2018年05月12日

「九十歳。何がめでたい」

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佐藤 愛子 著
小学館 出版

 中学生か高校生のころ、佐藤愛子の『怒り節』エッセイを読んで、笑いに笑ったことを思い出し、久しぶりに読んだのですが、昔のように笑えませんでした。

 笑えないのは、著者とわたしの考え (あるいは年齢) が近くなっていて新鮮味が欠けるからか、笑い飛ばすような余裕がわたしになくなっているからか、よくわからないと思いつつ読み進め、ふと思いつきました。かつての著者は理不尽なことがらに真剣に怒っていて、その『怒り節』が痛快で笑えたのではないかと。

 誰もが非難されないよう気を配り、そのいっぽうで些細なことを気に病み、人と人との絆を失い、正論を振りかざす現代に著者が嘆いているさまを読んでも笑えないのは当然かもしれないと思いました。

 この本がベストセラー入りをしたということは、読者もみな嘆いているのでしょうか。
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2017年01月25日

「パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記」

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田丸 公美子 著
文藝春秋 出版

 米原万里氏のエッセイにたびたび登場する本書の著者田丸氏は、文中でシモネッタという名前でも呼ばれていました。もちろんシモネタからきています。

 そのため田丸氏=シモネタのようなイメージがあったのですが、このエッセイに登場するのはもっぱらイタリア語通訳の第一人者としての顔のほうです。

 イタリア語通訳の第一人者だけに、通訳として付き添う相手も錚々たる顔ぶれで、一般聴衆から見えない部分のエピソードは興味をそそられました。また、海外留学がいまほど当たり前ではなかった時代に『ぶっつけ本番』といってもいい通訳者デビューを果たした度胸には感嘆しました。

 日本で接する機会の多い英語や中国語ではない『イタリア語』通訳としての苦労は、米原氏のロシア語通訳に通ずるものがあって、わたしにとっては目新しいエピソードでもありませんでしたが、イタリア滞在中の出来事などはやはりイタリアというお国柄が出ていて楽しめました。

 通訳は、スピードを求められる仕事だけに緊張や不断の努力を強いられるのでしょうが、適度に散りばめられたユーモアのおかげで、自慢話が鼻につくことのないエッセイになっています。イタリアや通訳という仕事に興味のある方が軽い読み物として選ばれると、いいかと思います。
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2016年12月23日

「A.E. あるいは希望をうたうこと」

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新実 徳英 著
アルテスパブリッシング 出版

 まずは、内容より何より、その文体に惹きつけられてしまいました。語りかけるように柔らかく、それでいてしっかりと主張が伝わってくる文体は、カタカナがうまく取りいれられ、文末のバリエーションが豊富で、著者の個性がしっかりとあらわれています。

 タイトルにある A.E. は、After the Earthquake のことだそうです。東京を拠点に作曲活動をする著者にとってのEarthquakeは、2011年の東日本大震災です。この震災を風化させないために震災以降の作品番号には、A.E.を振っているそうです。

 和合亮一氏が震災の混乱と恐怖を詩というかたちで発し、それに共感した著者が作曲してできあがった《つぶてソング》は、よく知られていますが、そのほかにも著者の活躍は広範囲におよびます。わたしが驚いたのは、《音楽法要》です。現代語に訳された伽陀・三帰依文・回向に著者が音楽をつけて法要とされたそうです。著者は、「親しみ易い歌があって、集うごとにそれを歌うのは宗教活動にとって必要」と、さらりとおっしゃっていますが、読経にとってかわる音楽をイメージできないので、この音楽法要はぜひ聴いてみたかったと思います。

 そういった音楽活動について、わたしなどは、才能ある著者を羨む気持ちになりますが、著者は、音楽は「もらうもの」と表現しています。「自分の周りにこれだけたくさんの生命がいて、それぞれに霊性があって、そういうところに住んでいるんだから、それから多くのことをもうらうことができる」と思ったそうです。そういう謙虚さが、著者のこの文体を生んだのかもしれません。
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2016年12月10日

「台湾生まれ 日本語育ち」

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温 又柔 著
白水社 出版

 著者の名前を読めませんでした。それを見透かすかのように著者は、最初にこう自身を紹介しています。『「おん・ゆうじゅう」と言います。/続けて言うと「おんゆうじゅう」。/ちょっぴり、おまんじゅう、に似ているのが自慢です。』

 著者は、台湾生まれ。父親の仕事の関係で3歳からずっと日本に住み、日本での永住権を得て日本に暮らし、日本で生まれ日本で育った日本国籍を有するひとたちと同じように日本語を操ります。しかし、日本語を自らの母国語と呼ぶのを躊躇う気持ちがあります。このエッセイは、そんな違和感のような気持ちの揺れをいろんなできごとを通して抽出したものです。

 父親が転勤したり、父と母で国籍が違ったり、さまざまな状況で著者と同じような状況におかれたひとは多いと思います。そのひとたちと著者のケースに少し違いがあるとすれば、日本が国籍と言語の範囲がほぼ重なりその境が海でわかりやすく区切られていること、著者がことばを仕事とする小説家であること、宗主国であった日本から押しつけられた結果として流暢に日本語を話す祖父母をもつことなどです。

 とりわけ、彼女の着眼点の鋭さや表現の豊かさにより、彼女の気持ちのひっかかりが、日本で生まれ育ったわたしにも、いくばくか理解できました。それと同時に、これまでずっと、ひとつの言語に頼ってきた自分をいつもと違った目で見ることができました。
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2016年09月30日

「日本のタブー」

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副島 隆彦/SNSI副島国家戦略研究所 著
ベストセラーズ 出版

 本質的な部分を知ろうとせずにものごとをイメージで判断してしまうことは、誰にでもあると思います。そしてそのイメージが誰かによって巧妙につくりあげられたものならば、その本質を見極めることは、一種のタブーといえなくもありません。タイトルのタブーは、そういう意味です。

「日本じゅうの人々が間違ったイメージに捉われているが、正しくはこうだ」と、敢えて(禁を破って)真実を披露しようという語調で始まりますが、SNSI副島国家戦略研究所 の関係者がそれぞれ10ページ程度で述べる各論は、そこまで大層な内容ではありません。たとえばある人は、魂は不老不死だと根拠を述べることなく唐突に主張し、あとは延命治療や尊厳死の話題でお茶を濁しています。人の思い込みを覆そうという意気込みなら、もう少し論理的に展開すべきでしょう。

 過激な導入で読者をつって、薄っぺらな内容を言いたいように言っているだけに見えて、あまり印象がよくありませんでした。
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