2017年09月22日

「アメリカ銃の謎」

20170922「アメリカ銃の謎」.png

エラリー・クイーン (Ellery Queen) 著
中村 有希 訳
東京創元社 出版

 数十年ぶりにエラリー・クイーンシリーズを読みました。夢中になって読んでいた学生のころを思い出しながら読み、もっとも懐かしいと感じたのは、『読者への挑戦状』で、もっとも違いを感じたのは、エラリーの若さです。

『読者への挑戦状』とは、作者はフェアプレイに徹し、読者にも謎解きをするエラリーと同じだけの手がかりを与えてきたのだから、読者もエラリーと同様に謎を解いて犯罪の形を突きとめることができるはずだと挑戦するもので、謎解きが始まる前に差しはさまれています。その『読者への挑戦状』を読むたび、きちんと手がかりを拾えなかった自分にがっかりし、そのあとの謎解きを読むたび、人々の言動ばかりに眼がいってモノに対する観察を怠ったことを思い知ったものですが、今回もまったく同じ感想を抱きました。変化のない自分を情けなく感じたものの、昔と変わらず謎解きを楽しめました。

 昔とは違って見えたのは、学生のころ、眼光鋭いオトナに見えていたエラリーが、数十年経って自分が老いたいま、細かい観察力を持つ青年に見えたことです。時の流れを痛感しました。

 今作では、2万人の観客の眼の前で殺人事件が起こり、その凶器は銃と判明します。犯人も手口も不明という謎だらけの殺人事件なのですが、最大の謎は、2万人の観客の身体検査したり、犯行現場となったザ・コロシアム(ニューヨーク)を隈なく捜索したりしても、凶器の銃が見つからなかったことです。

 最後の謎解きで、どのように凶器が持ち出されたのか判明するのですが、それは、犯人が誰かわからなければ、辿りつけない答えで、その犯人は、わたしが一番最初に犯人から除外した人物でした。あまりにあっさりと作者に騙されてしまい、小気味よいくらいでした。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

「平和の玩具」

20170915「平和の玩具」.png

サキ 著
和爾 桃子 訳
白水社 出版

 300ページほどの本です。そこにクスッとかニヤッとか小さく笑ってしまう33編もの掌編が収められています。当たり前過ぎて既成概念に捉われているとさえ認識できていないことの逆をいく展開、仕方がないと諦めてしまう場面で知恵を絞って相手に一矢報い溜飲を下げる結末、正義や国民のことを露ほども考えず自らの利害だけを公然かつ堂々と追い求める政治家の悪あがきなど、どれも独特のおかしみが感じられます。

 この作家には、人という生き物に対する鋭い観察眼、自身が含まれていようとも人という生き物を茶化す余裕、読む者を楽しませるユーモアがあります。時代が変わっても変わらない人間の本質のようなものをつく作品は、一世紀ほど経って読まれても色褪せて見えません。

 ただ、この一世紀のあいだ、人の本質は大して変わっていないようですが、時代は大きく変わったのだと感じました。サキ(1870-1916)は、44歳のとき志願して一兵卒として前線に赴き、46歳で戦死しています。もし、生き延びていたら、作品のなかで戦後の平和や政治をどう描いていたのだろうかと、ふと気になりました。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

「いま見てはいけない」

20170827「いま見てはいけない」.png

ダフネ・デュ・モーリア (Daphne du Maurier) 著
務台 夏子 訳
東京創元社 出版

 友人がわざわざ送ってくれた本です。それだけでも十分にありがたいことですが、面白い本だったので、こうして読むことができて良かったと思います。

 短篇集で、以下の五作が収められています。どの作品も人物像が立ちあがってくるような描写です。とりわけ、群像劇のような「十字架の道」は、こういう人いるなあと思わずにいられない、どこにでもいそうな、だけどちょっと癖がある人たちがエルサレムをツアーで訪れ、こういうことあるなあと思わずにいられない、ちょっとしたつまづきを経て立ち直る様子が、キリストの復活のエピソードと並行して描かれています。そのコントラストが皮肉の利いたユーモラスな雰囲気を醸しています。

−いま見てはいけない
ー真夜中になる前に
ーボーダーライン
ー十字架の道
ー第六の力

 わたしが一番気に入ったのは、冒頭で死んだ父親が残した不思議な最期のことばの意味が結末で明かされる「ボーダーライン」です。最期のことばと結末のあいだにある、女優の卵の浮き立つようなロマンスの予感と演じることを楽しんでいる様子が彼女の若さをとらえていて、楽しく読めました。「いま見てはいけない」も、夫婦のちょっとしたゲームやヴェネチアの東郊トルチェロ島という非日常的な舞台を楽しむことができましたが、結末には、わたしが苦手とする不可解な現象が起こって、ちょっと怖かったです。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月25日

「動物農場」

20170825「動物農場」.png

ジョージ・オーウェル (George Orwell) 著
開高 健 訳
筑摩書房 出版

一九八四年」を思い出さずにはいられない内容です。こちらを読むと、「一九八四年」は、あれもこれもと詰めこまれ過ぎていた気がしてきます。本作の翻訳者である開高氏がジョージ・オーウェルの作品について本書で語っているところによると、「一九八四年」に比べ、「動物農場」のほうが作品として、はるかによくできているそうです。具体的には、「動物農場」を以下のように評価しています。
<<<<<
『動物農場』というのは、プルーストやらジェイムズ・ジョイスを通過した二十世紀のヨーロッパ文学フィールドの中では、先祖帰りといいたくなるくらいのプリミティヴな小説なのですが、よくこれだけ単純な物語を書く勇気が出たものだと感心させられます。これは成功作ですね。暗い作品なのにあちらこちらにユーモアの閃きもある。大人の読む寓話であって、政治小説としては筆頭の、一、二に挙げられる小説です。
>>>>>

 そのいっぽうで、「一九八四年」については、以下のように述べています。
<<<<<
『一九八四年』は『動物農場』に比べて文学作品としてはるかに破綻の多い、どちらかといえば失敗作に近いものと思われるのですが、にもかかわらず私にはその名状しがたいほどの気魄の激しさゆえに、本棚からいつでも下してきたくなる書物の一冊です。失敗作だが貴重な作品だと評価したくなる本がときたまあるものですが、これはその一冊です。
>>>>>

 これらの評価を読んで思ったことは、「動物農場」からは諦念を、「一九八四年」からは熱を感じたことと、諦念は現実に、熱は理想につながっていて、現実より理想のほうがパワーを持っているのかもしれないということです。わたし自身は、ユーモラスな描写が散りばめられたシンプルな「動物農場」のほうが好きですし、熱よりも諦念のほうが向いている気がします。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

「忘れられた花園」

20170715「忘れられた花園」.png

ケイト・モートン (Kate Morton) 著
青木 純子 訳
東京創元社 出版

 ひとりの年配女性が亡くなり、同居する孫娘が謎めいた遺言を受け取って、それまでその存在を知らされていなかったコテージを相続したところから、物語が始まります。被相続人であるネルは、相続人のカサンドラと一緒にオーストラリアでアンティークショップを経営していたのですが、相続物件のコテージは、イングランドのコーンウォールにありました。コテージの存在を知らされていなかったのはなぜか、なぜイングランドに不動産を所有しているのか、そういった疑問のほか、祖母の知らなかった一面を知る機会を得たこともあり、カサンドラは、祖母の過去を辿ります。

 カサンドラが祖母の過去を辿ると同時に、祖母自身が自らの過去を辿った経緯と、実際に過去で起こったできごとが少しずつ明らかにされるのですが、その謎の散りばめ方と明かし方が巧みで、引きこまれました。家族の過去を探る旅というのは、わたしには退屈に感じられることが多いテーマですが、この作品では、ミステリ同様、伏線が緻密に張られ回収されている効果で、眼が離せなくなりました。(読み終えてみると、あまりに無駄なく登場人物が絡み合いすぎているうえ、ミステリと違って登場人物が辿りつかなかった過去の事実も描写されているせいで、ミステリの謎解きにある到達したという感覚は感じられませんでした。)

 ボリュームのある作品で、執拗な執着を見せる人たちが次々と登場し、ややうんざりするものの、意外な展開が続いたおかげで、飽きることはありませんでした。
posted by 作楽 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする