「問題な日本語」

20140224「問題な日本語」.jpg

北原 保雄 編
大修館書店 出版

 わたし自身が使った実感ではありませんが、「明鏡国語辞典」は、その解説が個性的だという評判です。その明鏡国語辞典の編者がこの本も編集しています。

 国語学者でもなんでもない一般人が問いを投げかけ、それに「明鏡国語辞典」の編集委員数人が交替で答えるという形式になっています。問いの多くは、こういう言葉の使い方は誤りではないのか、あるいは、こういう言い回しは間違っているけれど定着していくのだろうかといったことです。

 個性的と評判の「明鏡国語辞典」の編集委員が答えているのなら、独断的な解説になっているのではと思いながら読み始めましたが、その予断は、間違っていました。

 有無を言わせず誤用と断じているのはほんの一部で、まだ言葉の変化の途中にあるものだからもう少し様子を見るべきではなかろうかとか、気持ちはわかるが聞き手に正しく伝わらないことを自覚すべきではないかとか、言葉が、時代とともに変化することも使われる状況によって受けとられ方が変わることも考慮されたうえでの回答だと思われるものばかりで、共感できました。話し手の心理や似た音の言葉の影響など様々な要素が絡み合って生まれた言葉の変化をできるだけ解しながら伝えようとする姿勢が感じられ、気持ちよく読めました。

 ある回答では、自分が特定の言葉を使ってしまう理由を気づかされました。"全然"という言葉は、否定を伴って使うべきだと頭では理解しながら、"全然大丈夫"とか"全然平気"とつい言ってしまうのですが、この"全然"の使い方に対する解説には、なるほどと納得し、これからは"全然大丈夫"と言ってしまっても、あまり気にしないでおこうという気になりました。

 期待していた何倍もの発見がありました。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月29日

「黒船来航 日本語が動く」

20130929「黒船来航 日本語が動く」.jpg

清水 康行 著
岩波書店 出版

 わたしがいままで考えたこともなかった話題を取りあげた本です。

 日本の鎖国時代にやってきた黒船が幕府を揺るがし、「泰平のねむりをさます上喜撰(蒸気船)たった四はいで夜も寝られず」とまで歌われたとき、どのようなプロセスで条約が交わされたかを取りあげ、その契約行為がどのように日本や日本語に影響を与えたかを考察しています。

 黒船来航は1853年のことです。浦賀沖に姿を見せた船に対し日本側は、フランス語で記した退去勧告文を見せています。つまり、ペリー一行との最初の接触は、フランス語だったわけです。翌年、日米和親条約を締結した際、日本側はあるいやがらせを仕掛けました。条約締結内容は、(1)漢文版、(2)蘭文(オランダ語)版、(3)英文版で作成されました。しかし、いまでいう通訳翻訳者を通しての意思疎通なので、日本は、(1)を翻訳した(4)漢文和解版と(2)を翻訳した(5)蘭文和解版を作成しています。そして、いやがらせというのは、日本全権が署名したのが、この(4)漢文和解版のみ、米国側が署名したのが、(3)英文版のみだったということです。

 つまり、正文のない条約だったわけです。この本を読まなかったら、そんな条約を日本が締結していたことも、日本が日米双方が同じ文書に署名するのを拒んだという事実も知らなかったことと思います。

 この5種類もの文書を操っての条約締結は、いろいろ大変だったようです。通訳翻訳者は黒子という現代の常識と違って、当時の通訳翻訳者は大きな影響力を持っていたうえ、いまでいえば誤訳にあたるような言語間の齟齬もあって問題になったようです、そのあたりのエピソードも興味深いのですが、もっと面白いと思ったのは、英語が唐突に入ってきた点です。

 日米和親条約を交わした結果、英国とも条約を締結する羽目になった日本は、1854年日英和親約定を交わしています。その翌年、つまり黒船来航から2年後の1855年、英国は、日英和親約定副章の草稿で、両国間交渉での使用言語を英語のみにするよう日本に要求しました。世界唯一の大国としては、当然のことを言ったまでかもしれませんが、学問といえば漢文、洋学といえばオランダ語だったろう状態の日本が受けたインパクトは、いかほどだったのでしょう。米国に対し、英文版には署名しないと拒否してからそう時間をおかずに、日本は、英語を習熟するまでの猶予を欲しいと英国に頼むことになったのです。

 こうしてさまざまな山を越えて条約を交わす回数を重ねるうち、漢文が排除され、英語に重きがおかれ、いろいろな変化が見られるなか、日本語自体も変化していったと著者は言います。それはあの候文が排除される傾向が強まっていったということです。

 外交が与える影響を言語に限ってみていくというのも新鮮だと思いました。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする