2019年10月21日

「インスマスの影 クトゥルー神話傑作選」

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H・P・ラヴクラフト (Howard Phillips Lovecraft) 著
南條 竹則 編訳
新潮社 出版

 科学がすべてを明らかにしてくれると思って生きている多くの現代人とは違って、これらの作品をラブクラフトが書いた時代の大半の人には、地球ができる前から存在する生命体といった人智の及ばない領域を容易に信ずることができる土壌があったのだと思います。

 つまり、暗闇を見つけるのが難しいような暮らしをしているわたしが、ラブクラフトが作り上げた怪奇世界に惹きこまれることはないだろうと思って読み始めましたが、結果的に、その予想は裏切られました。

 以下の七篇のうち「暗闇の出没者」では、謎の生物が地球の外から来たことや高度な科学技術を有することなどが事細かに描かれ、その地球外生命体との接触に対し想像が膨らみました。怪奇小説と呼ばれても、SF らしさもある作品だと思います。

−異次元の色彩
−ダンウィッチの怪
−クトゥルーの呼び声
−ニャルラトホテプ
−闇にささやくもの
−暗闇の出没者
−インスマスの影

 また「インスマスの影」は、語り手が自らの恐ろしい体験を披露しているのですが、その体験を凌ぐ恐ろしい事実が最後に明かされます。伏線が張られて回収されるさまは、ミステリーを思わせます。

 初めてラヴクラフトを読みましたが、思いのほか楽しめました。
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2019年06月26日

「飛べない龍」

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蘇 童 (Su Tong) 著
村上 満里子 訳
文芸社 出版

 日本語で読める中国の現代作品は少ないので、少し古い作品 (2007年出版) ですが、いただいたのを機に読んでみました。

 帯に『数カ国語で出版、映画化作品も多数』とあり、この作家の力量を称えていますが、この作品に限ってはそこまで秀でたものには思えませんでした。ただ、文学を目指す人たちにとって自由闊達に表現できる環境とはいいがたいであろう中国で創作を続けている作家の作品が日本語に翻訳されたことは、ある程度の評価を受けて当然だとも思います。

 この本の舞台は急速に都市化が進んだある街です。そこにあった路地や密集住宅が壊されるいっぽう高いビルが建ち、貧しい人たちが追いはらわれたあとに、いわゆるエリートが働くオフィス街ができ、何もかも変わったように見えても、そこにいた人たちもみな変われたわけではありません。

 若さを武器に夢を追いかけて街に来た女、成功を夢見て次々と事業に手を出した男、住み慣れた街が変貌を遂げてもそこに留まろうとあがく中年男、急激に栄えた街で上昇志向に燃える女、流行の波に乗って成功した兄弟、群像劇のような作品には個性の異なる人物が数多く登場しますが、この作品のなかでスポットライトが当たるのは、変貌した街の中心に踊りでることができない人たちです。

 いま貿易をめぐって米国と対立している中国では、都市部で働いていた農村出身者たちが大量に農村へ戻っているといわれています。この小説のような光景が見られているのかもしれないと思いました。気分が塞ぐ話ですが、華やかな場に留まる人たちができる範囲で夢に破れた人たちに優しく接する場面に救われました。
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2019年01月08日

「ホビット―ゆきてかえりし物語」

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J・R・R・トールキン (J.R.R. Tolkien) 著
ダグラス・A・アンダーソン (Douglas A. Anderson) 注
山本 史郎 訳
原書房 出版

 古典のすごさを見せつけられたように思います。

 この本の後半に収められている膨大な量の注を見ると、「ホビット」の舞台である『ミドルアース (Middle-earth)』やその登場人物などがいかに幅広く詳細に研究されているかがわかります。また、作家が納得できるかたちに向けて作品が何度も修正され版を重ねていったことも窺えます。続編の「指輪物語」との整合性がとられたり、両作品の舞台や登場人物を精緻に思い描こうと繰り返し読んだ読者が疑問に思ったりしたことが反映されたりしたのでしょう。

 この作品は、舞台も登場人物の個性もストーリー展開も魅力的なのですが、わたしが惹かれたのは、その意外性です。

 ひとつは、何に重きをおくかということです。まがまがしいドラゴンが登場するのですが、それを退治する場面はクライマックスではありません。また主人公がドラゴンを倒すわけでもありません。主人公はホビットという種族のビルボ・バギンズなのですが、冒険の旅において数々の活躍を果たすものの、いちばん人に印象を残すおこないは自己を犠牲にするある判断で、寓話らしさを感じない冒険物語に人の叡智と品性を感じさせます。

 もうひとつは、日常との融和です。タイトルに『ゆきてかえりし』とあるように、冒険に行くまでの平凡な生活と冒険から帰ってからの幸福な暮らしがうまく冒険の旅とつながっています。ビルボは、冒険の旅に出る際もハンカチを忘れてきてしまったことを気にかけるような性格で、戦闘的になることもなく、またユーモアを忘れることもなく、冒険に出たことを少しばかり後悔してしまう場面もあり、颯爽とした正義の味方とは違う持ち味を損なうことなく冒険を終えます。

 そんなビルボに親近感を感じたり、冒険前後の彼の暮らしに自分の日常を重ね合わせることができるようになっているように思います。

 おとなが夢中になるのも納得できました。
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2018年12月21日

「六つの航跡」

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ムア・ラファティ (Mur Lafferty) 著
茂木 健 訳
東京創元社 出版

 倫理的問題を別にすれば、人間のクローンを作製できそうな現代においても、人間の記憶を自由自在に書きかえたり、ある身体から別の身体に移しかえたりはできそうにはありません。でもこの作品の社会では、人間の遺伝子を操作することも、記憶を書きかえたり移したりすることも、クローンを作製することもすべて法律の枠組みのなかで可能となっています。

 つまり人に死が訪れれば、クローンを作製し、マインドマップと呼ばれる記憶データをインストールし、新しい身体とバックアップされていたマインドマップでさらに生き続けられるわけです。また敵対する人物を誘拐して思想や記憶を書きかえ、自分の味方につけてしまうことなどもできます。

 タイトルは、ある宇宙船の乗組員六人がそれぞれ何百年かにわたりクローン人生を送った軌跡を宇宙船の軌跡、つまり航跡になぞらえてあります。六つの航跡がどう交わり、どう影響しあうのか、気になって先を急いで読みすすめました。

 それぞれの登場人物の心理的描写はあまり多くありません。それでも読んでいると色々考えさせられました。(ヒトから生まれた) 人間とクローンが争う場面では人間とクローンの違いが何か考えてしまいました。また遺伝子操作について、身体的障害などを取り除く操作は仕事として請け負うけれど、思想の操作は請け負わない人物が登場すると、遺伝子操作に善悪の境はあるのか考えてしまいました。

 そういう意味で、SF としてこの作品は成功していると思います。
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2018年12月17日

「誰かが嘘をついている」

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カレン・M・マクマナス (Karen M. McManus) 著
服部 京子 訳
東京創元社 出版

 タイトルの「誰かが嘘をついている」の原題は、"One of Us Is Lying" です。この Us は、殺人事件の舞台となったベイビュー高校の生徒を指しています。

 ある放課後、エイヴリーという教師が、ブロンウィン、ネイト、アディ、クーパー、サイモンの 5 人の生徒に居残りを命じて課題を与え、ちょっとしたハプニングをきっかけに生徒を残してその場を離れたあいだに、サイモンが苦しみだし、結果的に死に至ります。ピーナッツアレルギーなのに、ピーナッツオイルが入った水を飲み、ショック状態に陥ったためです。当然ながら、なぜピーナッツオイルが混入したのかが焦点になります。

 ここでわたしに効いたのがタイトルです。嘘をついている生徒が犯人だと思ってしまい、1 番怪しい人物が小説のなかで嘘と呼べるほどの嘘をついていないことから犯人ではないと思いこんでしまいました。しかしタイトルでは、嘘をついた人物が犯人だとはいっていません。また単独犯だともいっていません。

 うまく読者を誘導し、伏線を張り巡らせ、それらを丁寧に回収し、上々のミステリとして仕上がっています。

 そしてその場に居合わせた高校生それぞれが犯人が誰かを考えるなかで、自身の問題に向き合い成長していくことから、青春小説や成長物語としても読めます。

 スクールカーストということばや SNS のない高校生時代を過ごしたわたしにとっては、謎解きと同じくらい青春小説としても楽しめました。
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