2011年05月27日

「10分間リーディング」

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鹿田 尚樹 著
ダイヤモンド社 出版

 ビジネス関連などの書籍の内容を効率的に取り入れるコツが紹介されています。

 タイトルにあるとおり、読む時間を最初から区切り(ここでは一応10分と提案されています)全部読もうとせず、何かひとつ収穫するくらいの気持ちで読むことを勧めています。そして、読むこと以上に、読む前の目的設定や読んだ後のアウトプットに力点を置くよう説いています。

 読んだ内容が残らなかったという、本を読むうえで誰もが一度は経験する徒労感を回避する目的で、読んだ内容を活用することを重視しています。やはり、目的があるのとないのとでは、吸収できる量に差がでるのは納得できますし、また時間を区切ることにより集中力が増すことも理解できます。

 しかし、この本のように内容がスカスカであれば、10分で充分かもしれませんが、実際問題としてはどの本にでも適用できる手法ではありません。

 数ある読書手法のひとつとして知っておいてもいいかもしれませんが、正直いって、この内容でこの値段であれば、コスト面で満足を得るのは難しい気がします。
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2011年01月11日

「読書こそが人生をひらく」

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渡部 昇一/中山 理 著
モラロジー研究所 出版

 "教養"という漠然とした概念を実存するかたちとして見た気がしました。師弟関係にある渡部氏と中山氏の対談が収められている本なのですが、嫌味なく爽やかに教養が披露されています。(ちなみに、渡部氏は上智大学名誉教授で、同大学で教育を受けた中山氏は現在麗澤大学学長です。)

 このおふたりの見識ある発言は、膨大な読書量に依るものだと思われました。俄かには信じがたいような話題も飛び出すのですが、そこは読書を謳った本だけに根拠となる文献が挙げられてあり、望めば元となった本にあたることができます。捻じ曲げられた事実に惑わされることなく判断をくだすには、多角的に見ることが必須であり、その手段としていかに本が優れているかが納得できました。

 しかも渡部氏は稀覯本の蒐集家としても有名だそうで、その方面の話題も豊富で楽しめました。

 本を読むことが無駄という風潮も一部ではあるなか、本好きにとっては心強い味方ができたと感じながら読み終えました。
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2010年03月19日

「幼い子の文学」

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瀬田 貞二 著
中央公論新社 出版

 幼年期に接する文学について、絵本、童唄、なぞなぞ、詩などそれぞれの分野の考察がなされています。1976年の6月から月1回開催された、児童図書館員を対象とした講座がもとになっています。残念ながら、著者の病気療養のため、講座は翌年2月で終わっていて、全体としてどれだけの構想があった講座かはわかりませんが、ここにある内容だけでもかなりの内容が網羅されているのではないでしょうか。

 子供時代にかぎらず大人になってからも童唄や詩にはあまり縁がないので、実例をもとに解説がなされていても、実感として重みを感じたり腑に落ちたりするだけの力がないのですが、絵本の部分は感じるところがありました。

 ひとつは、「行きて帰りし物語」の章で書かれている「行って帰る」方式です。これは、子供が喜ぶ話のパターンをあらわしています。すごく単純なことなのですが、言われるまでは気づきませんでした。子供というのは、家のなかで過ごすだけでは満足できません。で、どこかに行くのですが、でも帰ってくるのです。どこに行くか? 何をするか? 誰と出会うか? それらを考え行動し終わると、きちんと自分の居場所に帰ってくるのです。流浪する大人、どこかに移動する大人は、当たり前ですが、子供はやはり帰ってくることを期待する。当たり前のようでいて、物語の展開として捉えたことがなかったので、驚きと発見がありました。

 もうひとつは、文章の流れについて。良くない例のあと、流れの良い例が示されています。
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「犬さん犬さん、子ぶたを噛んでくれんかね? あいつめ、柵を越えたがらんのだよ。これじゃ、今晩じゅうにうちへ帰れそうもないよ」
ところが犬は、うんといわなかった。
(中略)
 こういう具合になります。これですと、じっさいにお話する時に、「……かね」とか「……だよ」なんかのところで一つ一つひっかかっていくんじゃないか、そういう懸念があるんですね。
 たとえば、おばあさんが犬に頼むところ。−−「犬さん犬さん、子ぶたを噛んでくれんかね?」この「くれんかね」で一つ大きな息がつかれますね。「あいつめ、柵を越えたがらんのだよ」。ここでまた一息つく。「これじゃ、今晩じゅうにうちへ帰れそうもないよ」。これじゃ、ほとんど三つの息でしゃべらなくちゃならんことになる。ここはやっぱり「イヌよ、子ブタにくいついておくれ。子ブタがさくをとんでくれない。それで、わたしは、今夜、うちに帰れないんだよ」というふうな、すっと矢のようにいく、ひと貫きのせりふでないと、この話の進行感が出しにくいわけなんで、これが三つにポキポキになってしまうと、ちょっとやりにくい。
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 良くない例として挙げられているほうが、わたしにはより自然なセリフに感じられます。しかし、著者は、声を出して読むときの勢いの点で劣ると言っています。絵本の特性を考えると、音読は大切な要素です。でも、わたしがこの作品を翻訳しようとしたら、良くない例のほうを選ぶ気がします。たとえ、音読は大切な要素と頭では理解していても。それは流れの良さの度合いを感じる力がないからです。自分の感性のなさを知ってしまいました。
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2009年11月26日

「読んでいない本について堂々と語る方法」

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ピエール・バイヤール 著
大浦 康介 訳
筑摩書房 出版

 タイトルからはハウツー本のように見えますし、実際に導入部分ではそういう意味のことが書かれています。著者は大学教授という立場から読んでいない本を語る必要に迫られることが多く、その点では本にできるほどの経験を重ねていると。しかし、未読本を語る方法を本当に教授しようとしているわけではありません。未読本に対する評価を控えるな、ということを説くために、本を読むとはどういうことかを掘り下げて考えている本です。

 本ということばを使うとき、通常は集合体としての本です。そして、本が集まっている場所といえば、図書館です。著者は、その図書館ということばを自分なりのことばで分類し紹介しています。共有図書館、内なる図書館、ヴァーチャル図書館です。

 共有図書館は「ある時点で、ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体である。」ある時点で、と限定されているのは時代によって評価が変わってくるからでしょう。この共有図書館の価値は、その時代の評価における構成要素間(一冊の本だったり、本のまとまりだったり)の関係をどれだけ把握されているかによって決まります。つまり、一冊一冊読んでいることよりも、数多く「一連の重要書」を認識し判断できるかによって充実度が決まるわけです。つまり、その充実度で教養の度合いが決まるというわけです。

 内なる図書館は、「<共有図書館>の下位に分類されるべき集合体で、それにもとづいてあらゆる人格が形成されるとともに、書物や他人との関係も規定される。<内なる図書館>を形成しているのは、忘れられた書物や想像上の書物の断片である。」

 ヴァーチャル図書館は、「書物について口頭ないし文書で他人と語り合う空間である。これは各文化の<共有図書館>の可動部分であって、語り合う者それぞれの<内なる図書館>が出会う場と位置している。」

 本を読むという行為によって、内なる図書館は充実するでしょう。しかし、ヴァーチャル図書館が充実することによって、内なる図書館にも変化が表れるでしょう。このあたりが、本について語る意味、本について語ることを躊躇うべきではないという指針の根拠があるのでしょう。

 著者は「重要なのは書物についてではなく自分自身について語ること、あるいは書物をつうじて自分自身について語るということ」だと言っています。言われてみればその通りなのですが、これは内なる図書館の定義にも通じています。本の集まりである内なる図書館が人格を形成するのですから。また、著者は「重視すべきは、何らかのアクセス可能な与件を出発点とした、作品と自分とのさまざまな接触点だということになるからである。」と続けています。

 いままで、わたしのなかでぼんやりとしていて形を成さなかった本を読むという行為の意味が、わかった気がします。
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2009年09月03日

「橋をかける―子供時代の読書の思い出」

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美智子 著
すえもりブックス 出版

 この本に収められているのは、1998年9月20日から24日までインドのニューデリーで開催された国際児童図書評議会−−International Board on Books for Young People (IBBY) −−第26回世界大会において、ビデオテープによって上映された皇后さまの基調講演を文書化したものです。日本語と英語の両方が収められています。

 Amazon.comのユーザーレビューで知ったのですが、この本の内容は宮内庁のWebサイトでも公開(子供の本を通しての平和−−子供時代の読書の思い出)されています。わたし自身は本というかたちも含め本が好きなので、この本を読めてよかったとは思いますが、わざわざ本を入手しなければ読めない内容ではありません。

 テレビなどで見る皇后さまの穏やかな眼差しを感じさせる柔らかで品のある日本語で綴られています。ただ、皇后さまの幼少時代なので、戦争の時期とも重なり、明るい話題ばかりとはいい難いのですが、その経験談があればこそ、本の大切さがしみじみと伝わってきます。

 わたしは本に恵まれた時代に育ったわりには、本を読みませんでした。もっと読んでおけば良かったと思うほどです。だからなおさら、物資の乏しい国の子供たちが本を読めないと聞けば、心が痛みます。皇后さまが基調講演なさったことによって、この本ができたことによって、国際児童図書評議会の活動を知る人が増えたことを願っています。
posted by 作楽 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする