2010年06月02日

「大阪力―あなたと街に元気を取り戻すヒント」

20100602[Oosakaryoku].jpg

丹波 元 著
PHP研究所 出版

 この内容で、本というメディアを選ぶのは不適切だと思いました。著者は大阪出身ですし、大阪に対するご批判は的を射たものだとは思いますが、欠点・批判を延々と羅列したわりには、サブタイトルにある「大阪力―あなたと街に元気を取り戻すヒント」にあたる解決策部分(「大阪力」向上計画として最後にまとめられています)があまりにお粗末で、最後まで読んできた時間と労力を思うと、力が抜けてしまいました。

 「大阪という街はここまで堕落してしまいました」ということを語るのであれば、堂々とそれをタイトルに掲げるのが最低限のマナーではないでしょうか?

 どちらかといえば、居酒屋さんでお酒でも呑みながら繰り広げるに相応しい演説ぶりでした。
posted by 作楽 at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(関西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

「大阪弁の秘密」

20100518[OsakabennnoHimitsu].jpg

わかぎ えふ 著
集英社 出版

 携帯で読む雑誌形式のサイトで連載されていたものが本にまとめられました。なので、ひとつのテーマあたりの字数が400字〜600字で、ちょっとした空き時間に読むのに便利です。大阪弁のことばをひとつずつとりあげ、著者の経験や主観をもとにそのことばが意味するところが語られます。

 わたしも一応関西弁を話していましたが、両親ほど阪神タイガースを応援していないし、大阪の真ん中で育ったわけでもないので、著者の意見に諸手をあげて賛成するというわけではありませんが「いたいた、こういう人」とか「そうそう、こういうこと言ってた」と思うところが多い本でした。

 なかでも良かったと思うのが、「死語の世界」。すでに使われなくなってしまった大阪弁から、味のあることばが選ばれています。大阪弁の変遷を感じさせてくれたもうひとつの章は、「新語の世界」。あ、こういう変化が起こっていることを知らなかったというのもありました。

 しかし、東京に引越して4年が過ぎたのに、こういう本を読んで、これも関西弁なのかと驚く名詞がいまだにあって、標準語だと思って使ってきた自分が恥ずかしくなり、自分で自分を笑えます。
posted by 作楽 at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(関西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

「どや!大阪のおばちゃん学」

20100414[Doya!OsakanoObachangaku].jpg

前垣 和義 著
草思社 出版

 関西在住の方々からのアンケートをもとに考察が進められるので、内容には説得力があります。実際、関西で生まれ育った立場から見ても「いるいる、そういう人!」と頷けます。

 ただ、関西で普通に暮らしてきたおばちゃんの立場からいうと、大阪のおばちゃんのほとんどがこの本に登場するような人々ではないので、誤解されたくはないということです。そのあたりについて、ひと言説明があってもよかったのではないかと思いますが、本の面白さを損なうので、無くても仕方がありません。

 関西の外の人間から見ると、この本に登場する人たちが一番目につくであろうし、そういう人たちに対して「きつい人たちだ」という印象を強く受けることと思います。それは違う、ということを知ってもらうにはいい本かもしれません。(関西に縁ができてしまったにも関わらず、おばちゃんたちが苦手なら、お勧めです。)
posted by 作楽 at 00:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 和書(関西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

「街場の大阪論」

20100323[MachibanoOsakaron].jpg

江 弘毅 著
バジリコ 出版

 「街場」ということばが聞き慣れないので調べてみると、この著者の造語のようです。本文では、次のように言及されています。
<<<<<
 秋葉原というところは、顔がない「一人ぼっちのみんな」でいっぱいの街だ。その「一人ぼっちのみんな」は原宿の「オレたち」や新宿歌舞伎町の「あの人たち」的ではない、のっぺりとした「みんな」を形成している。その「みんな」はもちろん「知らない人」ばかりの集団だ。
 街で「知らない人なのに知っている人」に出会うこと。そういう機会がまだまだ多いのが大阪という街の特徴であり、そういうところをわたしたちは多分に感覚的な言い方で「街場」などと呼んだりしている。
>>>>>

「多分に感覚的な言い方」なので、わかったようなわからないような気になるのですが、それはまあ仕方のないことでしょう。でも、この「知らない人なのに知っている人」に出会うところを、わたしがことばにするとしたら、たぶん「地元」でしょう。名前も知らないけど、あの大型犬をいつも散歩させているおばさん。名前を聞こうとは思わないけど本を借りているカフェのマスター。買い物したときおまけしてくれるおかみさん。そういう人たちと会うところなら、自分が暮らしている街しか思い浮かびません。でも、いま住んでいるところは、生まれ育った場所ではありません。ただ上京してきてアパートを探して行き当たった場所にしか過ぎないので、「地元」と呼ぶのは変かなという気もします。そういう場所が「街場」なんでしょうか。

 ひとつひとつのエッセイの内容としては、同じように(わたしにとっては)わかったようなわからないようなことが続くのですが、なんとなく自分の暮らしが変わったことをあらためて認識するものさしを差し出された気がするようなものが多いです。

 たとえば、ミシュランは日本では成功しないだろうという意見。
<<<<<
 それは、こちらではまだまだ<食>というものは、消費活動のためのものでなく、生活者つまり暮らしのなかのものであると思っているからだ。街は経済活動の場であり消費空間であるが、非常に街的度が高い人間からすると、それは生活の場に違いない。
>>>>>

 上記のこちらはミシュランが話題だけに日本のことを指しているのですが、残念ながらわたしにとって外食はもう消費活動に入っている気がします。昔は、近所のお好み焼き屋で食べる<食>はたしかに暮らしのなかだと思えました。でも今は、どんどんそういう割合が減って、バッグを買うショップを使うように、レストランを使っている気がしてきました。

 なんか引っかかる(答えを期待してなにかを考えるのではなく、見過ごしていたことが気になって考えたくなる)エッセイでした。
posted by 作楽 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(関西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月03日

「大阪ことば学」

20100203[OsakaKotobagaku].jpg

尾上 圭介 著
創元社 出版

 大阪の価値観がことばを独自に発展させ、それがまた大阪の価値観を強固にしたのかもしれないと思いました。たとえば、東京と対比すると、大阪では面と向かって相手にもの申すことが多く、それによってことばも変化し、変化したことばを使ってよりもの申しやすくなったのではないかと推測しました。

 武士が中核をなした江戸では、上意下達が意思疎通の基本だったのとは対照的に、商人が中核をなした上方では、横並びでの交渉の必要性があったという背景があるのではないでしょうか。しかし、そういうコミュニケーションを円滑に進めるには、あまり角を立てずに、相手の非を指摘したり、自分のわがままを通したりする必要があります。それは、この本に挙げられている、次のような大阪ことばの特徴のうち、「当事者離れ」によくあらわれていると思います。
<<<<<
大阪のことばに見られる特徴を整理しなおして、(A)相手との距離の近さ(開放性)、その一面でもある(A')会話の共同作業の感覚(共同性)、そのほかに(B)「当事者離れ」の感覚、(C)大阪独特の「照れ」あるいは「含羞」、(D)停滞を嫌い、変化を好む感覚、の四つないし五つをあげた。
>>>>>

 たとえば「そない言わんと、まあ、堪忍したって」というセリフがあったとします。これだけを見ると、登場人物が三人いる状況に見えます。腹を立てている人、腹を立てられている人、そして両人をとりなす人。しかし、大阪では、腹を立てられている人が腹を立てている人に直接使っていてもまったく不自然さはありません。

 わたしたちは、当事者のくせに第三者のようなことを言うのです。腹を立てられている状況では近づきにくい距離まで近づいて、言いにくいことを言う場合に多用する方法です。立場をあやふやにしているのです。この考え方は、正反対のニュアンスのことばをくっつけることによっても実現しています。この本では次のように説明されていました。
<<<<<
「何してんねんな。はよせんかいな」
というときの「せんかいな」がそれである。「はよせんかい」というのは、どうしてはやくしないのか、ぼやぼやするなと叱りつける言い方である。だから当然、言った人と言われた人とは対立的な関係になってしまう。相手を叱る以上、少々とげとげしくなるのは仕方がないと覚悟するのが普通の感覚かもしれない。ところが大阪人は、ここで「な」という助詞を一つ付ける。「はよせんかいな」と言うと、とげとげしさはすっかり消えてしまうから不思議である。
>>>>>

 相手と逆の立場にいて叱っているのか、相手と同じ立場にいて「なあ」と言っているのか、立場ははっきりしなくなっています。でも「はやくすべき」ということは伝わっています。何気なく使っていたことばの意味や役割を再確認できました。

posted by 作楽 at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(関西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする