2017年01月26日

「バルカンをフィールドワークする―ことばを訪ねて」

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中島 由美 著
大修館書店 出版

 これも「ガセネッタ&シモネッタ」を読んで、見つけた本です。実際に読んで思ったのが、「そもそも、これ、いつの本?」出版は1997年で、フィールドワークに出かけた最初の時期は1978年から1980年です。まず、時代を感じました。しかし、それが悪いというわけではありません。そういう時代だったなぁ、と感慨を覚える部分もありますし、そういう時代だったんだ、と新たな知識を得ることもあります。

 しかし、一番の醍醐味は、はるか遠い日本という国から、わざわざユーゴスラビアまでマケドニア語を研究しに来た日本人を迎えた現地の人たちとの交わりではないかと思います。この本自体は、ユーゴスラビアという多彩な民族や言語を抱える国において、言語がどのような影響を与え合ったかを地理的に解明しようという言語地理学の観点からフィールドワークを実施するというものですが、日本人にとってユーゴスラビアはあまり馴染みがない地方なので、この本を読むことによって現地の方々の文化、習慣、料理など、楽しめると思います。

 そういえば、「石の花」でも出てきたあれが、また出てきました。

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 ユーゴスラヴィアといえばその頃は例の数合わせ、「七つの国に囲まれ、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字があって、でも一つの国家」というのが自慢だった。
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 "その頃は"というのは、著者が最初に研究のためにユーゴスラビアを訪れた1978年から1980年のことです。その後、時代は移ります。

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 一九九一年マケドニアが独立を宣言すると、国名をめぐってギリシアから横槍が入った。ギリシアが問題にしているのは「マケドニア」なる名称を「他人」が使うことであり、長年我がマケドニア国を「スコピエ政府」などと呼んできた。とはいえマケドニアがユーゴスラヴィア連邦の一部である間は、表だった外交問題に発展することは稀だった。ユーゴスラヴィアの黄金期には、ギリシアでバカンスを過ごす人も多かったし、スコピエの悪友どもも何かあると車を仕立ててソルン(テッサロニキ)までショッピングに出かけていたものだ。
 いよいよ「マケドニア」が正式国名として旗揚げされると、両者の関係は一気に悪化した。アトランタ・オリンピックにも登場した「旧ユーゴスラヴィア・マケドニア共和国」という妙な国名は、国連が承認に踏み切るにあたって、ギリシアとの妥協のために考え出した苦肉の策である。片や旧連邦を引き継いだ国は「新ユーゴスラヴィア」だというのだから、ややこしい。
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 政治的に新しい国の誕生は難しそうですが、新しい言語の誕生という観点から見ると、興味深いです。著者はマケドニア語の父といわれるコネスキ氏とも直接親交があったそうで、伝聞ではないよさで解説されています。そもそも、ひとつの言語が近代において作られるというのは、あまり例のないことでしょう。そういう希少性からも、マケドニア語誕生秘話とその後の経過はなかなか興味をそそられる話に仕上がっています。

 もうひとつ興味を惹かれたのは、著者が帰国子女などではなく、日本語を母国語として生まれ育ち、大学生時代までユーゴスラビアに行ったことがないということです。実は、フィールドワークと聞いて思ったのは、子どもの頃どういうところで育った方なんだろう、ということだったからです。わたしは、おとなになってから習得した言語では、データがとれるほどには聞き取れないと思っていたのです。そのことについては、著者も説明の必要性を感じられたのか、ある程度説明されています。それでも、正直、信じられません。結局、著者の努力が桁外れだったのだろう、という結論が妥当に思われました。

 世界は広いのに、人が見られる世界は小さいものだな、と寂しさを感じてしまいましたが、こうやって本があることによって広がる世界もあるのだと再認識しました。
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2017年01月25日

「パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記」

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田丸 公美子 著
文藝春秋 出版

 米原万里氏のエッセイにたびたび登場する本書の著者田丸氏は、文中でシモネッタという名前でも呼ばれていました。もちろんシモネタからきています。

 そのため田丸氏=シモネタのようなイメージがあったのですが、このエッセイに登場するのはもっぱらイタリア語通訳の第一人者としての顔のほうです。

 イタリア語通訳の第一人者だけに、通訳として付き添う相手も錚々たる顔ぶれで、一般聴衆から見えない部分のエピソードは興味をそそられました。また、海外留学がいまほど当たり前ではなかった時代に『ぶっつけ本番』といってもいい通訳者デビューを果たした度胸には感嘆しました。

 日本で接する機会の多い英語や中国語ではない『イタリア語』通訳としての苦労は、米原氏のロシア語通訳に通ずるものがあって、わたしにとっては目新しいエピソードでもありませんでしたが、イタリア滞在中の出来事などはやはりイタリアというお国柄が出ていて楽しめました。

 通訳は、スピードを求められる仕事だけに緊張や不断の努力を強いられるのでしょうが、適度に散りばめられたユーモアのおかげで、自慢話が鼻につくことのないエッセイになっています。イタリアや通訳という仕事に興味のある方が軽い読み物として選ばれると、いいかと思います。
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2017年01月24日

「大坂侍」

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司馬 遼太郎 著
講談社 出版

 東京出身の友人から面白いと薦められ、読みました。筋書き、人物描写、歴史的背景など、色々な面で安定している司馬遼太郎らしい短篇集です。わたしから見て、他の司馬遼太郎作品に比べて、友人に勧めたいと思うほど面白いわけではないのですが、東京出身者からすると、ここで描かれる大阪人の価値観が珍しかったのかもしれません。

 この短篇集に収められているのは、以下です。

−和州長者
−難波村の仇討
−法駕籠のご寮人さん
−盗賊と間者
−泥棒名人
−大坂侍

 このなかでも、「難波村の仇討」と「大坂侍」は、気質というか価値観の点で大阪人(あきんど)が侍とは違っていることが目立っています。

「難波村の仇討」の時代は幕末で、ある侍が、兄の仇を討とうと備前岡山から上方にやってきたところ、その仇の使いを名乗る者から、仇討ちのゆるし状を売ってくれと頼まれます。この仇は、帯刀するあきんどのように描かれているのですが、自分を殺しにきた侍に対し、田舎には帰らず、貰った金で知らぬ土地でうまくやっていけばいいと提案しているわけです。したたかなあきんどとして描かれています。

「大坂侍」も、江戸の終わりを背景に、侍とあきんどが対照的に描かれています。こちらでは、十石三人扶持の侍が、三百年にわたって徳川幕府から受けた扶持のお返しとして征夷大将軍のもとに駆けつけると言うと、侍を慕うあきんどの娘が、三千石を用意するから、戦には行かないでくれと頼みます。そもそも、女が親や夫に従うだけの存在として描かれていません。自らの知恵で交渉する存在として描かれています。

 一見すると、なんでもかんでもお金で片づけようとしているように思われますが、あきんどとしては、合理性がないと言いたいだけのことだと、わたしは思いました。時代が大きく変わっていくときに、おいえだとか忠義だとか、ほとんど意味をなさなくなった事柄に見切りをつけるべきだと言いたいのではないでしょうか。

 そういう見方をすること自体、わたしが関西人である証でしょうか。ほかの方の感想を知りたいものです。
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2017年01月23日

「第4次産業革命で一人勝ちする日本株」

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菅下 清廣 著
実務教育出版 出版

『資産はこの黄金株で殖やしなさい』というシリーズの2017年上半期版です。12月2日に出た本で、アメリカの大統領がトランプ氏になったというニュースは盛り込まれています。

 わたしは、株式売買には馴染みがないのですが、この第4次産業には興味があり、どのような企業の名前が挙げられているのか気になり、読んでみました。前半は、第4次産業革命全般について説明があり、後半は、著者が押す株式銘柄について、個々に説明がされています。推奨銘柄は、4つにグループ分けされてあり、ローリスク・ローリターンタイプから、ハイリスク・ハイリターンタイプまで、幅広く取り揃えられています。そのため、投資に興味にある方にとっては、実践的な内容ではないでしょうか。

 わたしが興味を持っているAIが、どういうかたちで日常に入り込んでくるのか、どのような企業がリードするのか、といった類のことは細かく説明されていないのですが、第4次産業革命は、わたしが思っていた以上にスピード感をもって、進むという印象を受けました。(あくまで、政府の高い行動力を前提とした著者の予想です。)

 もし本当に、東京オリンピックの前に、かなり大きな変化が起これば、企業の明暗も分かれるのでしょう。そこがタイトルの『一人勝ち』につながってくるようです。IoTなどの変化が、本当に目前に迫っているのなら、楽しみです。
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2016年12月23日

「A.E. あるいは希望をうたうこと」

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新実 徳英 著
アルテスパブリッシング 出版

 まずは、内容より何より、その文体に惹きつけられてしまいました。語りかけるように柔らかく、それでいてしっかりと主張が伝わってくる文体は、カタカナがうまく取りいれられ、文末のバリエーションが豊富で、著者の個性がしっかりとあらわれています。

 タイトルにある A.E. は、After the Earthquake のことだそうです。東京を拠点に作曲活動をする著者にとってのEarthquakeは、2011年の東日本大震災です。この震災を風化させないために震災以降の作品番号には、A.E.を振っているそうです。

 和合亮一氏が震災の混乱と恐怖を詩というかたちで発し、それに共感した著者が作曲してできあがった《つぶてソング》は、よく知られていますが、そのほかにも著者の活躍は広範囲におよびます。わたしが驚いたのは、《音楽法要》です。現代語に訳された伽陀・三帰依文・回向に著者が音楽をつけて法要とされたそうです。著者は、「親しみ易い歌があって、集うごとにそれを歌うのは宗教活動にとって必要」と、さらりとおっしゃっていますが、読経にとってかわる音楽をイメージできないので、この音楽法要はぜひ聴いてみたかったと思います。

 そういった音楽活動について、わたしなどは、才能ある著者を羨む気持ちになりますが、著者は、音楽は「もらうもの」と表現しています。「自分の周りにこれだけたくさんの生命がいて、それぞれに霊性があって、そういうところに住んでいるんだから、それから多くのことをもうらうことができる」と思ったそうです。そういう謙虚さが、著者のこの文体を生んだのかもしれません。
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2016年12月22日

「対岸の彼女」

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角田 光代 著
文藝春秋 出版

 第132回(平成16年度)下半期の直木賞受賞作品です。

 30代半ばの女性、小夜子の視点で物語は進みます。3歳のひとり娘を育てる専業主婦だった小夜子が、娘を保育園に預けて働きはじめ、仕事を通じて出会った人々との交流から、自分を見つめなおすという内容です。

 タイトルである「対岸の彼女」というのは、自分と同じ大学を卒業した同い年の会社経営者を指しています。夫も子供もいない対岸の彼女は、自由を手にして勝手きままに生きているように見え、自分の仕事を見下す夫や口うるさい姑の言葉に傷つき涙する自分とのあいだには、大きな川が立ちはだかっているように見えます。

 帯には、『だけどあたしたち、どこへいこうとしてたんだろう。』とあります。小夜子が、いくつかの経験を経て自分がいこうとしていたところを見つけて選んだ道は、前向きで建設的です。周囲の人たちのように、もっと楽な道を選ぶこともできたことを考えると、好感のもてる選択でした。そう思ったのは、わたし自身も、自分がどこへ行って何をしたいのかわからずに過ごしているからかもしれません。
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2016年12月10日

「台湾生まれ 日本語育ち」

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温 又柔 著
白水社 出版

 著者の名前を読めませんでした。それを見透かすかのように著者は、最初にこう自身を紹介しています。『「おん・ゆうじゅう」と言います。/続けて言うと「おんゆうじゅう」。/ちょっぴり、おまんじゅう、に似ているのが自慢です。』

 著者は、台湾生まれ。父親の仕事の関係で3歳からずっと日本に住み、日本での永住権を得て日本に暮らし、日本で生まれ日本で育った日本国籍を有するひとたちと同じように日本語を操ります。しかし、日本語を自らの母国語と呼ぶのを躊躇う気持ちがあります。このエッセイは、そんな違和感のような気持ちの揺れをいろんなできごとを通して抽出したものです。

 父親が転勤したり、父と母で国籍が違ったり、さまざまな状況で著者と同じような状況におかれたひとは多いと思います。そのひとたちと著者のケースに少し違いがあるとすれば、日本が国籍と言語の範囲がほぼ重なりその境が海でわかりやすく区切られていること、著者がことばを仕事とする小説家であること、宗主国であった日本から押しつけられた結果として流暢に日本語を話す祖父母をもつことなどです。

 とりわけ、彼女の着眼点の鋭さや表現の豊かさにより、彼女の気持ちのひっかかりが、日本で生まれ育ったわたしにも、いくばくか理解できました。それと同時に、これまでずっと、ひとつの言語に頼ってきた自分をいつもと違った目で見ることができました。
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2016年12月09日

「坐骨神経痛は99%完治する」

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酒井 慎太郎 著
幻冬舎 出版

 内容紹介で、「足がしびれる、座るのがつらい、長時間歩けない、よくこむら返りが起きる……これらすべてが、一気に解決します!」とあって、この「よくこむら返りが起きる」に該当するうえ、いままで何度か腰痛に見舞われた経験から、興味がわいたので読んでみました。

 この本に書かれてあることを短くまとめると『あまり知られていない事実として、坐骨神経痛のほとんどの原因は仙腸関節の不調にあり、仙腸関節を調えれば、痛みはなくなる』というものです。少し要約しすぎの感もありますが、これだけです。仙腸関節の治療(関節包内矯正・かんせつほうないきょうせい)をしてもらえるクリニックが周辺にあるのなら、それでこの本の役目は終わりです。

 ただ、そういったクリニックが周囲にない場合を想定して、どのようなセルフケアを施せば仙腸関節を調えられるかも、後半に記載されています。いたってシンプルなケアなので、この本を読みさえすれば実践できると思います。必要なものは硬式テニスボール3個と毎日15分ほどの時間を割く根気だけです。

 拍子抜けするようなシンプルな対処ですが、わたしの周囲に脊柱管狭窄症に悩むひとも複数いるので、教えてあげたいと思います。
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2016年12月08日

「緑のカプセルの謎」

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ジョン・ディクスン・カー (John Dickson Carr) 著
三角 和代 訳
東京創元社 出版

 1939年に発表されたミステリだとは俄かに信じがたいほど、色褪せた感じがしません。現代のデジカメには遠くおよばない、音声すら入っていない映像が重要な証拠なので、もちろん作品の古さを実感することはできます。それでも、ひとが陥りやすい錯覚を利用したトリックは、妙に説得力があります。わたしが、もしこんなふうに誘導されたら、うまうまと罠に嵌められることは間違いないと言い切れるほどです。

 見事なトリックで成り立つその事件は、ある事件のトリックを解明するために実施された実験を巧みに利用したものでした。しかし、その実験の意図がどこにあったのかも、どのようにその実験が利用されたのかも、皆目見当がつかないところから、ヒントが小出しにされていきます。そんな展開のなか、途中で読むのをやめるなんてことはできず、ついつい読んでしまいました。

 そしてすべてが明らかになり、ずいぶんと巧妙なトリックだとひとしきり感心したあと初めて、少々偶然に頼りすぎた展開があったことに気づくといったありさまで、すっかり騙されてしまいました。発表から半世紀以上経って、新訳で再登場する作品だけのことはあります。堪能いたしました。
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2016年11月18日

「A Redbird Christmas」

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Fannie Flagg 著
Vintage Classics 出版

 (アメリカの) Amazon.comでは、500件を軽く越すレビューが書かれているので、ベストセラーと呼んでもいいと思います。ただ、それらレビューの高評価には、あまり同意できません。タイトルにあるとおりクリスマスのお話なので、クリスマス・ストーリーの原則どおり「めでたし、めでたし」で終わるべきだということを頭では理解していても、ここまで幸せの大盤振る舞いになると少々興ざめしてしまいました。

 物語は、孤児として育った中年男性 Oswald が肺を患って余命宣告を受け、寒さ厳しいシカゴを出て、アラバマへと引っ越すところから始まります。新天地で、さまざまな人や生き物にであい、それまで縁のなかった居心地のいい時間を過ごし、好きなことを見つけ……と展開していきます。

 登場人物それぞれの個性が際立ち、都会では見つけづらい穏やかなコミュニティの描写も優れていて、読むのが楽しかったのですが、それでも畳みかけるようなハッピー・エンドは、好きにはなれませんでした。クリスマス・ストーリーのあるべき姿を理解できていないだけかもしれませんが、わたしの気持ちとしては、ちょっぴり残念でした。
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