2016年08月25日

「女子の古本屋」

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岡崎 武志 著
筑摩書房

「え? こんなコトまで?」と驚くくらい、男女で分類する傾向にある日本で出版されただけに、女性が経営・運営している古本屋さんだけを集め、本としてまとめてあります。(そういう分類に目がいかないわたしは、何度か訪れたことのある呂古書房も女性店主だったことは、この本を読むまで気づきませんでした。)

 著者が取材した内容のまとめなのですが、読者に訴えたい方向というか、視点はどこにあったのか、よくわかりませんでした。世には、気配りが感じられる女性店主ならではの素敵な古本屋もあるので、足を運んでみてね。そう訴えるために、店主の人柄や店内の雰囲気が伝わる取材をされたのかな、と思いながら読み進めましたが、最後に『女性が古書店主になるには』という項に辿り着いてしまいました。古本屋になりたいと思っている女性たちに向けた本だったのかもしれません。

 このなかで、わたしが行ってみたいと思ったのは、古書日月堂というお店です。最寄り駅は表参道駅、みゆき通りというおしゃれな場所にあって、フランスで仕入れてきた紙類も扱っているそうです。こういう紹介は、『女子』向けなのかもしれません。
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2014年06月18日

「古書店めぐりは夫婦で」

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ローレンス・ゴールドストーン/ナンシー・ゴールドストーン (Lawrence Goldstone/Nancy Goldstone) 著
朝倉 久志 訳
早川書房 出版

 ちょっとしたきっかけで古書店から「戦争と平和」を買った著者のナンシー。その「戦争と平和」を誕生日プレゼントにもらった夫のローレンスは、その本が気に入り……。

 いろんな要素が重なって、夫婦そろって古書店めぐりと古書集めに熱中していきます。

 そもそも夫婦そろって読書好き。夫婦喧嘩の仲なおりのきっかけになった本など、自分たちの蔵書に加えたいと思う本に手が伸びるようです。それに夫婦そろって好奇心旺盛。古書店の店主に躊躇いなく教えを請うたり、オークションで一度は本を競り落としてみたいと思ったり。そのうえ夫婦そろって活動的。古書店めぐりをするためにベビーシッターを雇いニューヨークやシカゴまでいそいそと出かけていきます。

 古書店めぐりよりも、睦まじい夫婦仲のほうが羨ましいくらいですが、このふたりの古書店めぐりを読んでいて楽しかったのは、読む対象として本を捉えているからです。高価な稀覯本を手にしてテンションがあがっても、その値段だけに価値を見出すのでなく、評価されるべき作家であるとか、手元において読み返したい物語だとか、そういう眼で本を見ています。もしふたりが本を投機対象として見ていれば、最後までこの本を読むことはなかったでしょう。

 経済的理由から、わたしが古書収集に熱中できる可能性はなくても、読んでいるあいだ古書の薀蓄を存分に楽しめました。何の知識もないところから古書店めぐりを始めたふたりの説明や驚嘆は、わかりやすく共感できるものでした。
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2012年01月20日

「柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方」

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柴田 元幸/高橋 源一郎 著
河出書房新社 出版

 タイトルを読むと、読み方や書き方や訳し方を教えてくれる指南書のように見えなくもありませんが、そうではありません。自分はこう見るという意見を対談のなかで引き出しあうといった感じの本です。

 柴田氏は、大学教授だけでなく翻訳者としても有名な方なので、訳すときに心がけていることや訳文を評価するときの視点などを披露されています。一方、高橋氏は小説家であるだけでなく、評論の仕事もなさっていて、興味深い文学談義を披露されています。たとえば、日本が大きな転換期を迎えた1980年代あたりを区切りに、それ以降日本で生まれた小説を「ニッポンの小説」と呼び、その特徴を指摘されています。一番おもしろいと思った表現は、次です。
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「ニッポンの小説」とたとえば戦後文学とどこが違うかっていうと一概には言えないんですけど、やっぱり言葉が壊れているとしか言いようがない。酔っ払っているというか(笑)。内容はわりと単純な話で、恋愛小説だったり普通の物語、……まあ物語がないものももちろんあるんですけれども、基本的に文章の問題なんです。つまり内容ではないんですよね。
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 この「壊れている」という表現が、わたしにとって腑に落ちるとまではいえない範囲なのですが、それでもニュアンスは充分に伝わってきます。

 あと、高橋氏の文体に対する理想も興味深く感じました。
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死ぬまで自分の文体を持たないようにしたいというのが、僕のひそかな願いではあるのです。これは僕の、読者という立場からの好みでもあるんですが。近代文学120年の歴史で、結局何が一番尊ばれたかというと文体です。さらに言うと、「これはこの人の文体だ」という私有された文体なんですね。テーマでもなく、内容でもない。ただ、僕は、文体は私有されてはいけないのではないかと思っているんです。
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 わたしは、小説家は確固たる自分の文体を築き上げたいと考えているのだと思っていました。なぜなら、文体こそがその作家らしさを語っていると思っていたからです。もちろん、作家は自らを語りたい人たちだという前提です。

 しかし、高橋氏の考えだと、小説から作家らしさが消えたほうがいいということなのでしょうね。すっとはのみこめない考えなので、どこかでまたこのテーマにひょっこり出くわしたいです。
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2012年01月10日

「小説の秘密をめぐる十二章」

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河野 多恵子 著
文藝春秋 出版

 ひとことでいえば小説創作指南の本です。

 わたしは小説を書こうと思ったことはありません。それでも著者が言わんとすることが、感覚的に正しいと思えることがありました。

 ひとつは、よい文章は脈搏を打っているという部分です(第二章)。程よい緊(しま)り具合をもち、行進曲や舞踊曲とは違った脈搏のようなリズムがあるというのです。漠然としているのに、なぜかそのとおりだと思いました。

 もうひとつは、作品が向かおうとしているところの気配が導入部から伝わってくる必要があるという部分です(第八章)。最初は何を指して気配と言われているのかさっぱりわからなかったのですが、あとに続く譬喩で納得できた気がしました。同じ気温であっても、夏に向かう季節と冬に向かう季節では気配が違うように、同じ明るさであっても、昼に向かう時刻と夜に向かう時刻では気配が違うように、作品はどちらに向かっているかを伝える気配をもたなければいけないというのです。わたしなりにわかりました。作品を読み始めてまもなく、何か悪いことが起こりそうな予感がして、物語の展開に惹きこまれてしまうことがあるのは、ここでいう気配を察した読者の反応だと理解しました。

 逆に、読んでもぴんとこなかった内容は、伏線です。ミステリを読んでいるとき、特に謎が解けたとき、あの部分が伏線になっていて、ここで回収されたんだと思うことがあります。その伏線を著者はこう分類しています。

(一) 事態上の伏線
(二) 印象上の伏線
(三) 予感としての伏線

 また、(一)と(二)は、(三)の土台となっているとも説明されています。わたしには、それぞれの違いがわかりませんでした。わたしにとっての伏線は、読者がある事実を自然と受け止めることができるようにするための先触れです。それを著者の分類にあてはめると、ある事態を、あるいはある印象を、決定づけるための先触れということになるのかと考えましたが、予感としての伏線はやはりわかりませんでした。

 小説を書こうというわけではないので、理解できない部分がこの本のなかにどれだけあろうと関係ないのですが、理解したいという欲求が湧いてきた本でした。
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2011年11月18日

「百年の誤読」

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岡野 宏文/豊崎 由美 著
ぴあ 出版

 過去百年を10年ずつ区切り、それぞれの時代のベストセラー本を語る対談が本になったものです。「ベストセラーに良書なし?」という疑問がもとになった対談のようです。といっても、おふたりの職業を考えると、それはたぶん単なるアイキャッチャーとしてのフレーズなんでしょうけれど。

 しかもあの大作をもじったタイトル。大胆な本だと思って読み始めましたが、半世紀近く生きてきた眼で、こうして10年ずつベストセラー本を眺めていくと、良書であろうとなかろうと、たしかにそういう時代もあったし、いまとなっては懐かしいと感じる本が数多くありました。特に、松本清張とか俵万智とか。

 おふたりが好き勝手に本を評しているこの本を読めば、本をどう読みどう評価するかは、各自のまったくの自由ということが、よく伝わってきます。一番おもしろかったのは、豊崎氏が村上春樹の作品を酷評した件を謝る場面です。わたしたち一読者にとっては、読んだあと「おもしろかった」と思うか「つまらなかった」と思うかだけの問題ですが、おふたりのように仕事として本を扱えば、村上作品のように中途半端な位置づけは困ったんだろうな、と思います。ファンタジー作品ともいえない、あの微妙な空想世界というか。

 ぐっと若い世代にとって、読んでおもしろい対談かは疑問ですが、学校で名作と教えられている作品がこのなかでどう扱われているかを読んでみるのも、悪くないと思います。
posted by 作楽 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする